地獄。
それはいろんなものがある。
それがどう地獄なのか、何が地獄なのか、それを決めるのはほかならぬ自分で、他人が思う地獄と自分が思う地獄には差があるものだ。
例えば、その人のためと思ったことがその人を追い詰めたり、苦しめたりすることはよくあることだし、自分はその人を救っているつもりでも、その救いたい相手を地獄に追い込むことだってあるのだ。
その日、あまりにも意外な客が沙羅の部屋を訪れた。
それは決定的な別れをしたと思った日の翌日。すべてを終わらせたかった日の翌日。誘いを拒まれた日の翌日。
その日、沙羅は学校を休んでいた。
体調を崩したというわけではない。望のことを考え夜通し泣きはしたものの、結局朝方には眠ってしまったし、朝もいつもよりも早い時間に起きることができた。
学校に行かなかったのは、いく気がおきなかっただけ。体調が悪いふりをして、一日をベッドで過ごした。
何もせず、何も考えられずただ、窓から空を見上げて。
そんな一日の夕暮れだった。
絶望を告げる人物がやってきたのは。
ピンポーン、とチャイムが鳴った音には気づいていた。
しかし、当然出るつもりなどなく、沙羅は変わらずにベッドの上で死人のような目をしていた。
だが、
ガチャ。
いきなりノックもせずにドアが開いたかと思うと
「……沙羅」
聞きなれた、聞きたくない声が聞こえてきた。
「…………っ。……望」
苦虫をかみ締めたような顔をし、沙羅は心底驚いているくせに凍った感情がそれを表に出すことを許さず呆然と望を呼んだ。
望は制服のままだったが、鞄は持っていない。代わりに小さな手提げを持っていて、まっすぐに沙羅のベッドまで寄ってきた。
「……何しに、きたの?」
まるで機械のような抑揚のない、感情を殺したようにしながら沙羅は望を半ばにらみつけるように見つめた。
「あ、……え、えと……お、お見舞いに」
「…………」
「さ、沙羅、今日休んだんだよね……だから……」
そう言って望は手提げの中からなにやら包みを取り出す。
「…………何、これ」
青色の袋に包まれた小さな包み。
「え、っと…く、クッキー、なの」
おどおどと落ち着きのない様子の望。
(っ……)
ギリ、っと沙羅は奥歯をかみ締めた。
落ち着きのない望。ここにいることに不安を持っていることがばればれだった。
「………何しに、きたの」
沙羅は今にも手が出てしまいそうなのをどうにか抑えて、もう一度さっきと同じことを繰り返す。
「だ、だからお見舞いに。っ!!!??」
バン!!
差し出されていたクッキーの包みを沙羅は弾き飛ばした。
衝撃に包みのリボンが解け中に入っていたクッキーがばらばらとスローモーションにかかったように部屋に飛び散った。
「あ………」
(痛い……)
「そんなことじゃないのよ!!」
痛い。
「なんで来るのよ!? なんできちゃうのよ!!」
痛い!
「もう話しかけるなって言ったでしょ!? 嫌なのよ! あんたといるのなんて!! 帰ってよ!!」
痛くてたまらなかった。
望にしてしまったときからむき出しになって傷がじゅくじゅくと痛みを増す。もう永遠に閉じることはないかもしれない傷が。
「…………さ、ら……」
望は涙目になって震えていた。
沙羅の剣幕にひるんでしまったのか、一緒にいるのが嫌といわれたことなのか、原因を知るすべは沙羅にはない。
また知る必要もない。
望がどう考えているかなど今の沙羅には関係ない。いや、知りたくなかった。何を考えているかなどどうでもいい。知りたくない。
嫌われている。
そう思うことが唯一の救い、なのだ。
「……やだ」
「っ!?」
「……やだよ」
「っ、何が、よ」
嫌のはこっちだ。
そういいたい。ひどいことを言ってしまいたい。冷淡な言葉を言い放ち、終わらせたい望との関係を。
なのに、のどに何かが詰まったかのようで本当に言いたいことが口には出せなかった。
「私、沙羅の友達、だもん。やだよ、もう話せないなんて。絶対に、やだ」
(っ、まだ、そんなことを)
友達。
友達だという、あんなことをされておいて、あんなことを言われておいて、今なお警察沙汰になってもおかしくないことをした相手のことを友達だという。
「……沙羅は、違うの? もうお友達って思って、くれないの?」
「っ!!」
神経を疑った。
いまさらそんなことを聞く望に。
もうそんなこと思っているわけがなかった。
友達などと。
そんなこともう思っていない、ずっと前から。好きになってしまったときから、友達じゃ嫌だったのだから。
「っ……」
ここでそれを口にしたら望はどうするのだろう。
望は現実を理解できていないだけかもしれない。現実を知ったら望はもしかしたらこの場で泣き崩れてしまうかもしれない。
(……それならそれで、いい)
いつまでもお花畑にいるような望を相手になどしていられない。傷つけられるのなら、傷つけ、傷ついたほうが増した。
「……当たり前でしょ。そんなこと思ってるわけない。友達? ばっかじゃないの?」
「っーーー」
驚いているということ自体が沙羅には信じられなかった。本当に現実を理解できずにいた子供だったのだ。
望は。
「わかったら、さっさと……」
出て行って。
言うつもりだった。
だが、それは別れの言葉。
別れを告げたと思っていた、絶対にわかれたくない相手への二度目の別れの言葉。
「……で、て、いって、よ」
沙羅は涙声でしゃくりあげながらもどうにかそれを口にすることができた。
望が沙羅にからすればあまりに自分勝手な決意を固めているとは知らずに。
「…………」
望は友達じゃないといわれたきりうつむいてしまい何を思っているか沙羅には知ることができなかった。
そして、ポツリとつぶやいた
「……私、何でもする、よ」
機微を、心を理解できぬ望の身勝手な言葉が沙羅をさらなる地獄へと追い詰めていくのだった。