八月もお盆を過ぎたが、まだまだ「夏」の終わりの気配が見えないような時期。
日が沈んでも蒸し暑さは変わらず、相変わらずじめじめとした夏の夜の街を私たちは二人で歩く。
以前も来たショッピングモールの中にある映画館で過ごした後、軽く食事をして帰りのバス停へと向かう途中で。
「あぁ、これ今週だったわね」
私は掲示板に張られた一枚のポスターを見て足を止める。
「花火大会?」
つられて足を止めたすみれが興味なさげにつぶやく。
それは地方都市にありがちな夏の風物詩。隣の市に大きな川があり、そこの河原を開放し大々的に行われるもの。
土手には屋台が広がり、イベントの少ないこの近辺では人が集まりごった返す。
もっとも私が大学で東京にいたときには繁華街は常にその程度の人はいたけれど。
それはともかく
「行ってみる?」
花火大会と言えばデートの定番ということで、誘いはしたが
「嫌。人混みは嫌い」
「そういうと思った」
すみれの過去や背景はよく知らなくてもどんな性格かはわかっている。もともと人付き合いも得意ではないし、喧騒も好まない。
それは私もおな……
「文葉だってこういうの好きじゃないでしょ」
(やれやれ)
すみれにもその程度わかるか。
「まぁ、そうね。前に行ったときもそれほど楽しくなかったし」
「前……?」
……やれやれと心の中で繰り返す。
うかつなことを言ってしまったようだわ。
自慢ではないけれど、私は友人が少ないし花火大会になんていく相手は限られて、しかも悪いことにすみれの想像通りで。
「早瀬と行った」
先回りに答えた。
「……………」
顔をしかめるすみれはそれでも綺麗だなと思う余裕くらいはある。
一応、早瀬とは恋仲じゃないことは理解してもらっているし、何度か一緒に食事をしたりして早瀬にもその気がないというのは一応、本当に一応納得はしているのだけど。
(意地になっていくとか言い出すのかしら)
二人して人込みは苦手だとわかっているのに、ろくなことにならないからなんとか説得を……
「この日、部屋、来なさい」
「……っ?」
「私の部屋から見れるわ。花火」
出てきたすみれの提案は私の予想を超えてしまうもの。
……避けようとしていた方向だ。
デートは重ねても、家に行ったのはあの看病の時だけ。結局私の部屋にも招いてはいない。
高校生か中学生と付き合っているような距離感と、それに不満を抱いているすみれ。
そのすみれからの家への誘い。
(……考えすぎと言いたいところだけど)
そうではないんでしょうね。
ただ、断るだけの理由はなく
「お邪魔させてもらうわ」
そう答えるしかなかった。
◆
あっという間に時間は過ぎて週末の花火大会の日になる。
人波が会場へと向かう駅やバス停に向かう頃、私は駅とは別方向のバスへと乗り恋人の部屋へと向かう。
「相変わらず大きいわね」
彼女のマンションを見上げてつぶやく。
私の薄給では家賃を賄うことすらできなさそうな建物、私よりも下の年齢でここに住んでいるというだけでも彼女の特異さがわかり気おくれをしてしまいそうだ。
とはいえ、今気をくれしそうな理由は別にあるのだが。
(何も用意しなくていいとは言っていたけど)
もてなしは自分でするからとすみれは言っていた。しかし、本当にそうするわけにもいかず一応、ケーキとあおいちゃんのお店でよく飲んでいるお酒はもってきた。
それらがこのマンションに住む人間にふさわしいかというとわからなくて多少不安にもなる。
すみれだって私とおなじ人間なのだから何も問題はないはずだけど、まぁ気分の問題ねと庶民の卑屈さをにじませながら入り口につくと彼女へと連絡をし、最上階へと上がり、
「待っていたわ」
エレベーターを降りた瞬間に迎えられる。
「お出迎えありがとう。まさかここにいるとは思わなかったけど」
「恋人には一秒でも早く会いたいものでしょう」
「……ふふ」
虚勢を張って。その恋人らしいことをすればすぐ中学生みたいになるくせに。
「何?」
「なんでも。らしいと思っただけ」
「? まぁ、いいわ」
意味を掴み切れない反応には鈍いと言いたい。それとも弱みを見せられないってことなのかしらね。
ひとまずは普段通りのやり取りをしてすみれの部屋へと入っていく。
とりあえず持ってきたケーキを冷蔵庫にでも入れさせてもらおうとした私はキッチンに入ったところで足を止めた。
一人には十分に広いその場所に様々な食材、食器、調理道具が置かれており、それらはまとまりを欠いている。
平たく言うのなら料理の初心者が張り切って失敗しようとする前の状態に思えた。
「ごはんは今作ってるから少し待ってなさい」
「一応聞いておくけど、すみれは自炊するの?」
「ほとんどしないわ。でもまったくできないわけではないわよ」
「よくそれで手料理をごちそうしようと思えるわね」
「だからできないわけではないわ」
その言葉がウソというわけではないのでしょう。だけど、人にふるまえるほどの腕とは思えない。
(手伝うと言っても、面倒にはなりそうね)
すみれの性格からしてここは素直に饗応を受けるべきかしら。
「わかったわ。楽しみにしている」
「そうなさいな」
その言葉を信じることにして私はダイニングでお茶をいただく。
そろそろ時間も迫ってるなとなれない高層からの夕陽を眺めながら、すみれの様子をうかがうことも忘れない。
(やっぱりなれてなさそう)
包丁は使えるようだし、器具の扱いも思ったよりはできていそう。
しかし、複数のことをできもしないのにやろうとしているようにも見える。おそらく、自分の頭の中での想像通りにいっていなくて焦っているのだろう。
普段から料理をするわけではないくせに、「恋人のため」に頑張っている。
(……本当に私が好きってことよね)
最初は何の冗談かと思ったけど、今はすみれの好意を本気だと理解している。
私のなにがそんなにいいのかは知らないけれど、私のために一生懸命になってくれるところを見て何も思わないほど冷酷でもない。
嬉しいとは思うわ。
こちらが抱える様々な葛藤は別にして、すみれといることが嫌ではないし、好意も受け入れてはいる。
(葛藤、か)
恋人の家にまで来て、そんなことを考えている時点ですみれに礼を失しているのかもしれない。
でも……私は、すみれにせ……
ガッシャァン!
と、大きな音がした。
その音からして何が起きたかは大体わかり、目を向けてみるとその通りすみれが食器を落としていた。
幸いにして食材を乗せたものではないらしいけど、今のすみれにはそんなことを考える余裕もないでしょうね。
「すみれ、私も手伝うわ」
「……………」
不満げな顔を見せるが、一人でやった結果は今の轟音だ。
「恋人と一緒に料理をするのも悪くないでしょ」
「だから、文葉は便利に恋人って使いすぎなのよ」
憎まれ口が了承の合図だと察し、席を立ってすみれの料理を手伝うことにした。
(今は、素直にすみれの好意を受け入れるために協力してあげましょうか)
この見た目以外は未熟な恋人のためにね。