「待って!」
涼香の切羽詰った声に私の体は締め付けられる。
本当は涼香が何を言ってこようとも聞こえない振りをして出て行くつもりだった。美優子との時間を邪魔するつもりなんてなかった。
なのに!!
(……なに、言ってるのよ)
振り向かず、声も返さない。
ただ、どうすればいいのかわからないまま、しなきゃいけないと思い込んでいたことをできないまま私はその場に立ち尽くす。
言葉の意味と意図を理解しようとすらせず。
「……………」
どの程度の時間だったのだろう。
人の声がやけに遠く感じ、代わりに無機物の音が大きく聞こえてくる。
「………………なによ」
やけに時間が経ったような気はしたがもしかしたら十秒も経っていなかったのかもしれない。ただ、私は沈黙に耐え切れなくて感情を押し殺した声で問い返した。
「手……握ってて」
『っ!!!?』
言葉を発した涼香が何を考えていたのか知るすべは私には、……私達にはない。
(……今、自分が何言ってるかわかってるの?)
だから、私は私の思ったように涼香の気持ちを考えてしまう。
私が考えたようなことは関係ないのかもしれない。
でも……けど……
私は……出て行くつもりだった。美優子にすべてを託して、自己満足じゃないけど、それにも近い気持ちを抱いて出て行くつもりだった。
なのに、
(……そんなこと、言わないでよ)
決意は固めていたはず。いや、置いてきたはず。この部屋に。涼香に。私の気持ちは置いてきたはず、だった。
この部屋を出てしまえていれば、目的の通りに去ることできたのかもしれない。
しかし、ここにはまだ残り香がある。私の気持ちがまだ漂っている。
そして、何より涼香からの願いを私が断れるはずもなかった。
「……涼香がそうして欲しい、なら」
決断を涼香にゆだねる卑怯な言葉。
「……お願い」
しかし、涼香は私の望んだことを返してくる。
「わかった、わ……」
私は振り返る。
あえて、美優子の様子は確認せずに涼香の元へ戻って、
「……………ありがとう」
小さな、ありがとうをきくのだった。
「待って!」
涼香さんの声が部屋に響きわたる。
部屋を出て行こうとする朝比奈さんの呼び止める涼香さん。
その声は真に迫っているようにも聞こえて、私はただ控えめに涼香さんを見つめることしかできない。
「………………」
朝比奈さんは中々答えない。
(やだ……わたし……)
静か過ぎる部屋で私の心臓の音だけが大きくなっていくような気がした。
ドクンドクンってまるで思いっきり壁を叩いているようなくらいに大きく、強い音。
何も、いえない。口を挟んじゃいけないのは、当たり前、だけど……だから、声が出ないわけじゃないような気もしてそれがまた大きく壁を叩く。
「………………なによ」
先に口を開いたのは朝比奈さん。わたしが聞いてもわかるくらいに、あえて感情を殺した声。
「手……握ってて」
『っ!!!?』
涼香さんのどういう意味でいったのかわたしには……わたしたちにはわからない。
わからない、けど……
(やだ……だめ)
手に汗をかいてるのを感じた。
涼香さんを握っている手に。
心が勝手に反応して、体が……
(涼香さんに、気づかれちゃう……)
わたしが思ったようなことを涼香さんが考えているのかはわからない。わからないからわたしは自分勝手に考えるしかなくて、それが今を生んでいる。
(すずか、さん……)
待って、から見ることのできていなかった涼香さんをちらりと見る。
涼香さんは朝比奈さんを見ていた。
今は……朝比奈さんを見ているのは普通かも、しれない。話をしてるん、だもん。おかしくなんか、ない、けど。
「……涼香がそうして欲しい、なら」
今私には涼香さんの気持ちが、わから、ない。
「……お願い」
違う。想像したくない。
「……わかった、わ」
(っ)
反射的に目を閉じる。
朝比奈さんが振り返って近づいてくる気配を感じた私は、不安に高鳴る心臓の音を聞くだけ。
「……………ありがとう」
(……………)
隣に来た朝比奈さんが再び、涼香さんの手を握った瞬間の出来事。
思えば、この時だった。