早朝、まず最寄駅から三十分ほど電車に乗って、そこから新幹線で二時間。さらにそこからまた三十分電車を乗り継ぎ、バスで山へと入っていく。

 最後に十分ほど歩いていくと、コテージが見えてくる。

 白い門の奥に洋風の建物。結月の家とは比べられないが、それでも一般の家屋よりははるかに大きな建物。

「はぁー、すっごいなぁ」

 結月と玲菜、姫乃以外が別荘の外観に圧倒される中、やはり香里奈が一番最初に口を開く。

「水無瀬さんのお家ってすごいんだね」

「まぁ……普通の家と比べたらそう、かもしませんね」

「その割には本人は庶民的だけど」

「別に、そんなの私の勝手でしょー」

「結月―、話すなら中に入ってからにしようよ。この暑い中、外で話すことないでしょー」

「む、そうだな。今開けるよ」

 姫乃の一言に、鍵を管理している玲菜は前へ進むと鍵を開けて中に入っていく。

「私と結月は普段の部屋を使うから、お前たちも空いている部屋を好きに使ってくれ。適当に中を見回ってもいいぞ」

「はーい」

 玲菜と同室になりたいと考える者はいたが、相手が結月とあってはそれを口にするものは出てこず皆玲菜の言葉通り適度に部屋に散っていった。

「さて」

 玲菜も部屋につくと適度に荷物を置くが、いきなりベッドに横になる結月を後目に部屋から出て行こうとした。

「あれ? 玲菜ちゃんどこいくの?」

「一応こちらがホストだからな。飲み物でも用意するよ」

「あ、じゃあ。私も」

「お前は休んでいろ。このくらい私でもできる。昨日のあまり眠れてなかっただろう。用意ができたら呼ぶよ」

「……うーん、と。わかった。じゃあ、甘えさせてもらうね」

 たまにこうして妙に子ども扱いされてしまうなぁと少し釈然としないところもあるが、結月はベッドに体を投げ出したままに頷いた。

(うむ)

 台所についた玲菜はまず冷蔵庫を確認する。事前の手配していたこともあって、十分な量がある。

 夕飯はどうするかなと考えはするものの今はとりあえずここに来た目的を果たすために冷蔵庫から麦茶とジュースを出して、食器棚からコップを取り出そうと思っていると。

「手伝いましょうか?」

 背後から声をかけられた。

「姫乃か」

「飲み物用意してリビングにでも持っていけばいいですか?」

 言うや、玲菜の返答を待たずに食器棚を開けてコップを取り出し始めた。

「そう、だが。休んでもらっていてかまわんぞ」

「いえ、手伝います。玲菜さんだけに働かせるなんて申し訳ないし」

「そんなこと気にしなくても構わんが……いや。ありがとう。助かるよ」

 玲菜は自分でも意外なほどにあっさり姫乃の提案を受け入れた。この程度のことで押し問答をすることはないというのは理由だが、相手が姫乃だというところもまた受け入れた要因の一つかもしれない。

