(しまった)
一通り話し終えた私は悔恨する。
すみれがどこをどう見ていたのかは知らないけど、よく考えるとやましい気持ちはなくてもあおいちゃんを抱きしめたばかりかそのまま髪の匂いまで嗅いでいる。
果たして言い訳になっているのか疑問極まりない。
本棚に囲まれた静かな空間は空気が固まったかのようで息苦しく、
「やましい気持ちはなかったわ」
あまりに陳腐な言い訳を続けてしまう。
当然、目の前の「彼女」は納得しているわけはなく。
「つまり文葉が女ならだれでもって話をされたの?」
冷たく呆れたように言い放たれた。
(不機嫌になられたほうがましだわ)
すみれに呆れられるというのは早瀬やあおいちゃんにそうされるよりもはるかに重い。
(どうするべきかしら)
すみれを知っていくうちに最初の印象とはだいぶ変わっては来ているけど、嫉妬深いというのは見たまま、思ったまま。
対応を誤ると面倒なことになりかねない。
「……………」
氷のように冷たい瞳って表現が似合いそうなすみれ。特に見た目が美しいせいで余計に静かな迫力を感じさせ……ん?
急に厳しい視線が和らぎ、今度は別の不機嫌さが宿る。
「……私には何もしないくせに」
今度はいじけるような言い方だ。
(すみれらしい、かな)
少し前までなら思いもしなかったことを頭によぎらせる。
「何もって、キスはしたでしょ。それも二回も」
「それは私からでしょう。文葉からは何も恋人らしいことされてないわ」
「そういえば………そうかもね」
「かもじゃなくて、そうよ」
「………裸なら見たし、触ったけど?」
「っ! それは、違うでしょう!」
(赤くなっちゃって、ほんと初心で純真な子ね)
心の中で微笑ましく笑うも、頭の別の部分で確かにとも思いなおす。
手をつないだこともなければ、腕を組んだことも、抱きしめたこともない。
キスもすみれからしてきた二回だけ。それも同意の上ではなく、不意打ちでのこと。
私からすみれへの好意を確かめられるようなものにはなっていない。
恋人だと思っているわけじゃないって伝えるのは……さすがにまずいわよね。
そんな悪手を取りはしないけど、
「……なによ」
いつの間にかまじまじとすみれを見てしまっていて、いぶかしげな顔をされる。
(綺麗なのは認める)
ある程度は慣れてきたけれど、それでも人生の中で一番だと間違いなく言えるほどすみれは美しい。
すみれの好意が本当に「恋人」というものなのかというのは疑問はあっても、好きと思われていることは間違いないらしくそのことには悪い気はしないどころか、むしろ優越感すらある。
その優越感が、口を滑らせたのかもしれない。
「すみれは、私に恋人らしいことをして欲しいの?」
「っ……そう、よ」
素直に認めるのは少しらしくはなく、すみれの気持ちを考えてしまう。
(子供のくせにね)
それとも子供だから、好意を隠せずに伝えることができるのかしら。
(………………)
多分私はすみれから見たらいい恋人ではないんだろうなと思いながら、胸に沸いた邪な気持ちに動かされて、距離を詰めると本棚を背にさせた。
「ふみ、は?」
突然のことに心がおいつかないすみれは固まったまま、私を避けようとするもすでに後ろは本棚で横は
「そう。なら」
本棚へと突いた私の手がふさいでいた。
壁ではないけど、壁ドンに近い形。
品を感じさせるすみれの香りが私の鼻腔を満たす距離で彼女を見つめる。
「何驚いているの? こういうことされたかったんじゃないの?」
ふさいでいた手を彼女の頬にあてて、頬を滑らせた。
「っぁ……」
メッキがはがれたように私から顔を背け、頬を染めるすみれ。
その姿を可愛らしい、とは言えるけれど。
(アンバランスね)
少女のような反応にそう思う。
見た目に反して心は幼く、先ほどまでは虚勢を張っていたのもわかってしまう。
ここでキスでもするのがもしかしたらすみれの望みなのかもしれないけど……
「すみれ」
私は柔らかく呼ぶと頬にあてた手を顎へと持って行って、クイっとこちらへと向かせた。
「っ………」
わかりやすく緊張を走らせるすみれ。表情はどうにか保とうとしているが、それも体が震えてることが直に伝わっては形無し。
私はそんなお子様なすみれとの距離を少しずつ詰めていき、
「ふ、ふみ…あっ」
わずかにあった空間をゼロにした。
「? 文葉?」
ただしすみれの想像とは異なる形。
「これで満足?」
その美しい背中と腰に手をまわしてこちらへと引き寄せながら抱きしめる。
体温は私より少し低いのかそのぬるさが生々しい肌を感じさせる。
わずかに触れた髪はさらさらと指にあたる感覚は心地よく、強まった香りは私の心を穏やかにさせる。
「っ……」
顔は見てないけれど、今どんな表情なのかはなんとなく想像がつく。
肩透かしを食らって半ばからかわれたことを怒り、けれど少し安堵もしている。
そんな自分では表現しにくい感情を抱いているんでしょうね。
それこそ中学生か下手したら、思春期に入った小学生のように。
(…そんな貴女だから)
………続ける言葉は見つけられなくて。
「あんたにはまだ早いわ。ハグで我慢しておきなさい」
あえてすみれの感情がわかりやすい方向に行く言葉を投げるのだった。
あとから思うのならこの時に私は線を引いていたのかもしれない。
◆
あのハグの一件以来、私たちの交際は順調だったと言える。
二人の時間は増え、すみれからだけでなく私からも連絡を取ることは多くなったし、二人で会っても早瀬やあおいちゃんと同じようにとまではいかなくても、気兼ねなく話すこともできるようになった。
たまにあの場所で話が長くなり休憩が長すぎるとあの早瀬に注意をされたこともあるくらい。
相変わらず、すみれのことは聞かなくて私が最近読んだ本のことや私自身の昔のことを話すことが多く、すみれの謎についてはほとんどわかっていないままだが、今はそれもそれほどは気にしないことにした。
食事や買い物程度だけど、「デート」もこの一か月、一週間に一度はいくようなペースで順調なのは間違いないでしょう。
ただ、それは成人女性同士のお付き合いとしては健全すぎるものだった。
図書館で初めて私からハグはした。デートの中で指を絡め手をつないだこともある。別れ際に抱きしめてあげることもあった。
だが、そこまで。
友人と思っていなかった時も含めればもう数か月交際をしているのに、私からはそこまで。
キスすらできていない。
私の感覚でいうのなら、見た目はともかく中学生くらいと付き合っているような気分。
(……今のはなし)
早瀬でもあるまいし、そんな若い子になんて話せもしないわ。ただ、恋愛や性についてすみれはその程度ってことよ。
その理由を私は自覚していて、すみれがそれに不満を持っていることも私はわかっていたはずなのだけど、人の心が読めるわけではなくて次の転機へと向かってしまう