「ありがとうございました」

 落ち着いた、しかしはっきりと通る声を背中に受けながら絵梨子は店を出て行った。

「……ふ、ふふ」

 そのまま、通りを行きながら絵梨子は乾いた笑いをこぼす。

「慣れない、お店だった、しね……うん」

 今出てきたような場所は学生の頃、友人たちと訪れたことはあったがそれはほとんど冷やかしのようなものであったし、もともと高級な雰囲気というのは得意ではない。

 それになにより、自分がそんなところで買い物をするというのはまったく想像の外だった。

 まして

(こんなものを……)

 バッグに入れたそれを軽く撫でた絵梨子は、また複雑なものを心に宿す。

 この気持ちは本物ではあるし、今回のことがなかろうといつかはそういう時が訪れたのかもしれないが、それでも社会人である絵梨子は懐具合を思わざるを得ない。

 後悔はしていないはずだし、無駄になんて絶対にしない、させない。その自信のようなものはあるが、たとえ梨子の望むことが起きようと

(……ときなに怒られちゃうかも)

 それが一番あり得る可能性のような気がして、それに不安も覚えてしまう。

 昔からときなは無駄遣いを許さなかった。付き合いだしたころ、喜ぶと思ってお揃いのマグカップを買ったことがあったが、その時ですら、「普段ほとんど使わないのにそんなものを買ってどうするんですか」とたしなめられたし、たまに一緒に買い物に行く時にはお菓子を買いすぎて怒られたりもした。

 マグカップの時は結局喜んではもらえたが、今回はマグカップの比ではない。もちろん、そこに込めた想いも比べるべくもないものではある。

 受け入れてくれるのなら、今までのどんなことよりも喜んでくれるかもしれないが、やっぱり怒るときなも想像できてしまい絵梨子は少しだけ不安にもなる。

「……でも、もう買っちゃったんだから……考えても仕方ないわよね」

 今更後悔しても始まらない。

 前に進むと決めたのだから。

 誰よりも大切な人のために。

 絵梨子はそう思いながら、学院の校舎の方角を見やり最愛の恋人のことを思うのだった。

 

 

 することは決めた。

 準備もした。

 覚悟も決めた。

 だが、それをすぐに実行できるかと言えばそれは別問題だった。

 絵梨子自身ができる状態であっても、相手のあることだ。自分の一方的な都合だけでときなにむかっていくわけにはいかない。

 まして、ときなは今受験という大きな分岐点にいるのだ。さらには、絵梨子とのこれからに悩んでいる。

 そんなときなに絵梨子の気持ちをぶつけてしまうのは、どう考えてもときなのためではない。今ときなに向かうのは、絵梨子の勝手な都合になってしまう。

(……こんなの、絶対に悩ませちゃうもの)

 これ以上今のときなに余計な心労を与えるのはときなのためではない。ただでさえ、ときなはいっぱいいっぱいなのだ。これ以上はつぶれてしまうかもしれない。

(さっきだって)

 先ほど、校舎を歩いていてときなと偶然すれ違ったとき、ときなはすごい困った顔をしていた。

 絵梨子を見た瞬間に申し訳なさそうに顔をうつ向け、早足に去っていった。これまで、見たことのないときなで、ときなが今どれほど心の重りをつけているのかそれを嫌でも思い知らされる姿だった。

 絵梨子が何も決められていなければ、絵梨子もまた同じような顔をしたかもしれない。

 だが、今の絵梨子は決めている。

 ときなのために自分がするべきことを。

 だから、絵梨子は前を向いていられた。

 ときなが何を考えているかも知らず、いや、何を考えていたとしてももう自分のするべきことは変わらない。

 覚悟と決意を持って、愛を伝える。

 それが絵梨子のすると決めたこと。

(でも、ほんといつにしようかしら?)

 するべきことを見据えている絵梨子は、次の段階としてそれを悩んでいた。

 受験があるからと、とりあえず今はするつもりはないが、仮に一番長く見積もるとすれば三月の中旬だ。その頃にはすでに卒業すらしてしまっている。三月の最後の週まで寮にいることは可能だが、それも個人差がある。中には、早々に進路を決め二月中に寮を出てしまう生徒だっている。

 ときなからの【返答】はいくらでも待つつもりではある。こんなことを即決できるほうが稀だろう。だからと言って早く返事をもらえるにこしたことはないし、早く返事をもらうには早く伝えなければならない。

(ときながいなくなる前に、っていうのは難しいかしら?)

 できるならそれまでに返事をもらいたいのは本音だが、そんな理由でときなに焦らせたくはない。

 欲しいのは本当の、本音だ。

 心の底から出た、本気の想い。

 それが、欲しい。

 いや、それが引き出せないようでは意味が、【資格】がない。

(だから、貴女を待つわ。ときな)

 そう思う絵梨子だったが、その時は思いのほか早く訪れることになる。

 

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