機嫌を損ねてしまったかもしれないと思ったけれど、すみれは汗を拭き着替えを終えると少し恥ずかしそうではあったけれど一応ありがとうとお礼を告げてきた。

 デリカリーがなかったのはこちらであるけど、それとは別にするべきことが出来る。

 なんとなく育ちの良さというものを意識する出来事だった。

「ねぇ、文葉はいつまでいるつもりなの?」

 着替えたパジャマでベッドに横になったすみれは濡れタオルを替える私に声をかける。

「特に考えてはいないわ」

「……別にもう帰ったっていいのよ。最初から看病しろだなんて言ってないんだし」

「もしかして気にしてるの? わざわざ休みを使わせてるって」

「……そんなんじゃないわよ。ただここに居たって暇だろうって思っただけ。別に私は一人で平気だし」

(……ふむ)

 ほんと最初すみれに抱いた印象は大分間違ってたみたいね。

 しおらしいというか人に気を使えるとは思っていなかった。ただ、それがどこか強がりにも思えて私は軽口で答える。

「【恋人】を見捨てて帰るほど薄情じゃないわ」

「……文葉って都合のいい時だけそうやっていうわよね」

「さて、何のことかしら」

 意識はしてなかったけれど確かにそうかもしれないなと軽く頬を歪めながら私は、すみれから少し離れた場所に座ると再び持ってきていた文庫本を広げる。

「すみれが邪魔だって言うのなら帰るけど、そうじゃないのならせめてこの本を終わるくらいまではいさせてもらうわ」

「……なら、好きにしなさいよ。あとで休みが潰れたって言われても知らないから」

「えぇ、好きにさせてもらう」

 すみれの扱い方にも慣れてきたなと思いながら私は文庫本を「最初から」読み始めることにした。

 

 ◆

 

 すみれはあの後少しすると寝入ってしまい、私は基本的には本に集中しながらたまにすみれの汗を拭く程度のことをし時間を過ごした。

 結論から言うと私は持ってきた文庫本を二周にわたって読み終えることになった。

 帰ろうと思わないでもなかったけれど、放っておきたくなかったのが三割ほど。あとはあまりにも目を覚まさないため、鍵がかけられずに帰ることが出来なかったというのが七割ほど。

 すでに暗くなった窓の外を見てはどうしようかと悩んだ後、とりあえずと勝手に買ってきていた残りの材料で夕食を作らせてもらう。

 面倒なのですみれの分と共用で鶏肉と生姜とネギそれとしいたけがあったので鶏粥にすることにした。

 昼間には雑炊で似たメニューになってしまったけれどまぁ、病人にはお似合いでしょ。

「……文葉?」

 台所で調理を終えすみれの様子を見にいこうかと考えていた背中にすみれの意外そうな声をかけられる。

「あぁ、起きたの?」

「まだ……いたのね」

「本が読み終わるまではいるっていったはずだけど?」

 普段の調子で軽口を叩く。すみれならここでとっくに読み終わってるはずでしょと言うはずだが……

「………そ、う」

「?」

 予想とは異なり、なぜか真剣な瞳でこちらを見てくる。

 熱のせいか潤んだ瞳は相変わらず色っぽくはあるが、いちいちそれに欲情するほど軽くはなくベッドに戻るように伝え、すぐに夕食を持っていった。

 長く寝ていたせいで頭が働いていないのか私の作った粥を素直に食べ、寝ていて汗をかいただろうからと懲りずに体を拭こうとする私にも応じた。

 ただ、その間会話はほぼなく、意味のある会話と言えば背中を拭いていた時に

「……今日はもう遅いから」

 最初は帰れというのかとも思ったが、続いたのは

「泊っていきなさい」

 というものだった。

 おかしくはない誘いではあるものの、昼間寝る前にはむしろ帰らさせたがったようにすら感じていたがどういう心境の変化なのかしら。

 そうしてなりゆきで恋人の家に泊まることになった私。さすがにお風呂を始め落ち着かない心地はしたけれど、特に何か問題は起きるわけもなく日付が周るころとなる。

 すみれのベッドの隣に布団を敷いて談笑をする私達。

 すみれにはもっと早くに寝てほしかったところだけど昼間あれだけ寝てては寝付けないもの無理はなく、就寝前に無為な会話を交わす中すみれから予想外の衝撃を受ける。

「結局………文葉はあの女とどういう関係だったの?」

 ベッドで上半身を起こすすみれが口にしたとげを含んだセリフ。

 ふと、二人の会話が止まった中で告げられたそれは二人の間の空気を緊張させるには充分の迫力を含んでいた。

「また急ね。話したくないって言わなかったかしら?」

 私は当然話したい事柄でなく彼女から借りたパジャマを身に着けたままあえて視線を外す。

「気になったのよ。看病も手慣れているみたいだしそれに……」

「……体を見るのも気にしていないから?」

「っ……」

 また顔が赤くなった気はするけど、風邪のせいにしておこう。

 自分の性的思考を理解できていない少女じゃあるまいし、いくら絶世の美女と認めるすみれの下着姿とはいえそれだけで興奮することはない。

 対してすみれは少女のようね。

 どういう人生を送ってきたかは相変わらず謎だけれど、交際の経験どころか他者とほとんど交わることなく生きてきたのが想像できる。

 同時に私のことを本気で好きなのかとも。

 過去を知りたいというのはそういうことだろう。

「い、いいから答えなさいよ」

「…………」

 私の気持ちはともかくとして、もしすみれが私のことを好きだというのなら正直に答えてあげるべきだ。

 ただ、すみれが疑いをかけているような過去ならともかく……

「話すと幻滅されるから嫌」

「ほんとは今でも付き合ってるとか、私よりも好きだってこと意外じゃなければ許してあげるから話なさい」

(……やれやれ)

