闇の中を美織はある場所へと歩いていく。

 電気をつけずとも、ほんのわずかな夜の光だけで美織はその場所へと向かっていける。

 たぶん、目をつぶっていたってそこにたどりつくことはできると思う。

 それほど、美織はこの部屋を訪れているし、こうして闇の中歩くのも初めてじゃない。

(あぁ……また、来ちゃった……)

 時刻は午前三時。

 一番闇が深くなる夜明け前の時間。

 外からも、家の中からもほとんど音が消えて自分が出す音だけが世界に存在するかのような錯覚を受けるような夜。

 美織は異世界のような時間の中、目的の場所、理々子のベッドへとたどり着いた。

 明日が仕事ということもあり、理々子は暖かそうな布団に包まれながら健やかな寝息を立てている。

「……………」

 美織は闇の中で薄っすらと浮かぶその寝顔を複雑な表情で見つめていた。

 今は午前三時。普通は起きているような時間ではない。このために起きていたというわけではないが、それに近いものはある。

「………理々子さん」

 手を、取ってしまった。

(あったかい……)

 幸せを感じるぬくもり。それだけで美織は笑顔になるが、

「…………」

 すぐにその表情を沈める。

 自分が勝手なことをしているという自覚は、思いの外重いもので美織の心にのしかかってくる。

 それでも、手を包み込む美織は好きな人のぬくもりを求めた。

 

 

 最初は意図してしたことではなかった。

 理々子への思いに翻弄されながらも、自分のやるべきことはきちんとこなしている美織は、その日たまたま遅くまで勉強をしていた。

「あれ? 理々子さん、起きてるのかな?」

 そろそろ寝ようかと、自分の部屋に戻ろうとしていた美織は理々子の部屋から光が漏れているのを見つけた。

(明日は、お仕事があるはずだけど)

 もう三時近くとなっており、翌日が休みでもないのに仕事を抱える社会人が起きている時間ではない。実際、美織がここにきてからこんな時間まで起きていた理々子は一度も見たことがなかった。

「理々子さん? 起きてるの?」

 半開きだったドアを開け、中に入っていった美織はある意味予想もしていたものを見つける。

「あ………」

 美織は見たのは、電気を消さずベッドで寝入ってしまっている理々子の姿だった。理々子に似合う深い緑のパジャマを着て、ベッドの掛け布団の上で寝息をたてている。

 掛け布団の上にいるというのは、寝るつもりはなく横になったがそのまま寝てしまったということなのだろう。

「……もう、風邪引いちゃうよ」

 と、無防備な姿をさらす理々子の元に近づくと、どうにか理々子の体に布団をかける。

「やっぱり、疲れてるのかな?」

 アルバイトすらしたことない美織には想像もできないが、社会人になればその対価に応じた負担、ストレスがかかってくるものなのだろう。

 それに加え、美織に対する責任も負っている。それはある意味本当の子供を育てるよりも重圧があることなのだろう。

 そして、美織は知る由もないが、理々子が美織の気持ちにどう向き合えばいいのかわからずにいるということも、いやそれこそが今の理々子の一番の心労になっていることなど美織は知らず、自分の想像できる範囲の心配しかできない。

(にしても、起きないものなんだ……)

 一度、下になってた掛け布団ととってからまたかけなおすだけの作業ではあったが、人一人が乗っていることもあって結構重労働だったし、理々子の動きも激しかったはず。

 だが、理々子はまるで意に介さぬように変わらず寝息を立てていた。

 無防備で、記憶も残らない姿をさらしているだけだった。

(やっぱり、綺麗……)

