寒さもやわらぎ夜が世界を覆う時間が徐々に短くなってくる頃。
そんな春の訪れようとしている夜をゆめは一人部屋のベッドで過ごしていた。
「……………」
眠くてベッドに入ったはずだが、眠気はありつつも中々眠れていなかった。
次の日が月曜日で学校が憂鬱ということではない。ゆめは楽しいものとは思っていないが彩音と美咲に会えないことは苦痛でも覚悟していたこともありそれほど苦にしてはいなかった。
(……彩音……美咲)
しかし、最近はそのことも重くのしかかってきていた。学校で嫌なことが起きたわけではなく、眠れない、というよりも寝る時間すら惜しんで考えごとをしてしまうのはその大好きな二人のせい。
この日もゆめは休みということで彩音の部屋を訪れていたが、また前に思っていたような疎外感を感じるようになってしまっていた。
実際はもちろんそんなことはないが、ゆめの目からにはそう見える。
(……二人とも、すごく仲良し……)
それは知り合ったころからわかりきっていて、一時は二人いるだけで楽しそうなんだから自分がその中に入る必要はないどころか二人の世界に入るのが変とすら思った。
だが、今はその中に入って三人いつも一緒で気持ちも同じに思えていた。
はずだった。
「……彩音……」
ぽつりと彩音の名前をつぶやいてその姿を思い浮かべる。
(彩音のこと好き。……美咲のことも、好き。けど……)
二人の前以外ではほとんど変わらない表情を困惑に変えて、ゆめは今度は二人のことを、特に、彩音と美咲が一緒に住むようになってからの二人を思う。
そして、また表情を微妙に変える。
(…………変)
思考がまとまらない。今までこんなことはなかったのに、二人のことを考えると胸の中にもやもやしたものが生まれてくる。それも、二人のことを考えるとき、彩音のことを考えるとき、美咲のことを考えるとき、すべて違う感情。
ゆめはそれが何なのかわからず、こうして時には夜明け近くまで悩み過ごしていた。
そんな日々がいくらか続いたある日。
(……彩音……)
ゆめは学校の自分の席でぼーっと彩音のことを思い浮かべていたら、いつのまにか教室内ががやがやと騒ぎだした。そのざわつきは昼休み特有の開放感に満たされたもので、教室には教室にひと時の安寧が訪れていた。
(……彩音)
だが、ゆめは幸せに満たされる教室で一人それにすら気づかず煩悶としていた。
(彩音)
それも、朝から、いや昨夜から、いや、それ以前からずっとほとんど同じ相手のことばかりを考えていた。
今何してるんだろう。美咲と一緒かな。私のことを考えてるかな。と、同じようなことばかりを考えるのに思うのは止まらない。
(……変)
そんな自分をゆめは時折我に返るとそう思う。
今までは会いたいとは思っても、会ってない時に何をしているのかなんてそこまで気にしていなかった。だが、今はどこで何をしていても気になってしまう。
トクン。
(っ!?)
そして、たまにこんな風に心臓が跳ねる。
(……何?)
そのたびにゆめは首をかしげていた。急に心拍数が上がるなんて普通ではない。と考えてしまっている。
そのことに対して嫌な感じはしないのだが、どこか体の異常なのではと思うのとは別に不安も感じてどうすればいいのかわからなかった。
「ゆーめーちゃん」
(……へん)
「ゆめちゃん?」
(……どうしたん、だろう……)
「ゆめちゃん」
ムニ。
「っ!?」
一人思考の世界に入っていたゆめはいきなりほっぺを引っ張られる感触にやっと目の前に人がいるのに気づいた。
「……澪」
そこにいたのはこのクラスで唯一友達といえる相手だった。
「あ、やっと気づいてくれた。ゆめちゃんどうしたの? 最近ぼーっとしてること多いけど」
「……うん」
自分が変な状態にあることを自覚しているゆめは素直にうなづく。
「あ、とりあえずそんなことよりお弁当一緒に食べよ」
「……もう、お昼?」
「え? そうだよ。気づいてなかったの?」
「………うん」
言いながらゆめは机の横にかけてある弁当袋を取ってそこからお弁当をだす。
そうして、二人食べ始めるがゆめの思考は変わらずに彩音に奪われたままだった。
「ゆめちゃん? 聞いてる?」
「…………聞いてなかった」
どうやら澪が何か話していたらしいがゆめは耳には入れながらも彩音のことばかりを考えていて頭に入っていない。
「…………………」
(……私、おかしい)
今までも澪の前で彩音たちのことを考えることは少なくなかったが、さすがに澪の話をまったく聞かずということはなかった。
