「……っ。あ、ぁ……う」

 涙を流す。

「ひぐ……う、ぁあ……」

 ベッドの上で毛布にくるまりながら止まらない涙を流す。

「っは……ぁ……あぅ」

 歯を食いしばて止めようとしても、胸の内から溢れてくる暗く冷たい気持ちは抑えようがない。

 心の底からいくらでも恐ろしいほどに哀傷が零れそれが体を震わせ、涙腺を刺激する。

 それは本当に恐いとしかいいようがないもの。

 自分の中から溢れる想いには逃げ場がない。見ないふりをしても、気づかないふりをしてもどこまでも追いかけてきて、こうして体と心を絶望の淵にへと追い落とす。

 そんなことをもう数時間も繰り返している。

(……違う)

 意思の光を感じさせない瞳でうっすらとした月明かりに照らされる部屋を眺める聖はその絶望に

「もう何年も、ね」

 諦観した声を出した。

 そして、これからも続くだろうと崩れた笑顔を作る。

 撫子との関係を不本意ながら、ある意味予定通りに終わらせた夜。

 聖は泣いていた。

 自分のした罪の重さにではない。

 過去から襲ってくるものに。

 終わりを迎えた夜は得てしてこういうことがある。

 ただ、今回はこれまで以上に聖の心は抉られていた。

 聖には撫子がどれだけ傷ついたのかわかる。

 それこそ手に取るようにだ。

 裏切られたという気持ち、なぜこんなことになったのかわからないという困惑、今まではなんだったのかという戸惑い、信じられない、信じたくないという願望。何かの間違いだと思いたいすがるような希望。

 聖にはそれがわかる。

 撫子以上に聖には撫子の気持ちがわかる。

 そして

「……はっ」

 笑い飛ばす。

 あの程度で、と。

 撫子は悲しんでいるだろう。苦しんでいるだろう。

 だが、それがどうしたのだろう。

 聖からすればそれは決して大変なものではない。

 撫子は何も傷ついてなどいない。話すようになってわずか数か月、失ったものなどせいぜいファーストキスくらいだ。

(……私とは全然違う)

 自分にはその何倍も、何十倍も苦しんだ自覚がある。

 もう数年立っているというのに思い出すだけで一晩中泣けてしまうほどの傷がある。癒えないトラウマがある。

 撫子が泣いているだろうということで、それを思いだし聖は泣いている。

「……ふ、ふふ………ふふふふふ」

 理由のわからない笑い。そうでもしていなければ心が壊れてしまう。

(……もう、壊れてるのか……)

 それを冗談ではなく思いながら、聖は自分への涙を流し続けた。

 撫子が本当は今何を考えているのかも知らずに。

 

 

 私はちょっと変なのかもしれないって思うの。

 この前聖ちゃんに初めてのキスをされた時のそうだけど、普通ならずっと引きずっちゃうようなことでも朝起きたらちゃんと学校に来てる。

 まだ学校が開いたばかりのいつもなら朝ごはんを食べてるような時間に学校について、誰もいない教室で一人、ある人を待ってる。

 そのある人はもちろん聖ちゃん。

 少しでも早く聖ちゃんとお話をしたくて、こんな時間に来ちゃった。

 昨日あんなことがあったのに、私は聖ちゃんとお話ししたいって思ってる。それってもしかしたら変なのかもしれないけど、でも

(き、きっと何か事情があるはずだもん)

 初めてのキスの時と同じように昨日もベッドで丸くなって、聖ちゃんのことを思ってた私はいつのまにかそう考えるようになってた。

 だって、聖ちゃんは本当は優しい人だもん。

 大人っぽくて、優しくて、いつも私のこと心配してくれて、力になってくれるとっても素敵な女の子。

 昨日のことはきっと何か理由があるはず。

 下級生の子とのことだって、最初から全部見てたわけじゃないしもしかしたらあっちの子が悪かったのかもしれない。

 聖ちゃんが私に酷い、ことを言ったのだって何か、きっと、絶対に理由があって、本当の気持ちじゃなかった、はず。

(そう。きっと、そうだよね)

 聖ちゃんはそんな子じゃないもん。聖ちゃんは優しい子だもん。今までずっと私のことを助けてくれたんだもん。

 それが現実逃避だなんて私は気づけなくて、じっと聖ちゃんが来てくれるのを待った。

 いつもは早く来る聖ちゃんだけど、今日はなかなか来てくれなくて教室にはいつの間にかがやがやとした朝の喧騒が訪れる。

(まだ、かな?)

 少し不安になってくる。

 昨日の聖ちゃんは何か理由があったんだって信じてるけど、普段と違う聖ちゃんのことが私が閉じ込めている不安をざわつかせてくる。

 早く聖ちゃんに会いたいって願いながら、胸に溢れようとする不安に押しつぶされそうになっていると

(あ……)

 聖、ちゃん。

 聖ちゃんが教室に入ってきた。

 いつもと変わらない綺麗な髪、すらっとした長い脚で自分の席に向かっている。

「お、おはよう、聖ちゃん」

 私は聖ちゃんが席に着くのと一緒に、聖ちゃんのところまで来てそう挨拶をした。

 ドクンドクンドクン、って心臓が早くなってる。緊張してる。

 昨日のは何かの間違いだって、理由があったんだってそう思ってるのに体も心も素直に反応してる。

「…………」

 聖ちゃんは一瞬私のことを見て、すぐに目をそらした。

「き、昨日のことだけど、ね」

 やだ。声が震えちゃってる。

「……………」

 聖ちゃんは何も言ってくれなくて、それが昨日の聖ちゃんと結びついてどんどん心が焦っていく。

「何か、事情があったんだよ、ね?」

「………………」

 どうして、何も言ってくれないの? 

 昨日のは聖ちゃんの本心じゃないんだから、何か言ってくれてもいいのに。何か言ってくれるはず、なのに。

「んく……」

 のどが渇く。

 もう寒いって言っていい季節なのに汗が出てくる。

「わ、私、何かしちゃった、かな?」

 聖ちゃんが何も言ってくれないのが怖くて、いつの間にかそんなことを言ってた。

「何か聖ちゃんのこと怒らせるようなことしちゃったのなら、あ、あやま……」

「ふふふ」

「っ」

 最後まで言えないまま聖ちゃんはにやって笑った。

「あ、あの……?」

 あれ? 怖い、よ。なんで? どうして? 聖ちゃんがそんな人じゃないのに。

「撫子さんって日本語が通じないのかしら?」

「え?」

「私もう話しかけないでって言わなかった?」

 笑顔で言ってくるその言葉は昨日言われたのよりも全然迫力はないのに。昨日よりも、恐くて……

「あ、………ぅ」

「ほんとおめでたい頭してるのね」

 嘘。嘘に決まってるの。

「うらやましいわ」

 聖ちゃんは……

「けど、言ったわよね」

 私の好きな聖ちゃんは……

「貴女となんて話してるのも嫌だって」

 こんな人、じゃ………

「わかったら、さっさと私の前から消えて」

 わかって、た。

 昨日の聖ちゃんが本気だった、なんて。本当はわかってて、それを本当だって認めたくなくて。

 でも、

「聞こえないの? どっか行って」

 冷たく私をにらむ聖ちゃんは紛れもなく現実で。

 私……私は………

 

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