……こんなことはありえないと思っていた。

 もちろん、こんなこと誰にでもあることだ。

 だから、私の身に訪れようとも不思議なことはない。

 むしろ普通に考えればこの歳までなかったことがおかしいとまでは言わずとも、稀なケース。

 私は今まで知人、友人に限らずこういった話題には無関心だった。特に近づこうとも、遠ざかろうともせずその場で最低限のことをするだけだった。

 自分が異端であることは段々意識もしたけれど、私は本当にそういったものに興味がなく、もしかしたらいつからか私はそういうものを冷めた目で見るようになっていたかもしれない。

 陽菜のときも……そうだった。

 だから、ありえないと思っていた。

 こんなこと、私にはありえないと。

 この私が、誰かを好きになるなんて

 ありえないと思っていた。

 

 

 ある休日、私はお昼を終えた陽菜に少し話したいことがあると言って、部屋の鍵をかけた。

 誰か尋ねてこられても困る。

「それで、話って何? なぎちゃん」

 テーブルに両腕をついて陽菜は反対にいる私に無垢な視線を送っていた。

「……うん」

 私にしてはめずらしく歯切れ悪く答える。たとえ他の人がはばかるようなことでも私は平気でいえる自信があるし、それを実践してきた。

 だが、数少ない友人に嫌われる可能性があるともなればさしもの私も悩みもすれば躊躇もする。

 緊張をして、喉がかれたようになるなんて今の今まで他人事と思っていた。

 だからこそ、わざわざ話があるといって陽菜を部屋に止め、鍵までかけた。逃げ道をなくすために。

「なぎちゃん?」

 陽菜は私が中々話し出さないことに何かを察したかのようでテーブルに乗せていた手をどかして、姿勢を整えた。

 しかし、話せと促してきたりはしない。

(……陽菜に嫌われたら、つらいわよね)

 私はそんな陽菜を見て心をぐらつかせる。

 だが、陽菜には言っておかなければならない。絶対に。

 私は今まで陽菜を見ていた顔をあえてそむけ、勇気を溜め込むかのように深く息を吸った。

「……好きな人が、できたって言ったら、怒る?」

「は?」

 陽菜にとって衝撃的だったはずの私の告白だけれど、陽菜は驚くというよりも何を言われたのかわからないという顔をしていた。

「えっと、怒らない、っていうか、怒るわけ、ない、よ?」

 普通であれば好きな人ができたというところに食いつくのだろうけど、陽菜は私が妙なことを言ったことに素直に反応した。

(……怒る、わよ)

