その後も何度もジェットコースターのときのようなおかしな沈黙が訪れることがあった。いや、正確にはここに来る前、朝からこのギクシャクとした沈黙があり、それに気づいていたのは舞だけだった。

麻美には無意識の行為であり、その自然さが舞を傷つけていることに麻美は一向に気づいていなかった。

「じゃあ、先輩。次は観覧車いきましょう」

 しかし、舞は麻美が度々自分のことを見ていないことがあっても常に笑顔を絶やすことなく楽しい振りをしていた。いや、実際に楽しくはある。ただ、それ以上に傷ついてしまっているだけ。

 夕闇も迫ってくる中二人はジェラードを食べ歩きながらこの遊園地でもっとも大きな存在、観覧車へ向かっていた。

 夜にパレードも特に用意されていないこの遊園地では夕陽の訪れと共に人の姿がまばらになっていく。観覧車など待っている人なんてほとんどいない有様だった。

(……高い、わね)

 麻美は近くまで来ると改めて観覧車を見上げる。黄色や青など様々な色をしたゴンドラがゆっくりと時間をかけて回っている。規模としては標準的なものよりも少し大きいくらいだがそれでもかなりの高さを誇っていることは変わらず、麻美の心を若干ひるませた。

 正確にはこれから逃げ場のない場所で舞と二人きりになることに恐怖を感じていた。今日一日、朝からずっと恨み言の一つもこぼさずに笑顔でいることが逆に不自然に感じられていた。

(デート、ならそれが当然……なのかもしれないけど)

 確かに舞はデートといいはしたが、どういうつもりなのだろう。まさか、本気でただのデートというのだろうか。

 楓とのデートではこんな気分になることなんて一度もなかった。楓のことは何でもわかったし楓も麻美のことをすべてわかっていたから。

 今の麻美に舞の気持ちはわからない。何を思い自分をデートに誘ったのか、その間何を考えているのか、何一つわからなかった。

「先輩? ほら、いきますよ」

「あ、え、えぇ」

 二人の順番が訪れ、舞に手を引かれるまま麻美はゴンドラへと乗り込む。

「わっ、ここのはイスがふかふかなんですね」

「ちょっと落ち着かないわね」

「えー、気持ちいいじゃないですかー」

 ゴンドラの座席に互いに感想を述べると向かい合って座る。ゴンドラはゆっくりと高度を上げていき徐々に地面が遠くなっていく。

 麻美は腕を軽く自分の髪をなでながら景色を眺める。とはいってもまだ今の時点の高さでは園内が多少高い高度から見られるだけでそんなに面白いものでもなく中に視線を戻す。

 すると、麻美はここでやっと今まで元気に笑っていた舞の憂いのこもった瞳に気がついた。

「舞ちゃん? どうしたの? 疲れちゃった?」

「あ、い、いいえ! やだなぁ、疲れてるように見えました?」

「そういうわけじゃないけれど、ずっと楽しそうにしたのに急に静かになったからはしゃぎ疲れたのかなと思って」

「……楽しそう、でしたか? 今日のあたし」 

 麻美の何気ない一言に舞の雰囲気が一変した。顔を伏せ、肩を震わせてる舞に朝から感じられていた明るい様子はなくなり、むき出しの感情が表に出てしまっていた。

 すぐに何かまずいことを言ってしまったのだろうかと麻美は自分の言葉を思い返したが舞を怒らせたり、悲しませるようなことは見当たらなかった。

「え、えぇ……その、楽しくなかった?」

「あ、いいえ! 楽しかったですよ」

 

 楽しくなかったのは先輩のほうなんじゃないんですか?

 

(……ッ!!??

 舞の顔はもう笑顔に戻り、雰囲気も明るくなった。しかし、何故か麻美は舞の顔がそういっているような気がした。

 そ、そんなこというはずないわよね? 舞ちゃんが、そんなこと……じゃあどうしてそう聞こえたような気がしたの?

 実際に聞こえてもいないはずの声が頭にこびりついてはなれない。

「先輩は……」

「っ! な、なに……かしら?」

「先輩は、楽しかったですか?」

「え、えぇ。もちろんよ……」

「うそ、先輩今日全然笑ってませんでしたよ」

「そ、そんなこと……」

 なかっただろうか。わからない。笑ったという記憶は確かにないそれほどない気がする。

 ゴンドラが空へ上っていくにつれ麻美の胸の鼓動も逸っていく。

(どうして、私こんなに……)

 わからない。あせっているのか、怯えているのか、どうしてこんなに動悸がしているのか……

「先輩……先輩は、今日誰と……!!??

 ゴトン!!

