美織の【夜這い】には最初から気づいていたわけではない。もっとも、理々子からすれば気づいていないときのことはわからないのだから、気づいたときの夜這いが最初ということもあったのかもしれないが、理々子にとっての初めてが、美織の初めてでないことを理々子は確信していた。

 理々子が美織に気づいたとき、美織は理々子に覆いかぶさりながら顔を寄せていた。

 一瞬、何事かとも思ったが

「……好きだよ、理々子さん」

 と、寂しそうな声が聞こえた途端、心と体は縛られた。寝ているふりをしなくてはいけないと感じた。

 今ここで起きてしまえば、美織がいなくなってしまうような確信と、もう一つ……それに伴う自分の意志の弱さに苛まれてしまいそうだったから。

 どうすればいいかわからない理々子だったがその日は、そのまま美織は何もすることなくしばらくすると部屋から出て行った。

 安心したといえばそうだが、美織の行為を知ってしまった理々子は自分の悩みがさらに深いものになったことを自覚してしまう。

 美織が妹以上を望んでいること、それはとっくに知っていたがその気持ちがどんどん膨らんでいることを理々子は知ってしまって、知ってしまった以上それに対するリアクションをとる必要に迫られる。

 そのリアクションとは……美織を妹としてみることだ。気持ち知っていながら、それ以上を望んでいることを知りながら、気づかないふりを、見ないふりをして姉として振舞うことだ。

 美織からすれば、何も変わらないだろうが理々子はその選択が自分に対してどれだけの重荷になるかを知っていた。

 美織の気持ちにまっすぐ向き合うことを忘れ、気持ちを知っていることを隠して便利に美織を使っている。

 理々子からすればそういう見方もできてしまい、その罪悪感も重なって美織の夜這いを理々子は受け入れ続けている。

 このままじゃ、いつかその重さに耐えられなくなるときが来ると知っていながら、美織に告げることもできず時間だけを経過させていく。

 その時間の経過が美織に対する重荷をさらに大きくすることを知りながら、そうするしかできないでいた。

 

 

 例えば、小学生で一緒に遊んでいた少し年上と友達が中学生に上がって制服を着てたりすると何故かとても遠く感じてしまうことがある。実際にそこまでの年の差がなくとも、自分が届かないところにいるというだけで人はその人を実物以上に見てしまうことはよくあることなのだろう。

 美織からすれば、理々子は憧れの存在であり、美織の理想とする強くて優しい女性なのだろう。

 だが、美織と比べればともかく理々子もまだまだ人生経験豊かといえるほどでもない。美織が気づかない理々子の弱い部分などいくらでもあるのだ。

「めずらしいな。川里が誘ってくるなんて」

「急ですみません」

「別に予定があったわけじゃない。ただ、めずらしいって言いたかっただけ」

 休日前の就業後。理々子はめずらしく、というよりも初めて先輩である瑞希を自分から食事に誘っていた。

 理々子自身突発的なことでもあったので、近場の洋食店に入っていた。

「で、美織ちゃんと何かあったわけ?」

「っぶ、は!?」

 軽く最初の一杯を口にしていたいきなり核心を付かれて飲んでいた飲み物を噴出しそうになった。

「な……」

「あんたが自分のことで人に相談したことないでしょ。で、今の川里が人に相談したいほど自分以外のことで悩んでるとすればあの子のことくらいなんじゃないの?」

 確かに、その通りかもしれなかった。美織は自分に関する悩みをほとんど人に話すことはない。

 そういう相手がいないわけではなく、悩みというものは弱みともいえるものでそれを人に話すのを理々子は苦手としていた。

 もっとも、弱みを見せられる相手がいないという意味では悩みを相談できる相手がいないと言ってもいいのかもしれないが。

「……そう、ですね」

 手にしていたグラスをテーブルに置くと理々子はしばし考え込む。

 【夜這い】や、これからのことに関して本気で悩んでいたのは事実でそれに関し何かしら自分以外の意見を欲していたのも事実ではあるが、軽々しく美織の気持ちを人に話していいものなのかわからない。というよりも、話してよいことではないのだろう。

(軽々しく……じゃないけど)

