澄んだ空気をピンクの花びらが舞う季節。
穏やかな日差しと、桜が彩る並木道を初々しさを感じさせる少女たちが、まだ着慣れない制服に身を包み、緊張と不安と期待を織り交ぜた表情で歩いていく。
そんな春の女神が祝福しているかのような情景を絵梨子は、体育館からにこやかながらも少しだけ気を落としながら見つめていた。
「……三回目、か」
今日はこの私立天原女学院の入学式だ。
早くも絵梨子が教師になって三回目の入学式。
体育館の入り口で入学式という看板を設置し終えた絵梨子は、まじまじとその文字を見つめる。
明日になれば始業式も始まり、本格的に一年が始まる。
ときなと過ごす、最後の一年が。
(……わかっては、いても、ね)
すでにそのことを二人とも理解し、向き合い、覚悟をし、手を取り合って向かってはいる。
それでも、まだ先にも、残り一年としか思えないその時は確実に迫っており、こうした時期を意識させられるイベントでは同時にそのことも気にしてしまう。
「……三年前なんて、ときなのこと知りもしなかったのよね」
漠然と思い出す、三年前の入学式。ときなは新入生代表とした挨拶をしたらしいが、その当時は自分のことだけで精一杯で入学してくる生徒のことなど気に留める余裕もなかった。
さらに言えば、出会ったときなどこうした関係なるとは思えもしないものだった。
なにせ、名前すら中々覚えられなかったのだから。
しかし、一年を通じときなを知り、ときなも絵梨子を知り、ときなが抱えているものを知り、それを包み込んだ。
それ以来、大きな喧嘩もあったが、それでも絆を確かめ合って、卒業に向き合うことができた。
残り一年、ときなと過ごす一年。
「……がんばろう」
それを意識しつつも前向きになれる絵梨子は一言そう呟いて、高い空を見上げるのだった。
当たり前だが入学式が終わったところで、教師である絵梨子の一日の仕事が終わるわけではない。新入生の担任にならずともやることなどやまほどある。明日の始業式の用意や準備はもちろん、教材や授業の予定を確認したりしなければならないし、それに新人ではなくともまだまだ若輩な絵梨子としては雑用をおおせつかったりもしてしまうものだ。
だが、そのおかげで思わぬところで思わぬ相手と二人きりになれなりするものだ。
「あれ?」
生徒会の顧問の一人をしている絵梨子は明日のことに関し、新しくなった生徒会と話をしようかと生徒会室を訪れたが、そこでもうここで会うことはないかと思っていた相手と出会う。
「ときな、何してるの?」
そこにいたのはときなで、狭い生徒室の中でスペースをとってしまっている本棚に手を伸ばしているところだった。
「あ、先生」
すでに副会長の任期を終え、今年は生徒会にすら入っていないときな。数日前までならともかくここで見ることはないと思っていた。
「いえ、ちょっと忘れ物を取りに来ただけです」
「そうなんだ」
絵梨子は軽い会話をしながら当然のようにときなの傍によっていく。
「そういえば、他の人は?」
「お昼食べに行ってます。お留守番をかねて荷物をまとめていたんですよ」
「ふーん……」
少しすると、ときなは忘れ物の一部なのか本棚から本を取り出し、近くに座っていた絵梨子の隣へと腰を下ろした。
「…………」
春の暖かな風が入ってくる小さな部屋で、絵梨子は何もせずにときなを見つめる。
話すことがないわけではない。ただ、メールや電話はしていても四月に入ってからときなを見るのが初めてだったため、なんとなく話すよりも見つめることのほうを優先してしまった。
「……三年生、ですね」
ぽつりと感慨深げにときなはつぶやく。
「え、あ……そ、そうね」
絵梨子は不意打ちを食らったように一瞬どぎまぎとしたが、それでもときなが何を言いたいのかを察知して神妙にうなづいた。
「もうここにきて三年目。……卒業だってすぐなんでしょうね」
「……かもね」
「卒業といえば、会長すごかったですね」
「あ、そ、そうね」
「あんなに泣いちゃって、普段の会長からは全然想像できませんでした」
「祀さん、卒業なんて寂しくないなんていってたこともあるのよ」
「ほんとですか」
「そ。そんなの気にして今が楽しくなるのは嫌ってね。でも、あんなに泣いちゃって、びっくりしたけど、ちょっと可笑しかったもしたわ。あれは強がりだったのかなってね」
「誰か、別れたくない人でおいたのかもしれませんよ」
「……かもね」
仲のいい相手なら、メールも電話もできるし今生の別れとなることはまずありえない。それでも、もうここで過ごした三年の時間は戻ってはこないし、中には会いたいのに会えなくなる相手だっているかもしれない。
未練を取り戻すことができなくなることなんていくらでもあるのだから。
だから、今この時を後悔のないように過ごすのはとても大切なことなんだろう。それは、子供のころから大人たちが口にしていたこと。
それでも、そのときには漠然とした理解でしかなく、大人になってようやく、親や教師が言っていたことが正しいのだということに気づく。
「……私は、泣きませんから」
おそらくときなには及びつかない思考にふけっていた絵梨子は、ただの強がりのようにも本気にも思えるときなの横顔にはっとする。
「……私と離れるのは寂しく思ってくれないの?」
「寂しいですよ。でも、泣き顔で離れたくはありませんから。月並みですけど、笑顔を覚えていて欲しいんですよ。それに、そこで泣いちゃうとこの先ずっと言われちゃいそうですし」
この先ずっと。
意図があってのことかどうかはわからないが自然にその言葉が出てきたことが絵梨子はたまらなく嬉しく、ときなへと手を伸ばした。
ときなの冷たい手に自らの指を絡め
「ときな」
ときなはそれを優しく握り返し
「想い出、いっぱい作ろうね」
「はい」
と、答えるとともに絵梨子の頬に口付けをするのだった。