「姉さん!!」
深雪さんの声が聞こえました。
確かに、深雪さんの声です。
でも、そこから放たれた言葉はあまりに予想外のことで……
「あらら、思ったよりも早かったわね」
(お姉、さん………?)
いつのまにか開けていた瞳で私は、目の前の先輩を見つめます。
深雪さんが来たことで、一歩離れ今は深雪さんのほうを向いています。
「ふふふ、今日は遅く来なさいって言ったのに」
「………そんなこと言うから、わざわざこんな時間に来たの」
「あらあら、それは失敗ね」
「昨日、清華のこと話してたと思ったら……って、そんなことより!」
まだうまく現実が呑み込めていない私を置いて深雪さんと、お姉、さん? は独特の会話をします。そう、まさに姉妹といった感じで。
「清華、大丈夫!? 何もされなかった?」
深雪さんが迫ってきて、そのまま私の手を取って心配そうに声をかけてくれました。
それは、すごくうれしいことのはずなんですけど、やっぱりまだ状況が理解できかねています。
「あらあら、そんなことするわけないじゃない」
「どの口が言うの」
「あなたが心配するようなことはしてないわ」
「……疑わしすぎるんだけど」
「お姉ちゃんを疑うなんてひどい妹ね」
今度は私の目の前で軽い言い争いをする二人を見つめていた私は、昨日から感じていた何かの正体を見つけました。
(……お姉さん)
初めて、見たときから何かに似てるとは思ったんです。見た目もそうなのですが、雰囲気が似てるって思いました。以前私が【嫌いだと思っていた】時の深雪さんの雰囲気、女の子に誰でも手を出して、き、キスだって簡単にしちゃってたあの時の深雪さんの雰囲気にそっくりだったんです。恋人になってからは、多少はなりを潜めていたせいですぐには気づけませんでしたけど、お姉さんという単語が結び付けました。
(……それに)
あの、ほっぺを撫でるしぐさや、自然に逃げ場のない場所に追い詰める術。深雪さんがよくしてたこととそっくり。
そして、深雪さんと同じシャンプーの香り。
(お姉さん、だ)
今までのことを思い返した私は、それを強く思いました。
そっくり、本当にそっくりです。
「清華?」
何から何まで、そっくり。そうですよ、だからあんなにもドキドキしちゃったんです。この人を通じて、まだ両想いでなかったときの清華さんを見ていたから。
「……清華、ほんとに、大丈夫? 姉さんに何もされなかったの?」
「え? わっ!?」
い、いつのまにか深雪さんが私の顔を覗き込んでいて私はまだドキドキさせられてしまいます。
「は、はい。別に、何も……」
う、疑わしいようなことはされましたけど、実際に何かをされたわけではないですし、深雪さんのお姉さんと思うとなぜか妙に納得してしまいます。
「そうよ。昨日は密室で二人きりになっただけだし」
くすくすと、楽しそう、というよりもからかうような口調で笑うお姉さん。
「っ」
「今だって……」
昨日のことを聞いて一瞬深雪さんが硬直する間にお姉さんは私へと迫ってきて
「んぐっ!?」
口をふさがれてしまいました。
「昨日のお礼をしようと思ってただけなんだから」
勝ち誇ったかのような顔で、深雪さんを見つめるお姉さん。
「ちょ!?」
深雪さんが驚くのをよそに私は
(ふぁ……甘い)
口の中をとろける感触を味わっていました。
「ふふ、清華ちゃんおいし?」
「あ、は、はい」
「そう、よかった。手作りしたかいがあったものね」
お姉さんが口に入れてきたもの、それは甘いチョコでした。口に入るとすぐにとろけて、ほんのりとした上品な甘みが広がって、たまらないおいしさをもたらしてくれました。
「だから、清華から離れてよ」
「あらあら、話してるだけなのに」
「姉さんみたいな人のそばにいたら何されるかわからないからね」
「あなた言うセリフかしら?」
(それは……そうかも)
お姉さんにはいろいろびっくりされられてし、普通深雪さんとお姉さんなら考えるまでもなく深雪さんの味方をするでしょうけど、これはさすがに同意せざるを得ません。
今はそんなことないって信じてますけど、以前は本当にその通りでしたから。
「大体、なんで清華と話してるの」
「会ったのは偶然よ。清華ちゃんってば大胆でいきなり私のこと押し倒しちゃったりして」
「あ、あの、それは!」
た、確かに押して、倒してしまいましたけれど、こんな風に言われたらまるで……
頭の中に押し倒す場面を思い浮かべてしまって、私は顔を赤くしますが
なでなで
「!?」
深雪さんがいきなり頭を撫でてきて
「姉さんが変な言い方をしてるだけなのはわかってるよ」
優しい言葉に別の意味で赤面してしまいます。
「ふぅ、つまらない妹ね。まぁ、清華ちゃんとは一回話してみたいって思ってたからちょっと話してただけ。深雪のお気に入りの子なんでしょ?」
昨日、私と話したかったといってたこと。
あれは、こういう意味だったんでしょうか。深雪さんから私のことはある程度聞いていて、姉として私がどんな人間かと確かめようとしていた、ということ。
そう考えれば、(どう考えてもやりすぎなのはともかく)納得いく理由ではありますが、なにより
お気に入りの子。
という言い方が嫌でした。
(私は深雪さんの……)
「お気に入りじゃなくて、清華は私の恋人」
(あ…………)
心の中で言おうとしていたことを先に深雪さんが言ってくれて、私はその横顔を見つめました。
私なんて口に出せなかったのに、お姉さんの前ではっきりと恋人と言ってくれる。
(かっこいい)
心からそう思いながら、私は抑えきれない笑みを浮かべました。
「へぇ」
お姉さんも少し感心したように笑みします。姉ではない私にはきっとわからない感情から出た笑い。ただ、それは私と深雪さんに悪い意味をもたらすものではないことだけはわかりました。
「そういうならちゃんと守ってあげなさいな」
「は? なにそれ」
「恋人だって言うなら、もっと一緒にいてあげるべきなんじゃないの?」
「そ、そんなこと姉さんに言われる筋合いは……」
ちょっと深雪さんに勢いがありません。
(そりゃあ、そうですよね……)
いつでも一緒がいいとまではいいませんけど、一緒にいてほしい時にも他の女の子と一緒にいるときはありますし、いまだに私以外の人とデート(遊ぶだけといってはいますが)したりもしてるんですから。
それはある程度諦めているとは言っても、私の中にある確かな不満でした。
「ないのかしら?」
「っ……」
「まぁ、家に連れてこなくなったのは少しは自覚があるのかもしれないけれど」
(え?)