 そう軽くなど考えてはいない。そもそもそんな風に考えられるのであればこんなに本気で悩んだりなどしないし、瑞希に意見を求めたりもしなかったはずだ。

 とはいえ、美織のことと見抜かれてしまっている以上それを話すというのは、美織の気持ちを話すということでもありそれもまた軽々しくできることではない。

(……それに、聞いてどうする気なのかしら? 私は)

 これは理々子が自分でも嫌いだと思う部分の一つだ。

 悩みを抱えて、誰かに打ち明けたいと思い、でも、話してどうなるのかと、結局は何も変わらないのではと、そんなことが先に来てしまいいつも誰にも話さないのだ。

 話せないのではなく、話さない。

 それが理々子だ。

 まして、今回も結論のようなものはすでに自分の中にあるというのに。

「……で、なんなわけ?」

 理々子がいつまで経っても切り出さないのに焦れたのか、瑞希は多少語気を強め、理々子を促そうとする。

「あ……」

 だが、理々子は気まずそうにうつむいてしまった。

 こんな理々子を美織が見たら驚くだろう。理々子が美織の前で見せている姿とはあまりに違う。もしかしたら嫉妬をするのかもしれないが。

「はぁ……。川里? 私はあんたに呼ばれたのよ? 用があるのはあんたのほうでしょ」

「…………はい」

 それでも理々子は動かない。自分の弱さに下を向き続けるだけ。

(その通り、なのよね。用があるのは、こっち)

 話そう、話したいという気持ちがあったからこそ、こうして逃げ場のない状況を自分で作り出したのだ。

 それに、美織に対し少しでも罪悪感があるのなら、ここはやはり理々子から動かなければいけないのだろう。

「……先輩は、美織の、こと、どう思いました?」

(って! なによこれは)

 どうにか悩みに類することを口に出来たもののあまりに本筋から離れすぎている。

 これもまた理々子の悪い癖だ。察してもらいたいと願ってしまう。直接はいえなくとも、察してくれたらと。

 こんな意味わからない言い回しじゃそんなことできるわけもないとわかっているのに、弱さが勝手に口を動かしてしまう。

「……それが悩み、なの?」

 予想通りに瑞希は、困ったような呆れたような声を返してきた。

「あ、えと……」

 否定も肯定もできず、何バカなことを言ってしまったのだろうと自己嫌悪になりそうになったが瑞希の次の一言に目を丸くする。

「要は、あの子の気持ちにどうこたえればいいのかわからないってこと?」

「え?」

「それとも、答えは決まってるのにどういえばいいのかわからないのかしら?」

「あの、先輩?」

 まるで心を見透かされたかのような瑞希の言葉に理々子は驚きを通り越して、頭の中を疑問符で埋め尽くしていった。

 すると、瑞希はすっ、っと目を細め

「半分はかまかけただけだけど、どうも当たってるようね」

 といった。

「ど、どういうことですか」

 それでもまだ疑問が解消されない理々子は少し身を乗り出すように瑞希に詰め寄る。

「川里があの子にどう答ええようとしてるまでは知らないわ。でも、美織ちゃんが川里をどう思ってるかなんて簡単でしょ?」

「簡単、です、か……」

「そう。川里は私と話してたから気づかなかったのかもしれないけど、あの子一緒に食事してる間ほとんど川里のこと見てたわよ。大好きなお姉ちゃんを盗られたっていう顔じゃなかった。それに、わざわざ川里が人に相談しようとするくらいなんだからそのくらいは想像できる」

(美織が……?)

 瑞希に見抜かれたということもさることながら、美織があの時に自分のことばかりを見ていたというところに理々子は驚きと同時に、自分の中にある揺らいでしまいそうな決意を固める。

「それに、川里のさっきの様子からすると、相談はどう断ればいいのかっていうことなのかしら?」

「っ!!」

「……あんた、少しは隠す努力をしたら? 断る気がないのならそもそも相談する必要はないでしょ?」

「っ………」

「で、そうなのよね」

 また目を細めた瑞希はグラスを理々子のほう掲げ、はっきりしろという意志を投げかけてきた。

「……はい」

 そして、理々子は初めて音にしてそのことを実感ことになる。

 

 

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