ほとんど何にも頭に入らなかった午前中の授業を終えて、お昼休みになると私は心配するみどりちゃんや藍里ちゃん葉月ちゃんのことを振り切ってふらふらと中庭を歩いてた。

 幸いなのかもわからないけど、朝の聖ちゃんとのお話を聞いてた人は誰もいなかったみたいで本気で心配はしてくれても聖ちゃんのところに行く人は誰もいなかったの。

(……聖ちゃん)

 もう怖くてお話できなかった。

 やっと昨日のことが本当のことだったんだってわかっちゃって、お話どころか見るのも怖くて……聖ちゃんのことが怖くて、そのことを考えるだけでも泣きそうになっちゃうの。

 なのに私の足は勝手にここに来ちゃってる。

 第二音楽室。

 聖ちゃんといっぱいお話をした場所。

 初めて聖ちゃんとお話をした場所。

 聖ちゃんが他の子とキスをしてた場所。

 聖ちゃんが私のことを……嫌いだって言った場所。

(どうして?)

 どうしてなの?

 どうして聖ちゃんあんなこと言ったの? 

 いつから聖ちゃん私のことあんな風に思うようになったの? 

 私が何かしちゃったのかな?

 それとも………

(初めから、なの、かな?)

 最初から聖ちゃんは私のことが嫌い、で、私をこんな風にするために優しいふりをしてたの?

 そんなことないって思いたい。

 けど、

 どの聖ちゃんを信じていいのかわかんないよ。

 いつも優しかった。

 私の話をちゃんと聞いてくれて、一緒に悩んでくれて、答えをくれて。

 あれが全部嘘だったんて、信じたくないよ。

(っ………)

 頭の中ですらその優しかった聖ちゃんの姿が思い出せない。靄がかかったみたいに聖ちゃんが歪んで見えるの。

(見えないよ……聖ちゃんのこと。何にも、見えない)

 ポタ。

「あ…………」

 雫が頬伝って、地面に落ちた。

 このまま泣いちゃうところだったかもしれない。一人だったら、泣いて泣きはらして授業が始まってもそのまま泣き崩れちゃってたかもしれない。

 けど、

「? 撫子?」

「っ!」

 後ろから奏ちゃんの声が聞こえたの。

「何してるの? こんなところで」

 中庭の道を逸れてこっちにやってくる足音が聞こえる。

(どうし、よう……)

 なのに私は振り向けないでいた。

 だって、今泣いちゃってるもん。

 声にしたら震えちゃうかもしれない。顔を見たら濡れてるのがわかっちゃう。

 そうしたらまた聖ちゃんのことを考えちゃう、今度こそ涙が止められなくなっちゃう。

 でも、逃げることもできるわけはなくて

「…………」

 うつむいたまま私は奏ちゃんに向き直った。

「なでしこ………?」

 奏ちゃんは一目見ただけで私に何かあったことに気づいてくれて、近づいてくるのがゆっくりになった。

「……………」

 私は逃げないけどどうすればいいかわからなくて地面を見ながら、わずかに見えた奏ちゃんの足元に奏ちゃんが目の前に来たことを意識する。

(……何してるんだろう)

 どうすればいいのかわからないのに奏ちゃんを待つみたいにして。

「………………」

「………………」

 ほら、奏ちゃんだってきっと困ってる。

(そういえば……)

 居心地の悪い空気の中、奏ちゃんに聖ちゃんのことを相談してたのを思い出した。

(何か、聞かれちゃうの、かな?)

 けど、相手が聖ちゃんだっていうのは知らないはずだし、私と聖ちゃんの間に何かあったなんて奏ちゃんは知らないからそんなことはないのかな? でも、相談してすぐにこんな風になってたら何かあったってばれちゃうのかな?