「っ??!!」

 突然、ゴンドラが大きな音を立てて揺れた。

「な、何!? どうしたの?」

 二人肩をすくめて外の様子を窺うと、景色が動いていないことに気づく。

「とまった、の?」

 状況からしてそれ以外には考えられない。

「そう、みたい、ですね」

 事態を把握しても経験のない異質な状況に呑まれ麻美も舞も押し黙ったまま何故か相手のことすら見れない。

 十分もせずに地上からスピーカーで謝罪と復旧を急ぐとの旨が聞こえ、この空中の檻の中に若干の麻美は若干の安堵を感じることができた。

「……このまま、動かなければいいのに……」

のもつかの間、舞がポツリとそう漏らした。

「な、なに言っているの? そんなことなったら困るでしょ?」

「先輩が一緒なら一晩くらいかまわないです」

 舞の様子がさっき楽しそうだったかと聞いたときのように薄暗いものになった。いや、さきほど以上にも感じられた。舞は胸に渦巻く感情を抑えるためこぶしを強く握り締めた。麻美はその自分に向けられている強い想いを感じたがそれにどう対処すればいいのかまるでわからない。

「さっきの続き、聞いてもいいですか?」

「え、えぇ」

 麻美はすっかり狼狽してしまい先ほどから乾いた声どころか若干震えていた。

「先輩は今日、誰といたんですか?」

「な、なに言ってるの。ずっと舞ちゃんと一緒にいたじゃない」

「……いませんでした……先輩はあたしのことなんてほとんど見てなかったです。ずっと遠い目をしてて……あたしじゃなくて、誰かに見立てたあたしといたんですよ先輩は……」

「ぁ…………」

 心当たりはある。あるどころじゃない、別に舞を楓と思ったわけじゃない。でも、何度も楓のことを思っていたのは本当。

その度に舞がさびしそうにしていたのに気づいていなかっただけ。

「誰、じゃないですよね。楓さんと、いたんですよね……。……先輩、せんぱいはあたしのこと、好きですか?」

「え……そ、それは……」

 麻美は口ごもる。

 舞のことは決して嫌いではない。純粋な後輩としてみれば好きといえる部類に入るだろう。しかし、そんな好きなどここでは意味をなさない。

 それくらいは混乱した頭でもわかった。

「いいです、答えてくれなくても。あたしは、好きです。大好きです。先輩のこと、会ったときからずっと好きでした。研修であたしに色々教えてくれたときも、会社で面倒みてくれたときも……………この前の夜も。ずっと好きで、ずっと先輩を見てて……でも、先輩はあたしのことちっとも見てくれませんでした」

 自分じゃない、誰かがいる。そんなこと話をしてすぐにわかった。わかってしまった。誰よりも麻美のことを好きで、わかりたかったから。

「当たり前ですよね、先輩の中には楓さんしかいなかったんですよね」

「舞、ちゃん……」

「あたしそれでもよかったです。先輩が楓さんのことしか見えてなくてもあたしのこと好きじゃなくても一緒にいられると嬉しかったです。この前のことだって……例え誰でもよくても、あたしは……あたしは先輩を感じられたのが嬉しかったです。今日も……先輩の中にあたしがいなくたってあたしは……うれし……か、った」

 嬉しいと何度つむぐのとは逆に声は震え、顔は歪み、今にも泣き出してしまいたかった。

「…………」

 知らなかった、気づかなかった。知ろうとも、気づこうともしていなかった。舞の言う通り麻美の心には楓しかいなかったから。

「舞ちゃん……」

 ごめんなさい。

 そんな言葉が今の舞に意味あるのだろうか。

 あのことに気づいたとき自分のことがこれ以上ないほど最低で醜悪で、生きる価値すらない人間だと思った。無理やりに、しかも他人を思いながら体を重ねるなんて。

だが、それだけじゃなかった。自分を好きだという人と体を重ねながら、自分が別の人を想っていた。

人が人にする行為の中でここまで残酷なことがあるだろうか。

「まい、ちゃん……」

「えへへ、先輩……さっきからそればっかりですよ」

「え、あっ」

 舞は心では泣きながらも麻美に笑いかけた。

(…………舞、ちゃん)

 舞は麻美が到底推し量ることができないほどに傷ついている。しかし、それでもそれを表に出すことなく今も自分よりも麻美に気を使おうとしていた。

 真っ先に浮かんだのは、舞から遠ざかりたいということ。ここが地上から遥か上空だとしてもドアを突き破ってでも舞から逃げたかった。

 だが、そんなことできるはずもない。いや、したくなかった。してはならなかった。

 しなければならないのは、逃げることじゃない。舞と真摯に向き合うことだ。それが、せめてもの償いだと思う、から。

「舞ちゃん…ありがとう。舞ちゃんの気持ち……すごく嬉しいわ。でも……私は……まだ……楓のこと……」

 …………まだ?

 それを言葉にした瞬間、言葉にはできない絶望が体に入り込んできた。

 いつまで? いつか楓のことが忘れられる日くるっていうの? そんな日が来るの? 

来てしまうの?

