人を好きになるのは、時に簡単で、時にとても難しい。

 そして、好きになったとしてもその想いが成就するかは別問題。

 それでも、私は誰かを好きになり、私も、誰かから想いを寄せられる。

 

 

 「好き」って難しい。

 

 

 サラサラの黒髪。

 整った顔立ちに、透き通った瞳。

 長くスラッと伸びた足に、小枝のように繊細な腕。

 そして、見る者を魅了するこの笑顔……

(……先輩……)

 初夏の陽光が照らす朝の教室。その中で私は机に突っ伏しながらも、やや慎重な面持ちで手帳に入れてある写真を見つめ、ため息をもらした。その写真には天使のような笑顔で校門に立つある生徒が写っている。

今、教室は朝の喧騒に包まれているけどそんなものは私の耳には入らない。

 私は友原 涼香。ここ、私立天原女学院に通う一年生。

「涼香ぁ……朝からトリップしない」

 私が写真を見つめて、幸福にひたっているとそこに声をかけてくる女の子がいた。

 愛敬のある顔立ちにそれに似合った短く整えられた髪。細い腕を私の机につき、半ば呆れたように私を見下ろしていた。

 名前は朝比奈 せつな。この一年三組のクラスメイト。

「それにしても、今日はまたいつもにまして幸せそうね。先輩に何か言われたの?」

 席の人がいないことをいいことにせつなは前の机に座って聞いてきた。

「んー、まぁね」

 私は両手を頬にあてて答える。

「でもよくわかるね」

「ま、様子を見ればね。いつも私のことなんてそっちのけで、先輩のところに行くんだから、何があったかくらい想像できる」

「そっちのけだなんて、私はせつなの朝ごはんが何かだってわかるよ? なんなら言ってあげようか?」

 私がからかうように言うと、せつなは軽くため息。

「……寮なんだから、朝ごはんなんて一緒でしょ」

「バレた?」

 寮っていっても、この学校が全寮制とかいうわけじゃない。それどころかかなり少なくて、二十人と少しくらい。建物は学校から十分ほどのところで、それなりに急な坂の途中にある。ちょっと古めの洋風の建物で、地下もあって四階建て。屋上もついてて、専用の食堂もある。

 この学校は市街地から離れ、周辺を山に囲まれている。それならもっと寮に人がいていい気がするけど、最寄り駅からはバスが何本もあるし、遠くからわざわざ寮に入ってまでという人は少ない。

 じゃあ、そもそもどうして寮なんかがあるかっていうとそれは昔の名残。昔、この学校は有名な女子の進学校だったらしく、その頃には遠くから通ってくる人も多く寮が必要だったらしい。けど、今は進学校なんて色んなところにある。この学校のレベルが下がったというわけじゃないけど必然的に人は流れてしまい結果、寮は人がほとんどいなくなってしまったといわけだ。今寮にいる人たちは、何かしら理由がある人がほとんど。

 もちろん、私も。

だから寮には必要以上に部屋が余っている。それでも昔のからの規則で部屋は二人部屋か三人部屋が基本になっていて、大抵は同学年の子と一緒になる。実を言えば私とせつなは同じ部屋だったりする。

「でも朝、先輩に会いに行くのも程ほどにしなさいよ。今日だって結構ギリギリだったじゃない」

「別にいいでしょ。ちゃんと五分前にはついてるんだし」

 あ、先輩っていうのは私の憧れの人で本名は藤澤 柚奈。一つ上の二年生。広義的に言えば好きな人ってことなんだろうけど、その辺はまぁ、色々ある。

 せつなの言い方だとまるでいつでも会いに行ってるみたいな言い方だけど、そういうわけじゃなくて、ただたまに会いたくなるというか、声が聞きたくなってそういうといっても、会いに行ってしまう。といっても何気ない会話をするだけだけど。

先輩の家は、学校周辺にある数少ない人家の一つで、さっきいった坂、通称天の道のを下ったところにある。決まった時間に家を出る人だからその時間に合わせれば会うことができた。

「……ずか、涼香」

「え、あ、ごめん何?」

 せつなが私のことを呼んでいたみたいだけど私は別のことに思考を奪われていて気づかなかった。せつなはそんな私を見て、今朝二度目のため息。それから、

「なんでも……私が側にいる時くらいちゃんと私と話してよね。もういい。時間もないから、またあとで」

 といって少し不機嫌そうに自分の席に戻っていってしまった。

 時は流れてお昼休み。

 お昼はいつもせつなと学食に行く。寮じゃない人はお弁当もって来たりもするけど、寮生は大体学食か購買のパンで済ませる。中には家から通っている人にお弁当を作ってきてもらう人もいるとか、いないとか。

 そんなわけで、私はせつなと一緒に学食に向かっていた。学食も購買も別の棟にあってそっちに行くには一階か二階ある渡り廊下を通っていかなければならない。そのせいでお昼休み、この廊下は人で溢れている。