 なんて考えても仕方ないことを考えてると

「っ!?」

 急に腕が引っ張られた。

「こっち」

 奏ちゃんが力強く私を引っ張って、私はそれにつられて混乱したまま歩いていく。

「え? ……え?」

 奏ちゃんが何をしようとしてるのか私にはわからない。わからないままただ奏ちゃんに引っ張られていってそのまま奏ちゃんとの想い出の場所に連れて行かれるのだった。

 

 

「あ、あの、奏、ちゃん……?」

 初めからどういうつもりなのかわからなかったけど、歩いていく距離が長くなるにつれて不安になっていって、やっと止まったところで奏ちゃんに声をかけられた。

 そこは奏ちゃんと放課後によく来た公園。ちょうどお昼時っていうのもあるのか誰もいなくて静か。

「お、お昼休みもう終わっちゃうよ?」

 他にいくらでも声にすることはあるはずだけど、私はそんな当たり前のことを言ってた。奏ちゃんがどういうつもりで私をここに連れてきたのかわからなかったから。

「…………」

 ベンチの隣にいる奏ちゃんは難しい顔をしたまま私の言葉を受け止めるだけで何にも言ってはくれない。

「あ、あの……?」

「…………」

 ど、どうしたんだろう? ここに連れてきたのは奏ちゃんなのに。奏ちゃんは私に何か言いたいことがあるからそうしたんじゃないの?

「…………」

 沈黙を貫く奏ちゃんに私はただ首をかしげるだけだったけど

「昨日……」

 ポツリ、と口を開いてくれた。

「え?」

「昨日相談された時はわざわざ私に話すってことは、相手は日比野さんなのかなって思ったけど」

「っ……」

 どういう話なのか私は本能的に察してビクって体を震わせた。

「もしかして、撫子が好きなのって………灰根聖?」

「っ!!?」

 そして、言い当てられたショックとなにより聖ちゃんのことを思い出してぎゅっとこぶしを握ってうつむいた。

「……その反応だけで十分」

 どこか達観したように奏ちゃんは頷いてる。

「あ、あの……」

「朝、教室であいつと話してたでしょ」

「え………」

 それは私が現実を知った時のことだと思う。でも、あの時奏ちゃんはいなかったはず。

「教室の外から見てたの。そしたら、なんか様子が変だったから」

「そう、なんだ………」

 私はそれ以外何も言えない。私には聖ちゃんの気持ちが……わからないから。

(わからない?)

 言われたのに? 嫌いって言われたのにわからない?

(あ………)

 のどの奥がきゅうってなった。泣いちゃいそう。

「……振られたの?」

 それは今の私から簡単に連想できる言葉。

 私は小さく首を振った。

 単純にそうなら楽なのにって思いながら。

「………ふーん」

 奏ちゃんは何か感慨深げに言った。

「…………」

「…………」

 それからまた黙る。

 聖ちゃんのことを思い出しちゃった私はもう学校に戻らなきゃって積極的には思えなくて、けどどういうつもりかって考えるのも怖くて何にも考えられないまま奏ちゃんのことも気にできない。

「……私あいつのこと嫌い」

「?」

「直接話したのはほとんどないけど、なんか嫌い」

(聖ちゃんのこと、だよね……?)

 急でびっくりしたけど、他に候補はいない。

「あの、どうして?」

「前もちょっと言ったけど、軽い気がするから」

 それは確かに前にも聞いたこと。あの時は奏ちゃんがただキスとかそういうのをいえないことって思ってるからって思ったけど。

 もしかしたら……聖ちゃんの別の顔を知ってたから?

 そんな風に考えちゃうのは私が聖ちゃんのことを……そういう人だって思ってる、からなのかな……?

「去年クラスが一緒だったけど、合わないって正直思った。あいつ口にするのってそれが本気な感じはしなかったし、いつも誰かといて笑ってるくせに心から笑ってないような気がして」

 そんな風までは思わなかったけど、聖ちゃんとお話するようになるまでは私も思ってた。聖ちゃんはどこか違う気がするって。

「それに、今思えばなのかもしれないけど、たまに変な噂も聞いてたし」

「っ!!?」

 奏ちゃんの言ううわさがどんなものかわからない。けど、それってもしかしたら……昨日みたいな、こと?