 コップに氷を入れ、お盆に乗せてリビングに運んでいく。姫乃はその後ろから麦茶といくつかの種類のジュースを持ってそれについていった。

 台所からつながるリビングは吹き抜けになっており、各部屋がある二階の廊下から様子が確認できるようになっている。

 だが、やはり長時間の移動で疲れているのか誰もおらず無人のリビングに食器の音が響く。

「じゃあ、皆を呼んできますね」

 飲み物はつがず、コップだけを用意すると姫乃はそう言うが、玲菜はそんな姫乃を引き留めた。

「いや、待て」

「はい?」

「せっかく用意したのだから、先に二人で少し飲ませてもらおう」

 玲菜がそう言ってくれるとは思わず姫乃は胸をときめかせながら玲菜が座るイスとは対面のソファに腰を下ろした。

「ほら」

「あ、ありがとうございます」

 玲菜が用意してくれたコップを手に取り姫乃は無駄だとわかっている期待に高鳴る胸を抑えながらそれを飲む。

「ふむ。やはりこういう時は麦茶が一番だな」

「ですね。ジュースとかよりも疲れた時はこっちの方がいいです」

 それを皮切りに軽く、別荘の感想やここまでの道中でのことを話すが、姫乃が一杯目を飲み欲し、それにおかわりをつぎながら薄く笑う。

「……しかし、なんというか意外だな」

「? 玲菜さん?」

 唐突に意外などと言われて、姫乃は首をかしげる。

「いや、私がこうしたこと来るというのがだ」

「あ、あのもしかして無理やり誘っちゃいました?」

「そういうわけじゃない。ただ、去年までの私だったらおそらく来なかっただろうと思ってな」

「それは、そう……かもしれないですね」

 姫乃の知っていた去年までの玲菜であればそうだっただろう。去年までの玲菜は姉であり、親であり保護者という面が強かった。主体性なく、ただ結月のためだけへの思考回路を持っていただけだ。

「結月には変わったと言われるが、やはり君の目から見てもそうだろうか」

「え、っと。そう、思いますけど」

「そうか…」

 玲菜は今度は自分のコップにおかわりをつぎながら、安心したように言った。

 その顔は微笑んでいるというわけではないのに、嬉しそうに見え姫乃も伝播したように口元をゆるませる。

「なら、ありがとうと言わせてもらおう」

「へ? あ、あの……?」

 また唐突に意味の飛ぶ言葉を言われてしまった。

「私は今の自分が嫌いではないからな。そのきっかけをくれた君には感謝をしているよ」

「え? え?」

 まっすぐにしかも大きな気持ちを伝えられてしまい姫乃は照れるというよりも戸惑いを大きくした。

「え、っと……別に、私が何かしたってわけじゃないと思います、けど……?」

 むしろ、姫乃は逆のことを考えている。

 自分はもう何年も玲菜と付き合ってきたのに、何一つ玲菜のことを変えられなかった。結月のことだけを考える玲菜の心を少しも奪えなかった。

 なのに、部活動をしてからのこの数か月ではっきりわかるほどの変化を玲菜が遂げたというのは恋する乙女としては落ち込む限りだ。

「いや、姫乃。そんなことはない」

「え?」

 今度は名前を呼ばれ、さらに動悸を起こす。

「そうは見えなかったかもしれないが、私だって四月のころは緊張していたんだぞ。何を話せばいいのかもわからない。私がいることで結月に迷惑をかけてしまうかもしれない。そんなことを考えていたんだ」

 あくまでこれは自分がどう思われるかではなく、自分が原因で結月に迷惑をかけてしまうのではないかということではある。姫乃もそれをなんとなくは察しながらも、玲菜もそんな弱々しいことを思うんだとどこか親近感を覚えていた。

「だから、姫乃。君がいてくれてよかった。私などとこれまでも付き合ってくれていた君がいてくれたことで、随分楽だったよ。姫乃がいたから私は他の者たちともまともに話すことができた。あの日、姫乃が来てくれなかったら私は今のようになれてはいなかったと思う。今まではなかなかタイミングがなかったが、言わせてくれ。ありがとう、姫乃」

(っ――)

 玲菜の意外な一面と、それ以上にまっすぐな好意を向けられて姫乃は顔を赤くしてしまう。

 玲菜の前では極力そうした反応は避けていたはずなのに。抑えきれないほどの感情が溢れてきた。

「む。今気づいたのだが、こういう時は何か一緒に礼をするべきだったか。すまん。失念していた」

「い、いえ! 全然、大丈夫、です! から」

 高まった感情がうまく処理できず、しどろもどろな反応をしてしまう。

「いや、今回のことだけでなくやはり姫乃にはずっと世話になってきたからな。今度改めて礼をさせてもらうよ」

「は、はい! たのしみ、に、して、ます」

 ここで天音や香里奈などだったら、もっと別の反応、例えばデートなどに誘えるのかもしれないがこの時の姫乃にはそんなことにまで頭が周るはずもなく、

「あ、そ、そろそろ! みんな呼んできますね」

 と、逃げるようにその場を去ってしまうことしかできなかった。

 

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