そんな中私はある人の姿を見つけて喜びの声をあげた。

「藤澤先輩」

 私の想い人である藤澤先輩の姿がそこにあった。せつなをほったらかしてすぐに先輩のもとに駆け寄る。

「あら、涼香ちゃん」

 セーラーカラーもスカートも乱すことなく、落ち着いた物腰で先輩は答えてくれた。

 ちなみに、この学校の制服の形態はワンピース形で、夏服は水色を基調にしたさわやかな感じ。スカーフは学年の区別のため色が分かれていて、一年生は、ピンク。二年生はきいろ。三年生は赤になっている。あと、特徴があるとすればカラーの背中側に星印のワンポイントがある。

「こんにちは、どうしたんですか? こんな所で」

 学食と購買へ向かう廊下なんだから別に「こんな所」ってわけじゃないけど、この時間にここで先輩を見たことはなかったのでなんとなくそう聞いてしまう。

「あぁ、今日はちょっと寝坊してお弁当作ってこれなかったから……」

 一瞬、だからこっち方面に来たのかなと、納得しそうになったけど、微妙な違和感が残った。

 作ってこれなかった?

 つまり、それは

「あ、あの、先輩。もしかして、自分でお弁当作ってるんですか?」

「そうよ、涼香ちゃんに言ってなかった?」

 あまりにもあっさり答えられる。

 お弁当だっていうのは知っていたけど自分で作っているとは知らなかった。今時そんな人がいたなんて……でも先輩がエプロンを着けて料理する姿は簡単に想像できる。

「あ、それでここにいるのはパン買いに行ってたの。ほら」

 言って先輩は腕に提げていた手提げを見せてくれた。そこには数種類のパンが入っている。けど年頃の女の子が食べるにしては少し多いような気もする。

「……よかったら一つどう?」

「え?」

 袋の中から一つパンを取り出して私に差し出した。

(もしかしたらパンの袋をじっと見てたのが欲しがってるように見えたのかな?)

 だとしたらかなり恥ずかしい。

(でもくれるっていうのに断る方が失礼だよね)

 それに一応先輩からのプレゼントになるわけだし。

「それじゃ、お言葉に甘えて」

 差し出してくれたパンを受け取り、ありがとうございますと軽くお辞儀をする。

「いいのよ。初めてパン買いにいったのはいいけどものめずらしさにちょっと大目に買っちゃってどうしようって思ってたから」

(だからパンが多かったんだ)

 一人納得してしまう。

「それにしても先輩って自分でお弁当作ってたんですね……いいなぁ、手作りのお弁当かぁ……」

 もし先輩がそんなもの作ってくれたら……

「あ、じゃあ……」

「涼香、早くいかないと時間なくなるよ……席もなくなるし」

 ついさっきまで私たちから距離をおいていたせつながいつのまにか近くまで来ていて制服の袖を掴まれた。

(もう、せっかく先輩と話せてるのに……)

 でもせつなの言う事も一理ある。昼休みは長いようで短いし。

「はいはい。じゃあ先輩また」

「あ、えぇ。またね」

 これまた落ち着いた雰囲気で手を振ってくれた。私はそんな先輩の姿を若干名残おしく思いながらもせつなと学食に向かっていった。

 いつもよりは遅くなったけど学食はそんなに混んでなかった。そもそもよく考えれば家からの人はお弁当の人が多いし、この食堂もやっぱり昔の名残で広く作られているのでここがいっぱいになるなんてめったにない。

 じゃあどうしてせつなはさっき席がなくなるなんてこといったんだろう。せつなにだって分かっているはずなのに。

 無駄に広く大、小のテーブルがいたるところに並べられている空間をぼんやりと眺めていると、ランチを取りにいっていたせつなが戻ってきた。

「おまたせ」

「ありがと」

 学食で食べる時は交代で席を取るのとランチを取りに行くのになっている。席は空いてるんだから、そんなことする必要もないけど、そっちのほうがなんか学食って感じがするので気づいたらこうなってしまった。

 せつなからお盆を受け取り、二人で静かに食べ始める。女子高のお昼って言えば友達と色々しゃべりながらって気もするけど、この学校は歴史があるせいかマナーや生活規則等変なところで厳しい。そのせいで食事の時は自然と静かになってしまう。

せつなとはいつでも話せるから別にかまわないけど。

「……ところで」

 いつもなら、このまま特に何もないまま食事を終わらせるけど、今日は違った。

 私が「何?」と顔を上げると、せつなは少し行儀悪くはしでさっき先輩にもらったパンを指した。

「それ、食べないの?」

「え? うん。今お昼食べてるし、今日帰ったらおやつにでも食べよ」

「食べよ、ってくれるの?」

「いらないんならいいけど?」

「くれるのならもらうけど、いいの?」

 売り言葉に買い言葉、ってわけじゃないけどそんな単語も思い浮かぶ。

 せつなは少しためらいがち。

 まぁ、無理もないか。せっかく先輩からもらったものをあげようって言うんだから。でも寮には飲み物の自販機しかないし、持ち込みは禁止されてはないけど寮の周りにはコンビニなんてない。つまり寮に帰ったら食べるものなんてないってこと。

そりゃ私だっていつも食べたいってわけじゃないけど、やっぱりたまには食べたくなる。それなのに私一人がおやつを食べるのはちょっとだけ気が引ける。

「その代わり、せつなもあとで何か頂戴ね」

「……はいはい」

 こんな感じで私はそれなりに楽しい日々を送っているのだった。

 

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