「……………はぁ」

 美織はため息をついていた。

 一か月に一度の帰省。

 いつもなら、久しぶりの家族との団欒を笑顔で過ごす。勉強は今どんな感じだとか、こっちではどんなことがあったのかとか、理々子とはどうなのかなど話す話題は尽きなくて、茜のいる土日だけの予定がそのまま一週間近くもいたこともある。

 だが、今回は

「…………はぁ」

 これまでであれば家族の誰にようがあるわけでなくとも、適当に家をうろついていた美織だが、今は自分と茜の部屋でベッドに横になりながらため息をつくだけだ。

「お姉ちゃん、どうか、したの?」

 そんな様子を見せつけられる茜は心配そうに声をかけるが、

「ううん、何でもない」

 妹にだけは強がりを見せ、笑顔でそう言った。

「…………あの、お姉さんと何かあった、の?」

 しかし、帰ってきてからずっとこの調子の美織に茜はそれを確信していた。

「っ。そんなことないよ」

 ベッドに横になる美織は茜から顔をそらしたまま、思いつめた顔をする。

(………まだ、ね)

 心で悲しそうにそうつぶやきながら。

 そう、まだ、だ。まだ、何かがあったわけではない。何かがあるのはこれからで、何かを起こすのも自分なのだ。

(………理々子さん)

 そして、その何かの結果をほとんど予測してしまっている美織は顔をベッドに沈めた。

 予想は、ついている。

 これまでの理々子の態度、決意をしてからの理々子のごまかし。なぜ、言葉を遮られてしまったのか、考えれば簡単に答えに行き着く。

(……駄目、なんだろうな。きっと)

 無意識にベッドのシーツをぎゅっと握る。

「お姉ちゃん………?」

 それに敏感に反応する茜は、少し悔しそうに姉を見つめる。妹である自分が、理々子に負けているということをなんとなく思ってしまっている茜はなんでもないとかわされることに臆病になってそれ以外が言えなかった。

「…………………」

 自分のことに精いっぱいな美織ではあるが、一緒の部屋にいる茜の声を耳に入ってきてしまう。

 心配させていることをわかりながら、そんな心配をしてくれる妹に何も話そうともしない。

 それが悲しいことだって実感しているはずなのに美織は茜に何も言えなかった。

(……何、してるんだろ)

 このままここでこうしていても、妹を心配させ、さらには傷つけるだけ、だ。

 その程度にしか考えず、

「お姉ちゃん?」

「ちょっと、出てくるね」

 必要最低限のものだけを持って美織は部屋を出て行った。

 初めて家出をしたときも、こんな気分だったのを思い出しながら。

 

 

 出かけるといってもどこかに行くところがあるわけではなく、美織は目的なく家の周辺を歩いていた。

「はぁ………」

 やはり止まらないため息をつきながら。

(………家に帰るなんて言ったら、理由聞かれちゃうんだろうな)

 とぼとぼと歩きながらも思考は常に理々子関係のことになってしまい、勝手に気分が落ち込んでいく。

 ことが終わった後、まともでいられるとは思えないし、それ以前に学校までやめて理々子のところに転がり込んでおきながら戻ってくるなんて親不孝極まりないし、親や茜だって理由を考えずにはいられないだろう。

 そして、その本当の理由がばれることはないとしても、親や茜が理々子に対し悪いイメージを抱くことは間違いない。

 大好きで、憧れで、目標の相手が家族にそんな風に思われるなど、耐え難いことではあるが、告白の後一緒に住めるほどの勇気があるわけがなかった。

(………でも)

 それ以上に、【今】を続けていくことは耐えられない。

 もう美織は理々子が自分を受け入れないのだろうと、ほとんど確信している。

 このまま何も言わず、何もせずに【妹】として過ごしていくのであれば、理々子が美織を避けるようなこともないだろうし、大学に上がるまで、上がったあとですら一緒に過ごしていけるのかもしれない。

(……それも、考えた、けど………)

 今からでは無理かもしれないが、少し前なら……告白しようと決める前であればそうできたかもしれない。あと、数年は好きな人と一緒に暮らしていけたのかもしれない。

 もしかしたら、その間に理々子が自分を好きになってくれることもあったかもしれない。

 その数年の間に自分の中で心の整理がつくかもしれない。

 そんないくつもの可能性は考えた。

 だが、それでも美織は今を選んだ。

 【妹】として過ごして、あるかもしれない何かよりも、そうやって過ごすことで一番あり得る可能性が見えるから。

 すなわち、【妹】に甘んじる自分、好きな人を好きといえずに終わる恋が。

 それは絶対にしちゃいけない恋の終わり方。

 その時になればそれを受け入れるのかもしれない。納得して、終わるのかもしれない。

 でも、今はその時ではなく、今の美織はそんな風に終わる恋を受け入れたくないと考えていた。告白した後に、絶対に告白しなければよかったと思うこともわかっていても、伝えなきゃ……いけないのだから。

(……でも、またはぐらかされちゃうの、かな……?)

 目的もなくただ足だけを動かしていた美織はふと、足を止める。

「………………理々子さん」

 何気なく見上げた空はいつしか太陽を隠している。

(……嫌だな、そんなの)

 美織の心に暗い影が落ち、そのままゆっくりとした足取りで歩き始める。

 散々悩んで、もう理々子のところにいられない覚悟だってして、理々子に伝えようとしたのに。

 決まって理々子ははぐらかしてきた。美織が何か大切なことを言おうとしていることをわかりながら、目をそらされてきたことがわかる。

 そのたびに美織は泣きそうにすらなった。そうされる理由を考えてしまうのもさることながら、気持ちに気づいているのに、それを伝えようとすることすら許してくれないことに。

 今回は約束を取り付けているとはいえ、今までのことだって普通ならそう簡単に逃げられるはずがない。

 それでも理々子は逃げてきた。

 だから、今回も……と美織は考えてしまう。

「………やだよ、理々子さん」

 心に抑えきれなかった気持ちが声に溢れてしまう。

「そんなの……絶対、やだからね」

 そう口にする美織の声は細い。ここが外だからだとかそういうことではなく、今までの自分の行動が声に自信を無くさせる。

 これまでだって、言おうと思えばできたのだ。理々子にはぐらかすのを許してきたのはほかならぬ自分だ。

 自分もまた逃げてしまっている。

「あ……………」

 それを美織は思わぬタイミングで自覚してしまった。

 自分が逃げていたのを自覚した美織の目の前には最寄駅がそこにあった。

(…………私、逃げないから)

 そんなつもりがあったわけじゃない。ただ、茜に心配をかけるのが嫌で外に出てきただけだ。

 だが、自分が今まで逃げていたことの反動が美織を自分でも予想外の行動に走らせた。

(絶対……逃げないから)

 そう心でつぶやく美織は内からの衝動に突き動かされ、駅へと向かっていくのだった。

 これから向かう場所で自分が何を見るかも知らずに。

 

 

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