 そんな理々子を見て、美織は素直にそう思う。

 憧れだ。すべてにおいて。

 憧れで、焦がれていて、好きで、大好き。

「……………好きだよ、理々子さん」

 小声でつぶやくその姿はどこか寂しそうだ。

 それも仕方ない。

 以前、美織はもっと自分を見てもらえるようにと決意した。

 だが、姉と妹という関係は変わっていない。進んでもいないかもしれない。

 何もしてこなかったわけではない。

 言動は、少しだけ意識してもらえるようなこともしたし、休みに出かけるときは必ずデートと言うし、一度だけ勇気を出して一緒に寝たことだってある。

 だが、何を言っても、何をしても理々子は美織の行動を妹としてしか捉えてはくれなかった。恋人とはまったく意識もしてもらえず、せいぜい妹が可愛いことを言ってるな程度にしか思われていないのだと、美織は感じていた。

 すべてが妹だから許されているような気がする。いや、実際そうなのだろう。妹だから何を言っても許されるのだ。そういう対象としてまったく見られていないから、何を言っても理々子は笑ってくれるのだろう。

「…………」

 何度か考えていることを考え出した美織はだんだんと気持ちが沈んでいくのを感じ、その沈んだ心は時として思わぬ行動をさせる。

「……やわらかい、な」

 美織は理々子の唇をそっと指でなぞっていた。

 それから、その指を口元に持っていっては

ペロ

 と、無表情のままにその指を軽くなめた。

「……………」

 初めてキスをしたときもそうだったが、美織は嬉しいとも申し訳ないとも思っていなさそうな固まった表情でそれを行い、終わった後は理々子をその表情のまま見つめる。

(このままじゃ、ずっと……妹のまま……)

 それは嫌だとはっきり思う。

 だが、気持ちを伝えて拒絶されればもうここに、好きな人と一緒に暮らすことなどできなくなるのは明白で、結局は勇気がないまま美織は同じところに立ち止まっていた。

 

 

 それから美織はたまに、理々子の部屋を訪れるようになっていた。

 自分では、たまたまという風を装ってはいる。

 珍しく遅くまで勉強をして、たまたま理々子がすでに眠っている。そんなときを狙って美織は理々子の部屋を訪れる。

 電気をつけることもなく、ベッドに寄り添っては理々子のぬくもりを感じる。

 手を握ることもあれば、ほっぺを触ることもある。

 ほんの少しの間ではあるが、ベッドに入り込みもしたし、キス……もした。

 そんなことしてはいけないことなのだろう。

 承諾もなしにキスをするということではなく、ベッドに入ることも体に触れることも、そもそも部屋を訪れることも。

「でも……」

 美織は布団の中には入らずにベッドに横になって理々子の寝顔を見つめながら小さな声を出していた。

(理々子さんの前で、妹じゃない私になれるんだもん)

 寝ているとしても、気づいてもらえないとしても妹としてしか見られていない好きな人の前で妹ではなくなれる。

 ただの自己満足だとしても美織はそれを幸福に感じていた。

 そんなことを幸福に感じることに、寂しさは覚えても

「……理々子さん」

 こうして、好きな人のぬくもりを感じられればその寂しさを心の片隅に追いやることが出来る。

 それがいけないこととわかっていながらここに来てしまう理由だ。

 こういうもの悪循環というのかもしれない。

 後ろめたいことをして、それを自分の中で少しでも正当化するため、この嬉しさに浸る。それが罪悪感につながってそれを忘れるため、また理々子を求める。

「理々子さん……」

 手を伸ばして、頬をなでる。

「好きだよ、理々子さん……」

 油断すれば泣いてしまいそうな声で理々子を求めた美織は

「……んっ……」

 口付けをしてしまった。

「………………」

 キスももう何度目か。

 キスをした後は必ず美織は表情を固まらせる。こうして、ベッドに忍び込んで手を握ったり、頬に触れたりするのはいけないことかもしれないが、してはいけないこととまでは言わないだろう。

 だが、キスは違う。こんなのはしてはいけないことで、それをしてしまうには感情を揺らしてはできない。

「…………おやすみ、理々子さん」

 そして、キスの後にはいつも決まったように言って部屋を去っていくのだ。

「………おやすみ、美織」

 理々子が起きていることもあるというのにも気づかずに。

 

 

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