その日、珍しく玲菜は希望通りの時間を送っていた。
ソファに座り、手にした文庫本を読む。
部室の中には香里奈しかおらず、その香里奈も天音が決めた日課の筋トレを行っており、部屋にはほとんど物音がしない。
(静かすぎる、な)
いつのまにか騒がしいのに慣れたしまった玲菜はそんなことを頭によぎらせ
(らしくないことを思うものだ)
と、自らを笑う。
(しかし、みな遅いな)
もう放課後になり三十分は経っている。結月は委員会で来れず、洋子が文芸部の方にいっているのは知っているが、姫乃と天音はこの時間まで遅れたことはない。
練習とはいえ一人では何もしようがないのではないかと香里奈を見ていると、香里奈はようやくメニューを終えたのか両手を上にあげて伸びをしていた。
(しかし、大きいな)
もうほとんど毎日見ているが、いまだに香里奈には慣れない。それは背の高さもそうなのだが、行動の一つ一つが一般人と異なることが多いことが一番だった。
「あ、そうだぶちょー」
「なんだ」
もう訂正する気はなくなった呼称に反応すると香里奈はトコトコと寄ってくる。
「今日は姫ちゃんとあまねんは来れないってー」
「………香里奈」
「なにー?」
「そういうことはもっと早く言ってくれ」
こういう人間であるとはわかっているが玲菜は演技も込めて頭を抑えた。
結月にはあまり人が集まらなかったらその日の活動は無理にしなくていいと言われている。初心者が半分を占めるので、あまりそこで差をつけてしまうのが良くないという考えらしい。
その是非は判断しないが、そう言った事情から出欠についての情報があれば来た時に報告することになっている。
だが、香里奈は来てから今まで見事にそれを破っていたというわけだ。
「お前が来た時に言っただろう、結月も神守も来ないと。お前一人なんだから今日の活動はなしだ」
「えー、ぶちょーがいるから一人じゃないよ?」
「私をカウントするな」
「むー」
ほっぺを膨らませる香里奈。あまりに不釣り合いな光景だが、香里奈は自然とそれをしているというのはこの入部してからの期間を一緒にすごしたことでわかる。
「ふぁ……あ。部活ないと思ったら眠くなってきちゃったー。ちょっと昼寝しようかなぁ」
途端に香里奈はそう言って大きなあくびをする。
「帰って寝ればいいだろう。今日はもう閉めるぞ」
「えー、このまま帰ったら歩きながら寝ちゃうよー」
「そんなわけあるか」
「あるもん。転んだりしたらぶちょーのせいにしちゃうんだからぁ」
(……ふぅ)
玲菜は心の中でため息をつく。奇行はある程度慣れたが、会話をするのはやはり疲れる。
「なら、鍵をお前に………」
預けるから戸締りをしろと言いかけたがそれをとどめる。
「んー?」
これが姫乃あたりだったらそうするところだが、香里奈ではその選択をしづらい。もし、鍵を任せ、香里奈が忘れるなどして、問題でも起きたら責任は部長である結月に行くことにもなりかねない。
気にしすぎであるとはわかっているが、その可能性もある以上は結月の立場を悪くさせるようなことは玲菜にはできない。
「なら、少し寝ていけ。ただし、本当に少しだぞ」
と、玲菜はその場を明け渡すために立ち上がろうとしたが
「あ、そのままでいいよー」
と、香里奈は玲菜をソファにとどめた。
「?」
なんだと思ったが、それを口にする前に
「それじゃ、おやすみー」
と、香里奈がソファに寝転がってきた。
「なっ!」
玲菜の膝を枕にして。
「な、何をしている」
結月以外誰にも許したことのない膝に頭を乗せる香里奈に玲菜はまるで同年代の少女のような反応を見せる。
「んー、ぶちょーに膝枕してもらってるんだよ?」
部員、特に結月や天音が見たら叫びだすような光景だが、当の香里奈は当然とばかりに目を閉じながらそう言った。
その無邪気な姿を邪険にするわけにもいかず、玲菜は軽くため息をついた。
「ふぅ。なぜこんなことをするかと聞いているんだ」
「だって、お昼寝するときはいつもお姉ちゃんにこうしてもらってるんだもん」
(……答えになっていないな)
しかし、この話題を続けても満足のいく回答は得られそうにないと判断した玲菜は代わりに多少気になったことを聞くことにした。
「姉がいるのか?」
「んー? いるよー。お姉ちゃん小っちゃくて可愛いんだー」
「ふむ」
香里奈の回答を受け、軽くその姉とやらを想像しようとするが………
(小っちゃくて、可愛い、か)
ちなみに今玲菜の膝の上にいる相手は、可愛いかどうかはさておき小さくはない。そんな香里奈が小っちゃいと評する姉に膝枕をされているところというのはどうにもおかしな光景に思えた。
(結月が私にするようなものか?)
一瞬それを想像しようとするが
(……まるで想像できんな)
「しかし、仲がいいのだな。その年にもなって普通そういうことはしないものではないのか?」
普通ということがわからない上、そもそも結月には当然のようにしている玲菜がいうことではないが、それは玲菜の感性が正しいことではある。
「そんなことないよー。お風呂だって一緒に入るし、お姉ちゃんをぎゅーってしながら寝るもん」
「ふ、む」
妹ということであれば、小学生程度ということもあるだろうが姉ということは最低でも玲菜と同じ年のはずである。そう考えると香里奈の言っていることはかなり特殊に聞こえるものだった。
「お姉ちゃんはねー、すごいんだよー。毎朝起こしてくれるし、お弁当だってお姉ちゃんが作ってくれるんだー」
(私も結月に似たようなことをしているな)
お弁当は毎朝ではないが、起こしているのはほぼ毎朝だ。
「姉というよりはまるで親みたいだな」
玲菜にもちろん深い意味などなく、ただ感想を言っただけだが、それが思わぬことのきっかけとなる。
「そうかもー、うちお母さんもお父さんもいないからー」
「っ………」
思わず玲菜は表情を固める。
うろたえて声もでない。
(……………)
「それは、どういう………」
それでも玲菜は何かを聞こうと口を開くが、
「もーぶちょー、うるさいー。眠れないよー」
香里奈はそれを遮るようにそう言ってきた。
「すま、ない………」
香里奈があえて遮ったのか、それとも本気で寝ようとしたのか、玲菜はそれを気にしつつもそれ以上口を開くわけにもいかずいつのまにか寝息を立てる香里奈の頭を優しく撫でた。
まるで、結月にそうするように。