 気づかれないように嘆息する。

 そもそも今までだって聞く機会があったのになんで今聞いてくるのかしら。

 すでに帰る時間じゃなくて逃げ場がないということなら絶好の機会とはいえるかもしれないけれど。

(……へぇ)

 すみれに視線を送ると意外にもすみれは平静なようにも見える。ただ、その中に隠し切れない不安があるようにも見えた。

 ううん、不安というよりは本気なんだという緊張を感じさせる。

(それなら答えないわけにもいかない、か)

 すみれが本気だとしたらそれを濁すのは礼を失すると言っていいだろう。

「ふぅ」

 今度はこれ見よがしにため息をつく。

「幻滅するのは勝手だけど、絶対に人には言わないように」

「隠したがってることを言いふらすほど悪人じゃないわよ」

「隠したがってることを無理に聞き出そうとはしているけれどね」

 私は三度、つかれたようにため息をついてから

「…………………一緒に住んでた時にそういう関係だった時期があるの」

 人としての品位を落としかねない言葉を発した。

「そういうって付き合っていたってこと?」

「……どういう言葉を使うのが適切なのかは任せるけど、早瀬のことを恋人として好きになったことはないわ」

「? でも、その……してはいるんでしょ」

「あんた……」

 鈍いというべきか、おとめというべきか、ここでも言葉に迷い、

「エッチはするけど、恋人じゃない。そういう関係」

 端的に関係を告げた。

「そ、それって……」

 どうやらそういうことに疎いすみれでも適切な言葉を見つけたようで見るからに動揺している。

 というか、私が見てきたすみれの中で一番の乱れかたじゃないかしら。

「だから言ったでしょ。幻滅するって。一応名誉のために言わせてもらうけど、女なら誰でもいいとかじゃないから」

 こういうと早瀬だけが特別なように聞こえるか。

(……特別でもなければしないけど)

「あの女じゃないとだめなのに、恋人じゃない……?」

「若気の至りってことよ」

 といってもお子様なすみれにそういうことを語ろうとしても理解はできないか。私もあくまで私の感覚として理解しているだけだし。

「………………」

 黙ってしまうすみれ。

 何やら小難しい顔をしている。

(やっぱり話すべきじゃなかったかな)

 どうやらすみれは普通よりも貞操観念が高いようだし、生娘のようだ。

 昔付き合っていたということならともかく、恋人でもないのにそういうことをしていたというのは理解しろというのは無理な話かもしれない。

 もっともそこにはそれなりの理由はあるのだけれど……すみれからみたらふしだらな人間だと言われても仕方ないかもしれない。

(最悪別れろとでも言ってくるかしら?)

 こちらとしては恋人として付き合っているつもりはまだないが。

 ただ、友人でなくなるとしたらそれはそれで寂しいものがあるのでやはり軽率な発言だったかもしれない。

 と都合の悪い展開を妄想していると

「っ…?」

 すみれが急に電気を消して部屋の中が暗闇に包まれる。

「……もう寝るから」

 と体を横にした気配を感じる。

 暗闇の中じゃそれを口にしたすみれの表情も見られず感情も読み取れない。

 早瀬とのことについてこれ以上こちらから口にするのも妙な気がして私もおとなしく布団に横になる。

 そのまま私は影を浮かぶ程度のすみれの姿を見るが何を思っているかはわかりようもなく、またこれ以上の会話が続くことも考えられず私も寝ようかと、すみれに向けていた体を天井へと

「……私、今まであんまりお見舞いとかされたことないのよね」

 ポツリと、すみれが呟いた。

 相変わらず感情は読み取れずまた口をはさむべきかも迷っているとすみれはさらに続ける。

「だから文葉が来てくれて嬉しかったし……色々気を使ってくれたこととかありがたかったし……」

「……………」

「それに……昼間寝て起きた時に最初帰ったかと思って悲しくて……でも、またご飯を作ってくれてて泊ってくれたの……嬉しかった」

(……語彙力のない子ね)

 声を出してはいけない気がして心の中だけで突っ込みを入れる。

「だから……今日は、ありがと」

 そこですみれの独白は終わる。

 てっきり早瀬とのことに言及するものだと思ったけれど、そのことを無視し私のこと、それもよかったことだけを伝えてくるすみれ。

「……………」

 答えるべき言葉がないわけではないが、今それを口にするのはすみれが望んでいないような気もする。

 そうして私は結局何も返答はしないまま初めてのすみれとの夜を過ごすことになった。

 

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