「……………」
自分の身に何か起こっている。そのことはわかっていながらもゆめはその感情の対処法がわからない。
「………澪」
わからないことがあったら素直に聞く。それがゆめであったはずだが、この件に関してはそれをしてこなかった。
ゆめにとって悩み事を話せる人間など彩音と美咲しか存在しなかったが、なぜかこのことに関しては話をしたくなかった。
「なぁに?」
「……最近、私、変」
しかし、このもやもやを抱えているのはなんとも面白いものではなく友人である澪に意見を求めようとした。
「ん? ゆめちゃんは前からちょっと変だったよ?」
「……澪に言われたくない」
「え? 私は変じゃないよ?」
「…………」
はっきりという澪をゆめは不審な目つきで見つめる。
が、ゆめはゆめで自らを変わっているなど思ってはいなく、ある意味似たもの同士ではあった。
「と、とにかく何が変なの? ゆめちゃん」
「……最近、彩音のことばっかり考える」
「え?」
「……どこで、何してても、いつも、彩音のこと……考える」
ゆめの表情はいつも通りだった。自分が何を言っているのか理解していないゆめは、恥ずかしさなど一切なく単純に疑問を口にしている。
そんなゆめを澪は新鮮な驚きをもって見つめた。
「……それで、体熱くなって、ぼーっとしてくる………」
ゆめ以外の人間であればそれが何かわかるだろうがゆめは淡々と続ける。
「……なんで?」
「ゆめちゃん、それは病気なの」
「……え?」
澪はなぜか嬉しそうな笑顔をゆめに向けた。
「……病気?」
「うん」
「……………風邪? ……言われて見れば、そうかも」
体や顔が熱くなって、思考もおぼつかなくなる。風邪を引いたときには寝付きも悪くなってもおかしくはない。風邪で心細いから彩音に会いたくなって彩音のことばかり考える。
順序が逆なのだが、ゆめはそう結論づけた。
「って、違うよー」
しかし、ゆめにとって一見矛盾のないと思っていた答えを真っ向から否定された。
「ゆめちゃんが彩音ちゃんのこと好きになっちゃったってこと」
「……? 彩音のこと、前から好き」
「そうじゃなくて、恋しちゃったの。恋の病だよー」
「…………恋?」
(…………恋?)
口にするのと同時に頭の中で同じ言葉をめぐらせた。
(……こい)
ゆめは勉強はでき、記憶力もある。頭の回転は悪くない上に、昨日をよく知ったうえで翌日以降のこともよく考え、予想できる。
だが、知らないことはいくら考えようとわからない。
「…………恋?」
言葉はわかるのだが、今自分の身に降りかかっている異常がそうなのか経験のないゆめには確信が持てなかった。
「そう。彩音ちゃんのこと大好きになっちゃったの」
「……だから、彩音のことは前から好き」
「んーと、そうじゃなくて。恋人になりたいって思ってるんだよ」
一方ゆめが彩音に恋をしていると確信している澪は終始嬉しそうにゆめを諭していた。
「……こい、びと?」
「そう。ずっと一緒にいたいって思ったり、どこか一緒にいきたいな〜って思ったり、もっと笑顔が見たいな〜って思ったりするでしょ」
「……そんなのも前から」
「ん〜。えーと……じゃあ」
心のどこかでそういう日がくることを応援していた澪はゆめにその気持ちときちんと向き合って欲しいとゆめを納得させようとするが実は澪自身もあくまで知識として語っているに過ぎず、あまり説得力を持たないのかゆめの反応は鈍い。
「あ、ほら。ぎゅってしてもらいたいって思ったり」
「……ぎゅ……」
「あと、キスしたいな、とか」
「……キス……?」
だが、直接的な言葉を投げかけられゆめの反応が変わる。
(……キス。彩音と……キス……?)
「そうそう。彩音ちゃんに優しくぎゅってしてもらってね、それから…………」
(……彩音に抱きしめられて……)
まだ澪は何かを言っていたようだったがゆめはそれを耳には入れず、頭の中に浮かんだヴィジョンをみつめて………
「…………………………っ!!?」
急に顔を真っ赤にして首をふった。
「…そ、そんなの、だめ!」
「え? 彩音ちゃんとキスするの嫌なの?」
「……やじゃない、けど」
「けど?」
「……そんなの、恥ずかしい」
想像だけでもそれがきわまってしまったのかゆめは真っ赤にした顔で眼鏡の裏にある瞳を若干潤ませ俯いてしまった。
「っ〜〜。ゆめちゃん、可愛いー。それが、恋なんだよ。………………きっと」
最後に不安そうに囁いた言葉はゆめの耳には届かずゆめは、
(……………恋)
と自分の中に芽生えた感情に困惑していた。