「え? っていうか、そ、それ本当なの!? 好きな人が出来たって」

 私が怒るかどうかに関して何も反応を示さなかったら陽菜はワンテンポ遅れて本来の驚きに戻った。

「……本当……だと、思う」

「?? どういうこと?」

「自分でもはっきりしてないのよ。本当に好きかどうか。何せ、私は今まで恋なんてしたこともなければ、好きといえる人すらいなかったから」

「あー、そうかもねー。なぎちゃんってそんな感じ」

 遠慮のない言葉。これは友達だから言えている。

「あ、陽菜のことは好きよ。友達としてね」

「あ、ありがとう」

 いう必要があったのかはわからないけど、陽菜に私が陽菜を好きじゃないと思われるのは心外だったのではっきりと口にしておいた。

 もっとも、次の瞬間には私は陽菜に嫌われるのかもしれないけれど。

「え、えっと、それで好きな人って誰? 私の知ってる人?」

「そう、ね……よく知ってる、とは思う、わよ」

「っていうことは、学校の人?」

「そうね……」

「そうなんだ。なぎちゃんの好きな人かぁ〜」

 陽菜は私が誰をどう思っているかなんてわかるはずもなく好奇心に満ちた顔で想像をめぐらせていた。

「…………」

 一方私は中々続きを言い出せず、前髪を指でもてあそびながらどう切り出せばいいのか迷っていた。

「…………………」

 このまま永遠に黙っていられるわけじゃないわよね。

 私は髪を触っていた指を離すと陽菜に目を向けた。顔を合わせられる気分じゃなくてもしっかりと相手を見なくてはいけないときもある。

「……朝比奈先輩よ」

「え?」

 私の、ある意味、本人にそれを告げるよりも勇気の必要だった告白に陽菜は目を丸くした。

 思わず目を背け唇の端を噛んだ。

 不思議な気分だ。

 恥ずかしいような、情けないような、惨めなような、悔しいような……こんな気持ちを抱くのも初めて。

「朝比奈、先輩のこと、好き、なの?」

 あまりに予想外の名を出された陽菜は混乱して確認を取ってくる。

「……そうよ」

 私は短く答える。

「……いつ、から?」

 陽菜に先ほどまでのわくわくとした好奇心はかけらも見当たらない。ただ、本気でそれを知りたがっている。

「この前……先輩と少しあって、それから」

「……そう、なんだ」

 陽菜は目を背ける。

 この前、友原先輩と西条先輩と朝比奈先輩の一件。あの時の朝比奈先輩を私は……尊敬し、同時にうまく言えないけれど守ってあげたいと思った。そばにいてあげたいと思った。しかし、それを出来ず私は部屋から出て行った。それは正しいことだったと思っている。

 だけど……

(朝比奈先輩を一人にすることが最善ということが悔しかったのよね……)

 先輩の力になれないのが悔しかった。

 それから先輩のことを気にするようになり、気づいたら好きといえるようになっていた。おそらく今の気持ちを恋愛感情としての好きなのだと私は認識している。

 ……まさか、こんな簡単に好きになるとは思っていなかったわよね……。

 ただ、これは私の見解。私の気持ちのことなのだから、私の見解が正しいはずでも陽菜が好きになった時期を信じてくれるかは別問題。

 というよりも至難の業といわざるを得ないかもしれない。

「……どうして、私に言ってくれたの?」

「陽菜には話さなきゃいけないから」

「そう……」

 話さなくてはいけない。避けて通ってはいけない道。

 陽菜が朝比奈先輩をあきらめるきっかけを作ったのはほかならぬ私。その時はそれが陽菜にとって一番だと思ったからそうした。

 した、のよ……

 けど、実際に陽菜が朝比奈先輩をあきらめ、その後私が朝比奈先輩を好きになっては陽菜にある疑惑が生まれて当然。というよりも思わないほうがおかしい。

 初めから私は朝比奈先輩のことが好きで、そのために陽菜が邪魔だったと。

(……そう、思うのが普通よね)

 事実がどうだかではなく、そう思えてしまうことが陽菜には重要なはず。

 そして、陽菜から見たら私はなんて醜く見えてしまうかもわかっている。自分のために望みのない状態で陽菜をけしかけ、故意にあきらめさせたのだと。

 浅ましい女に見えているはず。

「陽菜……」

 ごめんといいたかった。しかし、言ってしまったら認めることになってしまうような気もして口はそれを紡がない。

「なぎちゃん」

「っ……」

 別に、陽菜の声の調子がおかしかったわけではなかった。むしろ、負の感情を感じたわけじゃなかった。

(……寒い)

 陽菜の私を呼ぶ声は普通だったのに、背筋が冷たくなった。

「ごめんね。ちょっと、一人にして……」

「っ……わかったわ」

 陽菜はそうして立ち上がると部屋から出て行った。

 私はそれを引き止めることなく陽菜が出て行ったドアを見つめるだけだった。

「陽菜……」

 ……陽菜は私が思うほど子供じゃない。私の言葉を嘘とは思っていないのだと思う。それでも、私が想像したようなことを考えてしまい私の前で冷静になる自信がなかったのだろう。

「……ごめん」

 私の言ったことは事実なのだから謝る必要はないのかもしれないけど、そもそも私が朝比奈先輩を好きになること自体が罪に思え私は陽菜に聞こえない声をつぶやくのだった。

 

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