「ふぅ……」
居心地の悪かった朝比奈先輩との一件があった夜。浴場に向かう脱衣所でため息をついていた。
(……これが恋なのかしら……)
こんな醜い自分を発見することになるなんて。
昼間、朝比奈先輩が陽菜のことばかりを気にしていたのをいまだに面白くなく思っている自分がいる。
(恋をすると美しくなるなんていうけど、嘘ね。あれは)
身に付けているものを一枚ずつ脱いでいき下着に手をかける。
外見は綺麗に取り繕うこともあるかもしれないけど、心はどうしようもなく醜くなる。少なくても私はそうだ。
陽菜に嫉妬したわけではないけど、下種の勘ぐりに類するようなことをしがちで、それを自覚するたびに自分を貶めていく。
もっとも、そういうことを考えるということは朝比奈先輩を明らかに意識しているということになるのかしら?
「ふぅ……」
私はすべてを脱ぎ去るとまた一つため息をついてタオルを持って浴場へ入っていった。
(さすがに人が少ないわね)
就寝時間も近づいた今、浴場の中にはまばらに人がいるだけでただでさえ閑散としがちなお風呂がいつも以上に広く感じた。
私は無言で体と髪を洗いすぐに浴槽へ入っていく。
奥に行くこともなくその場でぼーっと天井を眺めていた私は、誰かが近づいてくるのを波で感じて視線を落とした。
「あ、やっぱりなぎちゃんだ」
「っ。陽菜」
まだ幼さの残る肢体をした陽菜が波を立てながらこちらに近づいてきていた。
まぁ、体に関しては陽菜をバカにできるほどじゃないけど。
「今来たの?」
「そうよ。陽菜は?」
「私もちょっと前に来たばかり」
陽菜は私の隣に来ると壁を背にして三十センチくらいの距離をとった。
同じ部屋なのだから今の会話をすること自体妙だが、私は先ほどまで他の友人の部屋にいて部屋には着替えを取りに戻ったくらいだから陽菜がどうだったかは知らない。当然陽菜も私のことを知っているはずはないということだ。
「………………」
並びながら会話がない私たち。しかし、こうなってしまったのに私から離れることは出来ない。
「……なぎちゃん」
私がどうするべきか考えていると陽菜は周囲を確認してから私に話しかけてきた。
「何?」
それを見ていた私は短く答えながら心臓の鼓動が大きくなっていくのを感じていた。
陽菜は周りを確認していた。
つまり
「朝比奈先輩のこと、だけどね……」
こういうことだ。
ドクンドクンと心臓が早鐘を打っている。
早く続きを聞きたいような、耳をふさいでしまいたいようなそんな気持ちが胸の中でせめぎあう。
私の中にこんな脆いところがあったなんて嘘みたいだ。
「どうして、朝比奈先輩のこと好きになったの?」
「…………」
それは明快な答えがあるような気がするし、何を言っても正解にならない気がする質問だった。
「……どういったら、いいのかしらね。私は先輩のこと、尊敬してるわ。それに守ってあげたいって生意気にも思ったり、力になりたいって思って、それができない自分が悔しかったりもして……」
自分の中にある気持ちを言葉にして外に出すというのは存外に難しいことらしい。
……それとも他の人はもっと簡単にできて、私にはこんな気持ちを抱いたことがないせいなのかしら?
「うまく言葉にはできないのだけど、気になるのよ先輩のこと。側にいてあげたいって思う、笑って欲しいと思うのよ」
「……そうなんだ」
一通りは話した私に陽菜はつぶやいて頷いた。
「……恋、してるんだね」
懐かしそうにも悲しそうにも見える陽菜。もしかしたら私がそう思うからそう見えているのかもしれないけど。
「応援するね。朝比奈先輩とのこと」
「え……?」
聞けるとは思っていなかった言葉に私は首をかしげた。
「応援するって言ったの。なぎちゃんのこと」
「えと……」
「も〜、どうしたのなぎちゃん、私なんかに応援されても嬉しくないっていうの?」
「そ、そんなことはない、けど……」
「じゃあどうしたの?」
「陽菜がそんなこと言ってくれるなんて、思わなかった、から……。その、私のこと……怒らないの?」
最悪嫌われてしまうということすら可能性に入れていた私は陽菜が言ってくれることを素直に受け取ることが出来ない。
「……怒ってないよ」
多少溜めがあったとはいえ陽菜が嘘をついているようには見えなかった。
「け、けど……私は陽菜と朝比奈先輩のこと……」
駄目だったとは限らないのに、関係を破綻させるきっかけを作った張本人。
(それどころか……今なら)
陽菜にも可能性があったかもしれない。
……こんなこと考えるのはやっぱり朝比奈先輩への侮辱なのかしら? 友原先輩のことを朝比奈先輩があきらめたとしても他に自分を好いてくれる人がいるからとそっちに流れるとは思えない。
……当然、陽菜に限らず、だ。
「気にしてない、って言ったら嘘になるかな。けどね、やっぱり私と朝比奈先輩はあれでよかったって思ってるし、きっかけをくれたなぎちゃんには、感謝してる。ほんとだよ」
「えぇ……」
……私は陽菜を子供に思うことが多いけど、子供なのは私のほうかもしれない。陽菜は私の及びつかない思考にたどり着いている。
「私、朝比奈先輩のこと今でも好き。幸せになってもらいたいって思うもん。なぎちゃんにももちろんそうやって思うし……なぎちゃんと朝比奈先輩が、うまくいけば私も嬉しい。だから、応援する」
(……陽菜は大人だ)
私が子供なだけ?
