ブゥィィン。

 お風呂から上がって部屋に戻ってくると、机の上で携帯がなっていた。ちなみに、学校とかじゃマナーモードにする都合上、直すのが面倒なのでそのままにすることが多い。

 あれ? かけるかもしれないっていった時間よりも結構早いような気がするけど……?

 あたしは少し急いでそれをとると、湿った髪をいじりながら携帯を開く。

「ん、ゆめだ」

 と、思っていた人からの電話じゃなくて、がっかりしたっていったらゆめに悪いけどちょっと拍子抜け。

「はいはーい。なに?」

 珍しいってほど珍しくはないけど、ゆめから電話してくることはあんまりない。電話するときは大抵あたしからだ。

「……彩音?」

「あたしの携帯なんだからそら、あたしが出ると思うけどね」

「……そうだった」

 耳元にケータイを押し当てながらあたしはベッドに歩いていってそこに座る。

 どしたんだろうねゆめは。まぬけなこといったりして。

「………………」

 しかも、電話してきたくせに何も言わないし。

 ゆめが用もないくせに電話するとは思えないけど。

「……今日、楽しかった?」

 と、何をいうのか促そうと思ったところでゆめが口を開く。

「な、なに。いきなり」

「……彩音が、どうなったか……気になる」

「んー、まぁ、一言で言えば充実した一日でした」

「……なら……よかった」

「ゆめがそんなことでわざわざ電話してくるなんてめずらしくない?

 自分でそんなこととか言いたくはないけど。

「……今のはこじつけ。……彩音の声が聞きたかった…だけ」

「……さいですか」

 この辺はいつものゆめだ。

「……久しぶりに彩音の声、聞けて嬉しい。……さびしかった」

 久しぶりといえば、久しぶり、かな。なんだかんだで、学校が始まっても週一回くらいは電話してたし週末は会うことも多かった。

 ただ、今週はちょっと忙しかったのと、今日はご存知の通り澪のところにお邪魔してたからメールはしてても電話はしてなかった。

「ま、なら気がすむまでどうぞ」

 とはいうものの、ゆめも自分からあんまり話題ふれるほど器用じゃない。結局はあたしが結構一方的に話すことのほうが多くなっちゃう。

「……そういえば、こんなこと、あった」

 ただ、珍しく今日はゆめが自分から色々言ってきた。

 こういうの時のゆめは、あれだね。遊びたいっていうときのゆめだね。めったに自分から言い出せないからこうして普段とは微妙に違う態度でしめしてくる。

 それには気付いたんだけど、今のあたしは他にも気にすることがあった。

 それは、時間。

 時計を見るといつのまにかもう三十分もゆめと電話してる。

「あ、ごめん、ゆめ。そろそろいい?

「…………さっき、気が済むまでいいって、いった」

 ゆめの声に不満の色が混じる。それはその気が済むまでを反故にしたというよりも中々自分の触れて欲しいところに触れてもらえないからかもしれない。

「いや、えっと、実は電池切れそうなんだ」

 それは、嘘、だった。

 さっきはゆめがそこまで長話してくるとは思わなかったから、そういっちゃったけど本当は澪が電話をかけてくるかもしれなかったから。ゆめのいいたいことはわかったつもりだけど、澪からくると思うとゆめには悪いけどとりあえず、今は電話を開けておきたかった

いや、ほら確約じゃなくてもかけるって言われてる以上その時間携帯を空けておかないのは澪に悪いし。

「………………わかった」

 ゆめは感情は雰囲気や態度じゃなく、言葉にだす。

 けど、このわかったには抑えきれない不満がこもっているような気がした。

 多分、嘘をわかってるから……

「えっと、まぁ、今度埋め合わせはするから。おやすみ」

「……………………おやすみ」

 ピッと通話を切るとベッドに携帯を置くと同時にん〜っと大きく伸びをした。

「まぁたパフェでも奢ってあげないとだめかねー」

 そうすればゆめの遊びたいというか、会いたいって要望にもこたえられるわけだし。でも、やっぱ奢るのはやめとこ。この前みたいに破算させられても困るし。それに奢ったりで埋め合わせっていうのはなんか違う。