 確かにまだたった一週間しかたっていない。けど、そんな日が来るなんて考えられなかった。

哀しみは癒えることなく、その哀しみは舞ちゃんを果てしなく傷つけ哀しみの連鎖が生まれ、それが今、ここにまで続いている。

 戻れないときを想い、焦がれ、叶うことのない想いを抱いたまま、もう私のものにならない楓のことに縛られ続けたまま、いつまで生きていかなきゃいけないの?

「いいんです。わかって…ました…から、すみません、困らせちゃって、気にしないでください、忘れていいです。あたしも、意識したりしませんから」

 舞はにぱっと元気よく笑った。見てるだけで胸がしめつられられるような崩れた笑顔だった。

(私は、何をしているの……? もう楓はいないのに、遠くにいってしまったのに。いつまでも楓のことを引きずって舞ちゃんを、私を好きだといってくれる人を傷つけて続けている……)

「私は……何、してるのかしらね?」

「先輩?」

「もう楓がいないだなんてわかってるのにね……なのに楓のことしか考えられないなんて……」

こんなことを言ってどうするつもり? 楓のことが好きで、忘れられないからごめんなさい、許してとでもいうの?

 言い訳にすらならないわよ。

麻美も顔を伏せたまま押し黙り、舞は麻美のことが見れないのか切なげな目で外を眺めていた。

重く、苦しい沈黙。このゴンドラという空中の密室では一切回りから干渉を受けることなく息苦しい空気が吐き出されることなくどんどんと溜まっていく。

「私は、この観覧車と同じなのかもしれないわね」

 沈黙に耐え切れなくなった麻美はポツリと口を開いた。

「動かなきゃいけないはずなのに、いつまでも同じところに……楓がいた時に止まろうとしてる。滑稽よね」

 もう、私のいる場所に楓はいなくて楓へとつながる道すらなくなっているのに、そのなくなってしまった道をいつまでも見つめている。

「……いいんじゃないですか? 止まったって」

「え……?」

「ずっと歩いてる必要なんてないじゃないですか、たまには立ち止まって周りを見てみるのだっていいと思います。だって、ほらっ」

 舞は舞台役者のように腕を薙いで外を示した。

「こんなに、綺麗な景色が見られることだってあるんですよ」

 舞の手の先には街の光が煌々と輝き、星空を地上に落としたような美しい景色が広がっていた。まばらに光があるのではなく、連なっている様はまるで天の川だ。

「案外、この観覧車だってこれが見たかったから止まったのかも知れませんよ?」

 元気よく笑う舞に麻美は口元に薄く笑みをたたえた。

(舞ちゃんだってすごくつらいのに、私のこと元気付けてくれてるのね……)

「舞ちゃん、ゴンドラは私たちがいるところだけじゃないのよ?」

「あっ、そ、そうですよね」

 恥ずかしそうにする舞が何故か異様に愛しく……

(いえ、可愛く、ね)

 異様に可愛く思えた。

 ガクン!!

 止まったときのように大きな音を立ててゴンドラが動き出した。ゆっくりと、しかし確実に観覧車は進んでいく。それに伴い、景色をどんどん姿を変え、天と地両方の星が流れるように動いていった。

 ……立ち止まって周りを見てみれば、すぐ側には自分を好きだといってくれる後輩がいた。

(私も、歩いてみようかしら)

 止まってしまった私の時間を動かしてみよう。

 楓のこと振り切るにはきっと何かきっかけが必要で、舞のさっきの言葉は麻美を縛る鎖を少し緩めてくれた。それはまだダムに空いた小さな穴のようなのかもしれない、しかしそれはきっと麻美にとって大きな意味を持つものだった。

 楓のことを好きじゃなくなるわけじゃない、安易に舞のことを受け入れるわけじゃない。だけど、少しだけ歩いてみよう。そこに何がまっているかわからなくても

 麻美は年上特有の優しいまなざしを舞に送った。

(こんな私を好きだなんていってくれて、こんなにも想ってくれる可愛い後輩もいるんだからね)

「っ!?

 麻美は舞の頭にそっと手を乗せた。

「舞ちゃん、私、今はまだ楓のことが一番好き。愛してる。……もしかしたらずっとそうかもしれない。でも、舞ちゃんのこと、もっと知りたい。舞ちゃんと歩いて、みたい。そういったら、迷惑、かしら?」

「そ、そんなことないです!

「……ありがとう」

 麻美の言葉は決して舞に嬉しいばかりのものではないはず。他に好きな人がいるのに付き合おうといっているに等しいのだから。

しかし、舞は傷つきながらも麻美の言葉が嬉しかった。好きな人に、一緒に歩きたいといってもらえるのは望外の喜びだった。

「今はまだ先輩の中にあたしがいなくてもいいです」

 内容自体明るいことではないが、舞は強気に笑った。

「だけど、覚悟しててください。いつか、絶対にあたしのことを好きになってもらいますから。絶対、ぜぇーったい! あたしのこと一番になってもらいますから!

 不敵に笑みを浮かべた舞はそのまま

「ぁ……」

 麻美にキスをした。

 

前編

ノベル/ノベル その他TOP