「はい、理々子さん」
今日も美織は図書館を訪れる。
初めて、お弁当を作ってきたその日から、朝渡すかどうかの差はあってもお弁当を渡さなかった日はない。
「ありがと、美織。一緒にたべてく?」
「うん、今日はそのつもり」
美織が一緒にお弁当を食べるかどうかは美織が自分の分を持ってくるかどうかということもあり、それほど多くはないがこうして二人で食べるのも二人にとって大切な時間となっていた。
「あ、そうだ。今日の晩御飯は何がいい?」
そろそろ二人で暮らし始めて長くもなっていて会話も所帯じみたものになってくる。
「んー、なんでもいいけど」
「なんでもいいっていうのが困るんだけどなぁ」
今日は図書館の中にある休憩室に陣取って、美織は困ったようにしながらもどこか楽しそうにいった。
「あらら、なんか奥さんみたいなこというね」
「だって、気を使うよ。なんでもいいっていうの逆に」
「そういうものかしらね。んー、でも最近美織も料理上手になってきたし、ほんと何でもいいわよ。美織の作ったものなら」
「あ、ありがとう」
まるで恋人にのろけるかのように言われてしまい美織は若干頬を染めた。
「じゃ、じゃあ頑張っちゃおうかな。理々子さん、今日もいつも通りくらい?」
「ん、多分。特に忙しかったりもしないし、そうだと思うわ。遅れるようだったら連絡するから」
「うん、わかった」
たいしたことのないお昼の時間に、他愛のない約束。
それでも二人は楽しかった。
「………………さむ」
駅から降り立った美織はそう白い息を吐いた。
「美織……」
それから家で待っているはずの相手の名を呼び時計を見つめる。
時計の針はすでに二十三時を回っている。とてもこれから家に帰って夕飯という時間ではない。
予定外のこととは起こるものだし、不幸な偶然はえてして重なってしまうもの。
同僚が早退してしまい、その仕事をするはめになったと言うのは事実であるし、社会人である以上よほどのことがなければこういう時、嫌だとは言えないもの。
だからそこは仕方ない。
しかし、まずかったのは携帯の充電が切れてしまっていたことだ。図書館に電話はあるが、私用の電話を緊急でもないのに使うわけにもいかなかった。
(美織、もう寝てるかな)
美織の夜は早い。居候ということもあり元々遅くまで起きてはいない美織だったが、お弁当を作るようになってからは日付が変わる前に寝るのは当たり前になっていた。
美織はすでに寝てしまっているかもと思いつつも、理々子は冷たい空気の中を早足で家路を行った。
罪悪感にも似たものを感じたまま理々子はいつもよりはるかに短い時間でマンションの部屋の前まで、鍵を開けようとするところで動作が止まる。
(……約束、破っちゃった)
理由はある。自分に落ち度があったとしても、言い訳としての理由はあるが、理々子はいざソレを考えると苦虫を噛み潰したような渋い顔をした。
(明日、ちゃんと謝らなきゃ)
約束を破る。それは、罪にも等しいことなのだから。
「……ただいま」
罪悪感と時間から控えめにただいまといった理々子は、
「おかえりなさい!」
早足でキッチンから出てきた美織を見て驚愕する。
「み、美織!?」
「よかった、なにかあったのかと思っちゃった。理々子さん連絡するって言ってたのに、電話もなにもしてくれないんだもん」
「あ、ご、ごめんなさい携帯の充電切れちゃってて……」
「そうなんだ。これから気をつけてね」
「え、えぇ」
美織の様子に面をくらいながらとりあえず中に入っていった理々子は小さくなかった罪悪感をどんどん膨らませていって、
「でもよかったー、理々子さんに何かあったんじゃなくて」
「っ……え、えぇ。心配させてごめんさっ!?」
キッチンに入ったところでそれが最高点に達する。
キッチンに隣接する部屋にある、小さな背の高いテーブルに二つのイス。そのテーブルの上には
「あ、ごはんは、食べちゃった、よね。こんな時間だし」
手付かずの料理が残っていた。