「今日、撫子があいつと話してるのを見てもしかしたらって思った。初めはなんであんな奴をって思ったけど、昨日の撫子は本気に見えたから応援しようって、今度は私が撫子の力になりたいって思った」

「奏、ちゃん」

 奏ちゃんがそう言ってくれること。嬉しい。本当にそう思うよ。けど、もう……私は、ううん、もしかしたら最初から私なんて……

「私は誰かと付き合ったことなんてないし、0勝一敗だし、偉そうなことは言えない。それに撫子とあいつの間に何があったのかもわからない。撫子が何をいって、何を言われたのか知らない。撫子がどうしてさっき泣いてたのかもね」

 奏ちゃんは少し早口に、けどしっかりとした口調でそう言った。

「撫子がそんなになってるんだから、多分やなこと言われたんだなってことくらい想像できる」

 ……やなこと。そんな言葉で言えるほど簡単なことじゃ……

「けど、それって本気だって思う?」

 そんなこと昨日、ずっと……考えてたよ。

「私はあいつが嫌いだけど、撫子は昨日本気に見えたよ。撫子が本気で好きになるような相手が撫子を本気で悲しませるようなことする人間だって、撫子は思うの?」

「そんなっ、ことは………」

 言葉に詰まる。否定したいけど、夜通しそうじゃないって思い続けて、今朝現実を思い知ったばっかりなんだよ!?

 心でそう思っても奏ちゃんにそう言えるほど私の心は頑丈じゃなくて悔しさに唇をかむしかできない。

「あいつ、昔は今みたいじゃなかったって聞いたことある」

「……え?」

「小学校が一緒だった子が、昔はいつも一人で静かだったって。この学校入った時くらいから明るくなって、今は別人みたいだって」

(それは………)

 そういえば、私も聞いた。藍里ちゃんから、いつも一人でいたって。

「人って簡単にはかわらないって思う。けど、きっかけがあれば、それまでの全部が嘘みたいに思えて世界が変わっちゃうことだってある。私や撫子がキスを見た時みたいにね。……あいつだって同じなのかもよ」

「ぅ……………」

 奏ちゃんの言葉は重かった。その経験を私も知っているから。

「好きなら、ちゃんと相手のこと知ってあげなきゃいけないんじゃない?」

「……………」

 昨日、下級生の子とのやりとりを見ただけだったら頷けていた。ただ、やっぱり今は……悩んじゃう。

「それでだめだったときは今度こそ慰めてあげる」

「奏ちゃん……」

 冗談みたいに言ってるけど、奏ちゃんが本気なことはすごく伝わってきた。昨日、相談に乗ってもらっただけなのにこうして心から親身になって寄り添ってくれることが嬉しい。

「さて、私はそろそろ戻るけど、撫子はどうする?」

 どうするもなにも、もうお昼休みは終わってる時間。本当はなら戻らなきゃいけないに決まってる。

「なんなら、早退したってことにしておくけど?」

 ……奏ちゃんは私の気持ちがわかるのかな? 私今は戻りたくないって思うの。

 それは、聖ちゃんと会いたくないからじゃなくて、考えたいから。奏ちゃんに言われたことと、これからのことを。

「……先生にはうまく言っとくから」

 本当に奏ちゃんは私の心が見えるみたいにそう言って、すぐに背中を向けた。

「奏ちゃん!」

 私はその背中に声をかける。

「……ありがとう」

 どうするかはわからない。いろんなことが自分の中で整理し切れてない。だから、今は心配してくれたそのことに心からそう伝えた。

「ん………」

 奏ちゃんはひらひらと手を振ってそのまま学校のほうへ歩いていった。

 その背中を見送って私は奏ちゃんの言葉を噛みしめていた。

 

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