 この時のあたしはゆめのことをこんな風に軽く考えていた。

 ただ……

 ブゥィィン。

「っと」

 澪からの電話がきたあたしはそっちに意識を集中させてしまったのだった。

 

 

 ピ。

 ゆめは軽い電子音をたてた携帯を手のひらにおいてそれを悲壮をもって見つめた。数十秒ほどそうすると、ようやくパタンと携帯を閉じて枕もとに置いた。

 実は、電池切れそうなんだ。

 切る理由になった彩音の言葉が頭の中にリピートされる。それと同時にゆめの顔が一層滲んだ。

「……どうして、嘘……つくの?」

 ゆめをよく知らない人が見ればそれはいつもの無表情、無感情の声に聞こえたはず。しかし、ここに彩音か美咲がいればゆめが今どれだけ乱れているか気付いただろう。

 ゆめが自分から彩音や美咲にメールはともかく、電話をかけることはほとんどない。

 目の前にすれば、寂しいとも素直にいえるのに、電話みたいに会ってないところでも寂しいなんてところ見せるの苦手だった。

あまりに自分が弱い気がするし、なによりあまり自分からアプローチをかけると、99、9999%ないと思っても迷惑がられるんじゃないかと考えるだけで怖くてたまらなかった。

「………彩音の、バカ」

 でも、寂しかったから。彩音の声が聞きたかったから。なんだか、彩音が澪のことばっかりしか気にしなくなっちゃうような気がしたから。

 もう、三人でいられなくなっちゃうような気がしたから。

 だから、勇気を出して電話したのに。

「…………彩音」

 ゆめの呟きはどこまでもせつない。

 わかっていたはずだった。彩音がうまくいけば、三人でいられる時間が少なくなるなんて、わかっていた。

 この痛みだって想像はしていた。どれだけつらい思いをするか想像した上で彩音を応援しようと決めた。彩音への想いさえあれば痛みも耐えられると言い聞かせていた。

しかし、想像はあくまで想像でしかなく実際にその痛みを経験できるわけではない。だからこそゆめはあえて悪い想像をして、痛みに少しでもなれようとしていた。

 だが、それは無意味な行為でしかなかった。

 彩音を取られる痛みは想像なんてできるはずもなかった。いや、もしくは無意識に痛みの想像を耐えられるものでしかしてなかったのかもしれない。

 美咲といるのは嫌じゃない。美咲と二人でも楽しい、嬉しい。ただ、それも彩音と美咲と自分。その三人でいるときの満たされた気持ちとはまったく別のものだった。

 三人でいることはゆめにとって特別だった。

 三人でいられなくなることへの覚悟はすでに砂上の楼閣のようで、それすら簡単に崩壊寸前まで来ていた。

 今にも崩れてしまいそうな城の最後の楔を保っているのはゆめの彩音への気持ちだった。言葉では説明しきれない様々な想いだった。

 それは崩れかかった楼閣をつなぎとめる力は十分すぎるほどにあったが、同時に崩れ去るきっかけにもなりうる諸刃の剣だとゆめ自身も理解していた。

 

 

