ザー。

 梅雨になり毎日の雨がうっとうしくも感じる六月。

「む……」

 放課後、教科室にクラスのノートを届けた玲菜は同じ階の廊下で所在なさ気に歩く一年生を見かけた。

 ゆったりとした足取りで各部屋を覗き込んでは困ったようにその場を後にする。

(迷っているのか?)

 もう六月になり学校にはなれただろうが、今目にしている少女の様子は明らかにそれだった。

 この学校はそれなりに広く部屋の数も多い。すでに一年以上過ごしている玲菜でも名前を聞いただけではぱっと思いつかないような場所もある。

「君」

 迷っているということを判断した玲菜は少女に近づいて声をかけた。

 玲菜は基本的に結月以外に興味はない。だが、目の前で困っている人間を見捨てるほど冷酷でもなく玲菜としては親切心で声をかけたつもりだったが。

「はい? ……あ」

 少女は最初普通に返事をしたが、相手が玲菜であると気づいたからか急に緊張した面持ちになった。

「どこに行くつもりだ? 私でよければ案内するが」

「え、いえ……あの」

「私は二年だ。一通りは学校のことを把握している。遠慮せずに聞くといい」

 玲菜は別段おかしなことを言っているわけではない。というよりも普通のことを言ってはいる。

 ただし玲菜は自分が下級生にとって憧れの的になっていることを知らない。

「え、あ……だ、大丈夫、です」

 少女もまた玲菜の部活紹介で玲菜にあこがれを持った一人であるのか、その玲菜に不意打ちで話しかけられみるみる顔を赤くしていく。

「いや、大丈夫ではないだろう。見たところ明らかに迷っていたぞ」

 しかし玲菜はもちろんそんなことに気づくわけもなくさらに少女が委縮してしまうようなことを口にする。

「それは……あの……」

 迷っていたというのが事実な少女は玲菜の指摘に顔をうつむかせる。

(ふむ……?)

 玲菜は少女の様子がおかしいということには気づくもののその理由まではわかるはずもなく、

「ほ、本当に大丈夫、なので……あの、し、失礼します!」

 逃げるようにその場を去っていく少女を見つめるしかなかった。

「……また、か」

 玲菜は珍しく落ち込んだ表情をして、少しの間その場に立ち尽くしていたが軽くため息をつくとその場を後にした。

 先ほどの少女とのやり取りを思い出しながら。

「久遠寺さん」

(……別に結月以外にどう思われようとかまわんが……)

「久遠寺さん?」

(こう何度もあるとさすがにな)

「あ、あの、久遠寺さん?」

(まぁ、どうでもいいと言えばいいのだが……っ?)

 珍しく周りが見えないほど思考にふけっていた玲菜は軽く制服の袖が引っ張られるのを感じてその方角を見た。

「ん、あぁ神守か。どうかしたのか?」

「え、えと……」

 その玲菜の返答に何度も声をかけたことに気づいてないと知った洋子は

「珍しいね、こんなところにいるなんて」

 呼びかけを無視されたことをなかったことにして話を続けることにした。

「あぁ、ノートの提出に来ていてな。君こそどうした?」

「私は文芸部に行ってたの。今日が提出の日だったから」

「そういえばこの階だったな。なら、今日は来れるのか?」

「う、うん」

「そうか、なら一緒に行くか」

 そう言って二人で歩き出す玲菜と洋子。

 普段であれば二人の時は結月や他の部員ではできない二年の話題をするが、今日は玲菜がなにやら思案顔をしていることもあって洋子からはなかなか声がかけづらかった。

「あの、久遠寺、さん。何か悩んでることでも、あるの?」

 が、玲菜の様子がおかしいというのは洋子として気になることで勇気を出してそれを口にする。

「ん? そう、見えるか?」

「う、うん、ちょっと。話しかけた時も変だったし」

「ふむ……そうか。いや、そうかもしれんな」

「何か、あったの?」

「いや、大したことではないの、だが……」

 玲菜はそこで一端言葉を止め、

「……私はそんなに怖いだろうか」

 一瞬の躊躇のあと今年になってからたまに考えるようになったことを口にした。

「え? あの、どういう、こと?」

「いや、先ほど一年と話したのだが、どうにも怯えられてしまってな」

「怯え?」

 似つかわしくないその言葉に洋子は首をかしげる。

「さっきのことだけでなくたまにあるんだ。私と話していると明らかに様子がおかしくなることが。別に何かをして嫌われるのであればまだ気にしないのだが話しているだけで怯えられるというのはさすがにな」

「え、えと……それは」

 洋子は玲菜の言っていることにまるでピンとこない。というよりも別の可能性を感じている。それは洋子にも多少当てはまることなのだが。

「確かに、私は周りに比べれば背も高いし、結月には目つきが厳しいとも言われたことがあるし多少威圧的かもしれん。それに、話すのも得意ではないからな。好かれるのは難しいとわかっているが……」

 玲菜は洋子の考えるおそらく正しい可能性とはまるで別の考え、普通に考えればありえない思考をする。

「え、えと、それは、おびえてたり、怖がってるんじゃなくて、きっと緊張してただけって思う、けど」

「緊張? まぁ、そうだろうな怯えるというのは緊張しているということでもあるだろうな」

「そ、そうじゃなくて、きっとその子も久遠寺さんに憧れてたから、話すのに緊張しちゃったんだよ」

「憧れ? 何を言っている」

「な、何っていうか、久遠寺さん、すごく綺麗で憧れてる人、多いよ? 私も文芸部の一年生に久遠寺さんのこと聞かれたことあるし」

 玲菜に向けた言葉が糠に釘を打っているようなものになっている予感はするものの洋子はそれでも自分にも当てはまる理由を伝えていく。

 しかし、玲菜の反応はさらに予想の斜め上を行くものだった。

「……やめてくれ。気を使ってくれるのを否定するつもりはないが、相手を選ばなければ嫌味になるぞ」

「え?」

「私のどこに褒められる様な要素があるというのだ。私から見れば結月はもちろん、君や他の部員の者たちのほうがよほど褒められる容姿をしているよ」

「え………あ、りがとう」

 玲菜の言葉に思わず絶句をしながらも洋子はどうにかそれだけを答えた。

 洋子にとって玲菜の言っていることは違和感を通り越して異常に感じるものだった。

 確かに綺麗というのは人によって違うものだろうが、玲菜において言えばほとんどの人間の目から見ても美少女という部類に入る。だが、玲菜にはその自覚がないばかりか自分のことは必要以上に卑下している。

 それこそ謙遜を通り越して嫌味にしか思えないが玲菜が本気でそう思っていることが洋子には感じられた。

(何が貴女にそう思わせてるの?)

 洋子はそう思わずにはいられないまま、口に出すことはなく一緒に部室へと向かって行った。

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