「ちょ、それは……」
「大体、あんたにとっては遊びでも向こうはそう思ってるとは限らないし、それに……」
深雪さんが少しバツの悪そうに私からもお姉さんからも顔を背けている隙にお姉さんは私に近づいてきて
「あ………」
両頬に手を添えられてしまいました。
「あんまり他の子にかまってると、清華ちゃんのこと盗っちゃうわよ?」
蠱惑的に微笑みながらはお姉さんはまたも私との距離を縮めて
「や、やめてよ!」
すぐに深雪さんがお姉さんを捕まえて私から離すと私を守るようにお姉さんとの間に入ってくれました。
「清華に手を出したら絶対許さないから」
「はいはい。ま、私はともかくとしても、取られたくないって思うならもっと一緒にいてあげなさい。……そうなってからじゃ遅いんだから」
(あれ……お姉さん、何か……何か……)
今まで見たことのない表情をしました。まだ会って二日ではありますけど、これまでからは想像もできない影のある表情。
「あ、あの……」
私は、それに手を伸ばしたくてでも実際に体は動かなくて、心だけをお姉さんに向けました。
「私の言いたいことはそれだけよ。清華ちゃんにお礼もできたし、邪魔者は退散するわ」
けど、お姉さんはそう言い残すと、私たちに背中を向けて歩き出してしまいました。
少し声をかけることがためらわれるほど寂しそうな背中を見せて。
「まったく、姉さんは……」
深雪さんもそれに気づいたのか、それとも知ってるのか私の真正面に向き直って視界からお姉さんを隠しました。
「ごめんね、変な姉で」
「あ、い、いいえ。その、びっくりはしましたけど」
「まぁ、でも……確かにちょっと耳に痛かったけどね」
「ちょっと、ですか?」
「え……は、はっきり言われると困るんだけど……うん、でもその通り、だよね……ごめん、清華」
珍しく真剣な表情になって深雪さんは私を見つめています。
思わず、見とれてしまうほど素敵な深雪さん。
「もう、他の子とは二人で会ったりはしないし、清華とももっと一緒にいるようにする。誰かに取られたりはさせないけど、今回みたいに怖い思いだって、もうさせないから」
優しく私を抱きしめる深雪さん。
いつもの優しい香り。もう昨日みたいに嫌な気分になったりはしません。先輩が深雪さんのお姉さんだとわかったからじゃなく。お姉さんの気持ちがわかったような気がするから。
「……はい」
私は、万感の思いをこめて一言だけうなづきました。
「でも深雪さんは、いいお姉さんがいるんですね」
目を閉じて、深雪さんのことを感じながら私は今の状況を作り出してくれたお姉さんのことを思います。
「え、そ、そう?」
深雪さんはあんまりそう思ってないのかちょっと、驚いています。
「そうですよ。お姉さんのおかげで、かっこいい深雪さんのことも見れましたし」
「か、かっこよかったかな?」
「えぇ、とっても。駆けつけてくれたときも、……恋人って言ってくれたときも。私すごく嬉しかったです」
もしかしたら、それもお姉さんの策略だったのかもしれませんけど、この気持ちは本物だから。
会ってまだ二日、時間にしたら一時間の少し。でも、私はお姉さんがきっと私と深雪さんのためにしてくれたんだと確信しました。
深雪さんは気づいてないのかもしれませんけど、きっとそうなんですよね。
「あ、今度深雪さんのお家に招待してくださいね」
「う、うん。それは、いいけど、きゅ、急だね」
「だって、他の子が行ったことあるのに、恋人の私が行ったことないなんて悔しいですもん」
これももしかしたらお姉さんの気遣いなのかもしれませんね。
そんなことを思いながら私は恋人のぬくもりに浸るのでした。