それは香里奈の何気ない言葉から始まった。

 夏休みに入り、八月になろうかという暑い日。その日の練習も終わり、各々帰りの支度している中一足先にそれを終えた香里奈が玲菜と話しをしていた。

「ねぇねぇ、ぶちょー」

「なんだ? 香里奈」

「合宿って行かないの?」

「合宿?」

 話している玲菜が反復するが他の部員もまたその単語に反応し手を止める。

「うん、だって部活ってそういうのするでしょ。友達もしたって言ったし」

「お前の友だちのことは知らないが、そういうのは運動部とかがするものじゃないのか? というよりも私に言っても仕方ないだろう。せめて結月に言ってくれ」

「えー、でもぶちょーはどう思ってるかなーって」

(……相変わらずこいつは)

 自由な発想をしていると玲菜は思う。

 玲菜の言うとおりこんな話を玲菜にしても仕方がない。部長は結月であり、目下玲菜には何の権限もないのだから。

 もっとも、権限はなくとも玲菜が行きたいと言えばそれは玲菜の思った以上の効力を発揮するだろうが。

「私は別にどちらでも構わないよ」

 ただ、玲菜は主体性のない言葉にとどめる。

「えー、行こうよー」

「だから私にそれを言ってどうする。そもそも、行きたいといってもすぐに行けるものでもないだろう。場所なども決めていないというのに」

「場所かー、別荘でいいならあるけど」

「え? 本当!?」

 自分の用意を終えた結月が近寄ってきて、いきなり驚きの提案をしてくる。

「そういえば、海の側に別荘持ってたわよね。一回だけ私も連れてってもらったっけ」

 今度は姫乃も玲菜の元にやってきて、話題に入ってくる。

「うん、後は山にもあるけど。どっちかでいいんだったら多分大丈夫だよ」

「ふ、二つもあるんだ」

 さらには洋子も集まり、驚きを隠せずに告げる。

 結月が普通ではないということは、洋子も含め皆が薄々思っていたことではあるが改めてそれを思い知る。

「あ、なら私海がいいかなー。水着も新しいの買ったし」

 必然的に天音も集まって玲菜を中心に全員が集まる。

「えー、私山がいいなー。海は危ないからダメってお姉ちゃんに言われそうだし。ユッキーは?」

「私はどっちでもいいけど、姫乃ちゃんは?」

「私は……海かしら? 前言ったのも楽しかったし。神守先輩はどうですか?」

「わ、私は……山、かな。水着はちょっと……恥ずかしい、から」

「ちょ、ちょっと待てお前ら。合宿の話をしているんじゃないのか? 完全にただの旅行の話をしているようにしか聞こえないぞ」

 玲菜はもっともなことを言ったつもりだし、言葉だけを捉えれば玲菜が正しいだろう。

 ただ、

「え? だって、合宿ってみんなで旅行に行くことじゃないの?」

 香里奈が当然のように言い、

「まぁ、運動部ならいざ知らず文化部はねぇ」

 結月が同意し

「一応、親睦を深めるのも合宿の目的だし、旅行でもいいんじゃないですか?」

 姫乃が玲菜に対して理由を作り、

「うん。そうだよね」

 洋子がそれを後押しして

「私は玲菜先輩と旅行に行けるならなんでもいいです」

 天音がまた振り出しに戻すかのような発言をする。

「う……む」

 玲菜はその部員たちの勢いに押され困ったような頷いた。

 玲菜の認識とは違うが、ここでわざわざそれを訂正する必要はない。

(まして、部外者の私がな)

「で、ぶちょーはどっちがいいの?」

 と、我関せずを貫こうとした玲菜であるが香里奈は無邪気に訪ねてくる。

「なぜ私の意見が必要なんだ」

「だって、ぶちょーが決めてくれないと決めんないよ。二対二なんだから」

「いや、私は………行かないとは言わないが、結月に従うよ」

 それは玲菜にとって当たり前でいつも通りの意見ではある。

「玲菜ちゃんが決めてくれていいよ。玲菜ちゃんが行きたいところにしよ」

 しかし、結月は主体性のない玲菜の意見には賛同せずにそれを玲菜に求めた。

「ねー、ぶちょー山がいいのねー」

「海の方がいいですよ。私、玲菜先輩の水着見たいなぁ」

(水着………か)

 玲菜は天音の一言に目を細めてから

「そう、だな。私は山の方がいい、な」

 若干戸惑いながらそう言っていた。

「えー、海の方がいいじゃないですか。夏らしいし、山なんていつでも行けますよ」

 玲菜に賛同してもらえなかった天音は食い下がるが

「いや……その……」

 玲菜はバツの悪そうにするだけ理由を言いださない。

「ぁ………」

 そんな玲菜を見て結月はあることに気づいた。

「だよねー。玲菜ちゃん泳げないし」

(……結月?)

「え? 玲菜先輩ってカナヅチなんですか?」

「あ、いや……」

 一度、結月に目配せをしてから玲菜は歯切れ悪くうなづく。

「へー、久遠寺先輩ってそうだったんですか」

「……まぁ、な」

「わーい。じゃ、山で決定だー。わーい」

 近くではしゃぐ香里奈をみて、いつのまにか合宿という名の旅行が決まったことを不思議に思いながら玲菜は

(……結月に気を使わせてしまったか)

 と、ふがいない自分を情けなく思っていた。

 

 

 その夜。

 ほとんど毎日のように玲菜の部屋を訪れている結月は、ベッドの上で玲菜の膝枕をされていた。

「なんだか、いきなり決まっちゃったねぇ」

 手を伸ばして玲菜の頬を撫でる結月の好きにさせ、玲菜も結月の髪を撫でる。

「お前が別荘があるというからだろう」

「かもだけど、でも香里奈ちゃんが行きたそうだったしさ。それにみんなで旅行っていうのも楽しそうでしょ」

「否定はしないが……」

 玲菜は部員たちのことを気に入っている。

 こんな自分などと友だちのように接してくれるということは感謝をしているし、楽しいとも思っている。

 だから、楽しみにも思っている部分があるのは間違いない。

 自分などが年頃の女の子のようなことを普通にできるのかという疑問、資格があるのかという不安。

 そしてそれ以上にあることへの恐怖みたいなものもあったが、それは結月のおかげで多少は和らいでいる。

「そうだ。結月、今日は感謝するよ。ありがとう」

「ん? 山にしようって言ったこと?」

「……あぁ。なんというべきかわからなかったからな」

「……………………」

 玲菜が髪を撫でるのをやめたのに続いて結月も玲菜へと伸ばした手を下ろして、少しだけ目を閉じる。

「そういえばさー、玲菜ちゃんってホントに泳げなくない?」

 目を開けた結月は不必要に高い声を出して、玲菜に問いかけた。

「む……かも、しれんな」

「だよね。プール行ったこともないし。海も……入ったことないもんね」

「そうだな。確かに泳いだ経験はないな」

「あはは、学校ちゃんと行ってないからそういうことになっちゃうんだよー」

「今は、ちゃんと行っているだろう」

「そだね。うん」

 事情を知らないものにとっては首をかしげてしまうような会話。当事者である二人、特に結月はこんな当たり前のことに

(よかったよ……本当に)

 心からそう思っていた。

 

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