私は昼間朝比奈先輩が陽菜のことしか聞かなかったことすら面白くなく感じたのに陽菜はこんなことを言ってくれる。
それとも、経験があるからこそ言えることなの?
私も陽菜のようになるのかしら……?
「なぎちゃん? どうかしたの?」
私はペシミストなのかもしれない。悪いことばかりがちだ。
「な、なんでもないわ」
私は陽菜を目の前にしながら自分だけの思考をしていた私は覗き込んできた陽菜への反応が遅れてしまった。
「そう? ま、いいや。とにかく応援するからね。頑張ってよね、なぎちゃん」
さっき言ったとおりこれは完全な本心ではないはず。それでもそんな様子をまったく見せずに言ってくれる。
(……ほんと、いい子ね、陽菜は)
私にはもったいないくらいの友達だ。
数ヶ月前までこんなところにくるなんて憂鬱以外の何者でもなかったのに、今はそんなこと思いもしない。それどころかきてよかったと思えている。
月野陽菜という友人を持てただけでも、この天原に来た意味があった。
「ありがとう」
その一言に私は朝比奈先輩のことだけじゃなく友達になってくれてありがとうという気持ちをこめた。
「どういたしまして」
陽菜はそれに気づいているのかしら? 気づいてなくてもいい、私が勝手に伝えたかっただけだから。
ただ……
(……ふぅ)
陽菜のことがすめば別の問題が私の中で生じてくる。
というよりも朝比奈先輩を好きと自覚してからずっと胸のうちにあったものを陽菜のことで覆い隠していただけかもしれない。
「なぎちゃん? やっぱり、どうかしたの?」
いくら陽菜にとはいえそんな簡単に見抜かれるほど私はわかりやすかったのかしら。
「…まぁ、少しね」
と、会話を無理にきろうとした私だけど、すぐに軽く頭を振って思いなおした。
陽菜が応援してくれるといった以上、隠し事をするのも陽菜に悪い気がした。
「……どうしたら、いいのかしらって思ったのよ。私、こんなことに経験なんてないし。それに……」
自分でわかっているつもりでも言葉にするのは愉快なことではなかった。言霊を信じているわけではないけど、言葉にして自分の耳に入れるとそれだけで落ち込んでしまいそうだから。
「それに?」
陽菜は今まで組んでいた足を伸ばしながら私を覗き込んでくる。
「…………私は朝比奈先輩に嫌われているだろうし」
言ってしまった。
今まで思いはしながらも心の中でさえ【嫌われている】とはっきり思おうとはしていなかったのに。
「そ、そんなこと……」
「いいわ、慰めてくれなくて。自分でわかってるつもりだから」
まずそう考えて間違いない。
少なくても私が朝比奈先輩の立場なら私のことを嫌いになる。
今までどれだけ礼儀のわきまえぬことを言ってきたかわからないほどバカではない。さらには朝比奈先輩なんかよりも陽菜のほうが大切だといってしまっている。
今まで朝比奈先輩とのことを考えて、嫌われるようなことをしてきたことは思い出せても好かれるようなこと、気に入られるようなことは一つも思い当たらない。
「……なぎちゃんがどうしてそう思うのかはわからないけど、私はそんなことないって思うな」
「気を使わなくてもいいわよ」
「そんなんじゃないよ!」
「っ?」
「そんなんじゃない。だって、私昨日朝比奈先輩と話したけど、どうして最近なぎちゃんと一緒にいないのって聞かれたよ。嫌いだったらそんなことするわけないでしょ」
「っ!!?」
今日は自分を恥じることが多い日だ。先ほどは陽菜を理解できなかった自分を恥ずかしく思い、今はあまりに浅い考えで朝比奈先輩のことを疑ってしまったことを恥ずかしく思った。
つまり、朝比奈先輩は私たちのことを純粋に心配してくれていた。それは陽菜に対し思うことがあったからのしれないけど少なくても私の勘ぐったようなことではなかった。
「あ、も、もちろんなぎちゃんのことは言ってないよ。でも、朝比奈先輩本当に心配してくれてた。なぎちゃんが元気ないんだから力になってあげなきゃってなぎちゃんのこと気にしてたよ」
「………ふふ」
「っ!? なぎちゃん?」
「あ、ごめんなさい」
陽菜は真剣に話してくれているのに笑うなど言語道断だった。
けれど、
「それ、私も今日言われたわ。まさか陽菜にも同じこと言ってるなんてね」
それだけ、気にかけてはもらえてるということかしら。もっとも、それは私をじゃなくて私たちをだけど。
確かに嫌っていたら陽菜に話をしたりしないだろう。
「そうなんだ。やっぱり朝比奈先輩って優しいよね」
「……そうね」
優しい、か。友原先輩とのことも優しさの一種だったのかしら? ……ううん、多分違うわね。今の私にはきっとわからないことだけど
「陽菜、ありがとう」
これから、わかりたいって思う。
「うん!」
陽菜のおかげで嫌われていないとは思えたけど、好かれているかは別問題で私の初恋は前途多難なことは変わらないように思えた。
ただ、今は陽菜に感謝をして久しぶりの陽菜との時間を幸せに思うのだった。