「……………」

 静寂が部屋を包んでいる。

「………………」

 冬の厳しい寒さの中、エアコンも炬燵も、電気すらつけず絵梨子はベッドに寄りかかりながらぼーっと窓の外を見上げていた。

(…………ときな)

 久しぶりに見るときなの脆い部分。絵梨子以外の前では決して見せない、本音のときな。

 恋人である絵梨子ですらまだ数えるほどしか見たことのないときなの弱さ。

 ときなを追いかけることができなく、教室に取り残された絵梨子はそのまま自失しながら帰っていき、それからずっとこうして空を見上げながらときなのことを考えていた。

 ときなの言葉、絵梨子を避けた理由、卒業への不安、そして、

 

「すみません……ごめん、なさい。ごめん……なさい」

 

 自分を責めるようなときなの謝罪。

 ときなとのショックだった時間を思い出して、思うのは一年前とは違うということだ。あの時は【柚子】のことで絵梨子のことを信じる基盤が揺らいでしまった。

 だからこそ、絵梨子は自分の力でときなを取り戻すことができたのだ。責任は自分にあるから。

 しかし、今回は違う。ときなは、今自分が信じられないのだ。

 今の絵梨子の気持ちでも、将来の絵梨子の気持ちでもない、今のときなの気持ちでもない。

 将来のときなの気持ち。

 ときなはそれが自分で信じられていない。そして、その信じきれない自分を悔い、責め、失望している。

「なに、……してるのよ、私は」

 情けない声が出る。泣く寸前のくせに、意地だけでそれを押しとどめている声。素直に泣けばいいのに、それすらもできない時の声。

(……ときなは、あそこまで、考えてくれていたのに……)

 ときなの苦悩がどこから出たか。そんなものはわかっている。

 今の絵梨子の存在が大きいから、大きすぎるからこその悩みなのだ。大きいから、その反動が怖い。その喪失感と、その喪失感の中で続いていく生活が、怖い。

 それほどに絵梨子を好きだから、将来においても絵梨子を好きでいたいからこそのときなの涙。

「なのに……私は」

 何も、考えていなかった。

 ときなの気持ちを考えていなかった。ときなと同じレベルで気持ちを考えられていなかった。つもりでいた、一方的に離ればなれになっても大丈夫だと思い込んでいたのだ。

 いや、ときなだって思ってくれはいたのだろう。ときなの悩みは心の奥底にはあったかもしれなくとも、最近のものなのだ。

(なんで、気づいてあげられなかったの……?)

 最近のものだとしても、その予兆はあった。あったのに、勝手に大丈夫だと思っていた絵梨子は、ときなの気持ちに気づけず……涙を流させてしまった。

 自分にさえ、その弱ささえ見せなければ表面上はときなは取り繕うことができていたはずだ。

 そうさせるべきだった。

(だって、ときなは、受験生なのよ)

 それは教師という立場から出たものでもあるが、同時にときなを愛するものとして未来を思った言葉でもあった。

 ときなは紛れもなく優秀な生徒だ。おそらく、この国のほとんどすべての大学に行ける力はあるだろう。

 だが、それはあくまで実力を出せればの話だ。

 心に不安を、まして自分に自信を失った人間が大きな舞台で力を発揮できるはずもない。

 絵梨子がときなのためと思ったことで、ときなに大きな挫折をさせてしまうかもしれない。それが致命的なことをもたらすことだってありうるのだ。

 あまりに軽率なことで、ときなの一生を台無しにする可能性だってあった。いや、まだそれすら残っている。

 ときなの想いの深さまで考えが至らず、ときなを追い詰めてしまった。

 それが、絵梨子がしてしまったこと。

「…………………どうしたら、いいの?」

 本来、絵梨子のすることは決まっているはずだ。

 ときなが苦しんでいるのなら、その原因を取り除けばいい。

 今日こそ、それがわからずときなに痛みを与えてしまったが、今はその理由がはっきり見えているのだ。

 だから、本来ならできるはず。

 一年前と同じようにときなを救うことはできる。

(………………はず)

 声にも出せない絵梨子は自分を恥じた。

 見上げていた空から目を背けうつむきながら、自分に爪を突き立てる。

 はずではない。

 できるのだ。

 今からでもときなに会いに行って、拒絶されようとも抱きしめ、愛をささやき、口づけをする。そして、誓い合う。

 この気持ちがずっと続くと、ずっと互いを好きでいると誓い合える。

 ときなも受け入れてくれるだろう。自分でそう言っていた。

 救えるのだ。絵梨子は、ときなを。

「で、も………」

 

「今、抱きしめられたら……きっと受け入れちゃう。また、繰り返すだけになっちゃうから」

 

「っ………!」

 唇を、噛む。

 悔しい、情けない。

 情けない!

 あれが、ときなの本心。絵梨子のことを一切疑っていないのに、そう言うことが止められなかったときな。

 あの姿こそが、裸になったときなの心だとあの謝罪がそれを如実に物語っていた。

 それに何もできなかった自分が、今ここでこうしている自分が情けなくてたまらなかった。

 そして、何よりこれからどうすればいいのかわからない自分が。

(だって! どうすればいいの!? 何をしたらいいのよ!?)

 いくらときなに心を向けても想いを伝えても、それは【今】だけなのだ。また、繰り返してしまうとときなは言っている。

 それは、考えたくもないが、真実なのだろう。実際に別れてすらいないのにときなはあそこまで怯えてしまっている。本当に離ればなれになってしまった時、今以上の不安を感じることは……真実なのだ。少なくてもときなにとっては。

 絵梨子はそれをわかっても、それに対する手段を持ち合わせていなかった。

 これまでだって、ときなを愛してきた。

 数えきれぬ思い出を育んできた。

 今回だっていくらでも愛を伝えることはできる。

 だが、それは今までしてきたこと。

 それを繰り返したところで、未来においてときながこれまでと違うものを感じることができるようには思えなかった。

 恋人にそう思わせるほどの真実がときなの謝罪にはあった。

 何をしても、それは【今】だけになってしまう。

 これからの大学四年間、そして、それより先の時間……いや、未来永劫ときなと本当の意味で思いを通じ合わせるには……足りない。

(……どうすれば、いいの…………)

 それがわからない絵梨子もまたときなと同じように自分への怒りと失望を抱え涙を流した。

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