しかも普段よりも品数が多い。
(あ……私……)
体が何か深いところに落ちていくような気がした。
遅くなればご飯は先に食べていいといってあるし、普段ならば連絡せずとも先に食べちゃったということも少なくはなかった。
原因は昼間のことだろう。聞いたりはしないが確信もある。わざわざ約束もして、遅れるなら連絡するとまで言って……
(美織は……まってたんだ)
ちくりと痛み始めていた胸は引き裂かれそうなほどになっていた。
「美織」
「え? あ、ちょ、え!?」
「……ごめん」
「あ、あの理々子、さん? わっ!?」
何がそうさせたのか理々子は美織のことを抱きしめていた。
頭を抱えるようにして胸に顔をうずめさせる。
「ごめん、連絡するって言ったのにね」
「あ、で、でも充電切れてちゃしょうがないし……」
「それでも連絡しようと思えば出来た、ごめん」
もういちど、ぎゅっと美織のことを包み込む。
「べ、別にそんなに気にしてないってば!! あ、そ、そうだ理々子さんは帰ってきたんだし、私も食べちゃうね。暖めなおさないと、っ!?」
抱きしめられるというのがあまりに予想外だったのか美織は突き放すような感じで理々子から離れようとしたがその手を取られる。
「私がする。一緒に食べよう」
「え? でも……」
「そうさせて」
最初美織を抱きしめたのは罪の意識からだった。
しかし今は違う。美織と一緒にご飯が食べたいという欲望にも似た気持ちだった。
その後、少しだけ言い争いというかどちらも私がすると言い出したものの結局二人で夕食の用意をしなおして、不思議といつもよりも会話の弾む遅い夕食をとるのだった。
美織が床につくのは早い。居候の身分で遅くまでテレビやパソコンを使うわけにもいかないし、朝は理々子よりも早く起きる必要があるため早く寝ようとは思うのだ。
(…………)
しかし、ここ最近布団に横にはなってすんなり眠れた日はない。
この日、食事の片付けは理々子がやると聞かず美織はお風呂に入った後すぐにこうして部屋で横になったのだがいつものように自分の世界に入る。
(理々子さんは、ほんと、いい人だな……)
この日、約束を破られた上に何時間も待ちぼうけをくらったのに美織はそう思っていた。
もちろん、約束を破られたことには憤りとまでは言わなくても怒っていたし、悲しかった。
理々子本人にはとてもいえないが、昼間褒められたのが嬉しくていつもよりも頑張った。これまで理々子がおいしいといってくれたもの、自分で得意だと思うもの、理々子が好きなもの、理々子にまた褒めてもらいたくて頑張ってた。
中々帰ってこないときには最初怒って、心配に変わって、寂しくもなって、浮かれてた自分が恥ずかしくなったりなんかもした。
理々子が帰ってきて、抱きしめられたときにはほんとに驚いた。
同時に理々子が本気で悪いと思ってくれたということが痛いほどに伝わってまた、嬉しかった。
こんな自分に理々子は本気の感情をぶつけてくれる。置いてくれているというだけでも普通はありえないことだというのに、今となっては本当の姉のようにすらなってくれている。
(……理々子さんが、本当に家族だったら)
それはもう何度も何度も思っていたこと。初めは本当にただの夢のように考えていた。だが、今は本気でそうだったらよかったと思う。
だが、それと同時にもう一つ、思ってしまっていることもある。
ここに来た当初は、いつか理由を言わなければならないと思っていた。いつかここから出て行かなければいけないと考えていた。
しかし今は
「……ずっと、ここにいたいな」
そんなの現実的でもなければ、願いですらないかもしれない。本当に夢のような話だ。
「……………」
それを考えると胸が痛くなる。
そんなのは絶対に不可能だから。ありえるはずのないことだから。
「………理々子さん」
それをわかっているから、現実感のかけらもない夢から逃げるように都合のいい夢の世界へと落ちていくのだった。