普通の教室の半分程度の大きさの部屋。
そこにいくつもの長机が四角形に置かれており、隅にはコンピューター室と職員室以外にはめったに置かれることのないパソコンがあり、そこで長髪の生徒が一心にモニターへ向かっている。
夕陽が照らし始めている部屋には他に生徒は居らず、校庭から部活動の声が響く中長髪の生徒は手馴れた様子でキーボードを叩きマウスを操作していた。
「あ、朝比奈さん。今日は一人なの?」
そこに様子を見に来た一人の教師が入ってくる。
この部屋の使用主、生徒会の顧問の一人である絵梨子だ。
「ん、はい。今日はすることも少ないので、帰ってもらいました」
「そう。朝比奈さんはどう? そろそろ終わりそう?」
「えぇ、これうち終わったら終わりです。あと五分もかからないと思いますよ」
「じゃあ、紅茶でも淹れるわね」
「ありがとうございます」
絵梨子はそう言うと、パソコンとは反対の位置にあるポットを取ると、棚からカップとティーパックを取り出して紅茶を淹れた。
コト、と音をたててときなの側の机にカップを置くのと一緒にポケットから袋に包まれたクッキーを置いた。
「?」
「へへー。職員室から持ってきたの」
なんだろうと首を回したときなに絵梨子は嬉しそうに答えた。
「そうですか。どうも」
ときなも言葉は淡白ながらも絵梨子と同じような笑みを浮かべてまたすぐに向いなおった。
それから数分はときなが作業するのを絵梨子が眺めているだけだったが、最初の言葉通り五分かからずにときなは操作を終えると、パソコンの電源を落とした。
「お疲れ様」
絵梨子の労いの言葉を聞きながら、ときなはなぜか壁時計を一瞥してから紅茶が置いてある場所にイスを持っていって腰を下ろした。
「はい。まぁ、そろそろ慣れましたから、そんなにでもありませんよ」
相変わらずの自信に溢れた言葉。ただ、それはいつもというわけではなく絵梨子に見せる飾らない姿だった。
「はぁ、相変わらずすごいっていうか、可愛くないっていうか、朝比奈さ……!?」
感嘆ともあきれとも取れる言い方だったが、ときながしてきた思わぬことに体を固くした。
ときなの冷たい指が絵梨子のピンクの唇に触れていた。
(な、何?)
何故いきなりこんなことをされたのか見当もつかない絵梨子は思わずドキドキと心臓を跳ねさせるが、ときなの瞳に負の感情は一切ないのに鼓動を収まらせる。
「先生。ときな、ですよ。今の私は」
「あ……」
言われて絵梨子は自分の腕時計に目をやった。
五時二分。
「ごめんときな。気づいてなかった」
これは二人のルール。
仕事の時間はあくまで絵梨子とときなの関係は教師と生徒。一般の生徒と教師の関係に比べれば親しい振る舞いはしても、境界を越えることはない。
ときなは学校にいる間は絵梨子の立場も考え、生徒と先生でいいつもりだったが、絵梨子が寂しそうだったので、昼休みや定時の時間が終わって二人きりの時には本来の関係に戻っていいことにしていた。
似た理由で平日にときなの部屋に訪れることの少ないので、こうして二人きりになれるときはときなが門限になるまでこうして話すことが多かった。
「ところで、ときなは何で生徒会に入ろうなんて思ったの? 推薦じゃなくて、立候補してたわよね」
生徒会室に特例として置かれている紅茶を飲みながら、絵梨子が時々この日のようにお菓子を持ってきてのティーパーティ。
これは二人の秘密の時間。
たとえ、ときなに普段一線を引かれても、放課後くらいにしか二人きりで会えなくても、休みにすらあまりデートをしてくれなくても、こうしていられるだけでも絵梨子は幸せだった。
「そうですね。先生が顧問やるって言ってたからです。先生と一緒にいる時間が少しでも欲しかったので」
「え……」
普段は冷たくすら感じるときのあるときなにいきなりこんなことを言われて絵梨子は思わず頬を赤らめる。
が、
「って言ったら、喜んでくれますか?」
紅茶に口をつけて、クールに言い放つときなにまた遊ばれたと複雑な気持ちにさせられてしまう。
「中学のときもしてたからもしかしたら癖のようなものになっちゃったのかもしれないですけど、やっぱり私はこういうことは合ってるって思ったんです。みんなのために頑張るってやっぱり悪い気分じゃないですから。……それに、大変でも甘えさせてくれる人がいますし」
「ときな……」
「そういう意味じゃさっきのも嘘じゃないですね」
「……ありがと」
「お礼言われることじゃありませんよ。私は我がままを言ってるんですから」
「でも、やっぱりありがと。ときながそう言ってくれるのってあんまりないから嬉しい」
「……そうですか」
絵梨子はこうして本音を見せてくれるときなを嬉しく思い、ときなもまた自分が少しひねくれた受け答えをしてしまっていることを自覚しているが、絵梨子に本当の気持ちをわかってもらえていることを感謝していた。
「あ、そうだ。私も一つお礼を言わせてください」
「? 何?」
絵梨子はときなと半分個した最後のクッキーを食べながら心当たりのないことに首をかしげる。
「あの子、せつなのことです。最近少し変われたみたいですから」
「あ……」
言われて絵梨子はときなの妹、朝比奈せつなのことを思い起こす。
確かに出会った頃に比べてせつなは変わった。しかし、それは
「せつなちゃんのことは私じゃないわ。友原さんのおかげ」
「えぇ。それはそうですけどね。でも、先生が無駄にあの子に仕事押し付けたりなんかしてたも無駄じゃなかったんじゃないんですか。ちょっとせつなに話聞きましたけど」
「そうかもだけど、でも、そんなのきっかけにもならなかったわよ。私が余計なことしなくても友原さんはきっと朝比奈さんの友達になってた」
「かもしれませんけど。私は先生に感謝したいんですよ。素直に受け取ってください」
「ふふ、わかった。どういたしまして」
ときなを可愛くないと思うことはたくさんある。
だが、矛盾したことをいうかもしれないがその可愛くないところこそ可愛いと絵梨子は思っていた。
だが、ときなにそれを言うと照れ隠しの嫌味を言われてしまいそうなので絵梨子は心の中だけで笑うのだった。
「ところで友原さんってどういう子ですか?」
今の話は終わったかと思っていたが、ときなはまだせつなのことが気になるのか、今度は話の対象を移す。
「どうって、ときなの方がわかるんじゃない? 一緒に住んでるくらいなんだから」
「話した事はあるし、あの子からも最近はよく聞きますけど、先生の目からどう見えてるのかも気になって。妹を任せる身としては」
「そう……。そう、ね。月並みになっちゃうけど、すごくいい子って思うわよ。友達も多いし、何でも真面目に取り組んでくれてるし……」
友原さん、せつなの友人、友原涼香を語る絵梨子の姿は二年目ながらも的を射ており、ときなの涼香への印象とも重なっていた。
まだ言葉が続きそうなところも含めて。
「ただ確信は、ないけど……何か隠してるっていうか、誰とも仲良くしているはずなのに、なんか変なのよね、気のせいかもしれないけど、なんだかそんな感じがするのよね」
「……そうですか」
絵梨子の話を聞き終えたときなは目を細め、涼香を思う。
「……今度はあの子のほうが友原さんの力になってあげられればいいんですけどね。……でも、それは私たちじゃなくてあの二人の問題ですか」
「そうね」
間接的に涼香を思う二人だったが、この時二人が頷いたようにそれはまた別の話だった。