 翌日。

 ゆめは、当然だがいつも通り学校にきて自分の席に座っていた。

今は昼休み。すでに昼食を済ませたゆめは一人、携帯を思い詰めたように見つめている。

 周りの喧騒の中、時おり携帯を開けては小さくため息をついてまた閉じる。

「…………はぁ」

 またゆめは携帯を開いてその画面を見つめた。

 そこはメールの送信画面だが、そこにはあて先に「彩音」とあるだけで題名も本文も一切書かれていない。

 彩音に用があるわけではないけど意味のないメールだっていくらでもする。彩音や美咲からなんてたまに「……眠い」と書かれただけのだって送ってくるほどだ。

 メールをするのに理由はいらなくても、昨日の彩音に嘘をつかれて電話を切られたのがゆめの心に深く刻み込まれていた。

 また、おんなじようなことがあったら……彩音がそんなことする人じゃないのはわかりきっているはずなのに何故か、0、0001%でもその可能性を考えすくんでしまう。

「ゆーめちゃん」

 思考の檻にとらわれたゆめに澪を話しかけてきた。

「…………」

 ゆめはすぐに携帯をとじて机におくと澪に顔を向ける。

 そこにはいつもの澪の優しい笑顔。彩音ではないが、ゆめはゆめで妙な魅力があるというのも認めていた。

「ゆめちゃん、わたし。昨日ねー」

 ゆめは澪のことは嫌いではない。今この学校まともに話す人間なんて澪以外にはいないのもその一つだが、話せば決して悪い人間には思えないというよりもいいしえない惹き付けられるなにかは確かにある。

 澪単体で見ればゆめも澪のことを友だちと確かに思っていた。澪、だけで考えるのなら。

 ブー、ブー。

 机の上で携帯がなる。

「……メール」

 一言呟いて、携帯を開くと差出人に彩音の名前を見つけて、澪には気づかれないほど小さく顔をほころばせる。

 彩音にしては長いメールで昨日の謝罪と、昨日のゆめの会いたい、遊びたいという気持ちをちゃんと察してくれていたのか、遊びの誘いがあった。

 ただ、それが次の休みではなくその次の休みというところがゆめの心にしこりを残したがそれでもゆめの心には暖かいものが宿る。

 すぐに返信したかったが目の前に澪がいるのでとりあえず携帯を閉じてまた机の上におく。

「あ、そうだ。携帯電話といえばね、昨日彩音ちゃんといっぱい電話して今日眠いのー」

「……っ!!」

 澪の何気なくいったその言葉にゆめは目を見開いた。

 一瞬で色々なことが頭をよぎる。が、最終的には一つのことに収束していった。

 すなわち、昨日、彩音が自分よりも澪を優先したこと。だから、嘘をついてまで電話を打ち切ったんだということ。

「…………っ」

 泣きそうになった。

覚悟はあった。想像もしてた。それでも耐えきれると……

 澪が電話の内容を楽しそうに話している。ゆめはすでに半分以上思考が止まっている状態なはずなのに、次の言葉だけは何故かはっきりと聞こえてしまった。

「そうだ。次のお休みね、彩音ちゃんとお買い物いくんだけど、ゆめちゃんもこない?」

 外から聞こえる車も、教室に響き渡る喧騒も、他の雑音も、なにも聞こえなかった。

 静寂の海でそれだけがゆめに届いた。聞き取れてしまった。

 次の休み。

 電話をしたのは澪よりも先。そのときに彩音は会いたいというゆめの気持ちをわかっていた。それは、さっきのメールからも想像できる。

(…………次の休み)

 それでも、ゆめが誘われたのは次の次、だった。気持ちには先に気付いていたくせに。

 わかっていた…………はず………………だった。

ゆめの楼閣を支える楔がぐらぐらとゆれていた。ゆめの気持ちひとつでいくらでも堅くももろくもなる楔はもう、限界にきていた。

(…………わたしは、澪の……次……)

「……澪」

「なぁに? ゆめちゃん」

「…………彩音のこと、とらないで」

 

 楔が、抜けた

 

 気付けばそんなことを口走っていた。

「え?」

「……彩音が澪のことばっかり……気にするの……嫌」

「あの……、ゆめ、ちゃん?」

「………………それ、だけ」

 ゆめは言い終えると同時に立ち上がってそのまま教室を出て行った。

 澪は何が起きたかわからないままその背中を見送り

「ゆめちゃん……」

 と呟くだけだった。

 

ノベル/Trinity top/四話