澪にゆめとの馴れ初めを話した翌日。
……もう会わないようにしようと言われた翌日。
あたしは、学校の自分の机で呆然と頬杖をついていた。目に力はなくて、どこを見てるのかさえ定かじゃない。
「……………」
朝の学校っていうのは静かなもので聞こえてくるのは校庭からの部活の早朝練習の音くらい。クラスの中には数人いるけど特に騒ぐこともなくあたしと同じように机にいる人がほとんど。
目が死んでるようなことはないだろうけど。
「ここにいたのね、彩音」
死人のような目をしていたあたしの目の前に剣のような鋭い目をした長身の女の子が立っていた。
「…………美咲」
美咲は鋭く尖って視線で容赦なく私を突き刺している。
「連絡もなしに、先に行くとかひどくない?」
小学校のころから、美咲とは登下校ともいつも一緒。基本的には美咲が先にきて、まだ朝ごはんを食べていたり、果ては寝てたりするあたしを待つのが美咲の朝の習慣。どっちかが用事とかで先にいくなら事前に連絡をしておくのがルール。
「……別にいいじゃん」
けど、今のあたしはそんなことするのも面倒。例えメール一行ですむようなことでも、今のあたしはしようと思えない。
すべてに対して何のやる気もおきない。
まして、美咲相手ならなおさら。
ゆめのことを言われるのはいやだから。
「な〜にブスってしてるんだか。まぁいいわ、ちょっと、顔かしなさいよ」
「は? バカじゃないの。顔なんて貸せるわけないじゃん」
あたしの憎まれ口にも美咲はあたしのことを冷静に見下してくる。
「いいからこいって言ってるのよ」
そうして、侮蔑のようなものを声に含ませて強引あたしの腕を引っ張って立たせた。
「別に、ここで話せばいいじゃん」
「あんたに気を使ってあげてるんでしょうが」
「美咲にそんなことされる覚えはない」
「っ。あっそう!」
美咲はどこか人気のないところにでも連れ込もうとしていたみたいだけど、あたしの態度にムカッときたのか廊下を少し行ったところで止まった。
また乱暴に腕を放されふらついたあたしはそのまま窓に寄りかかる。
「あんた、ゆめに何したの?」
美咲はあたしの様子なんておかまいなしに単刀直入に切り出してきた。
「なんでそんなこと美咲に話さなきゃいけないわけ? そんな義務があたしにあるの?」
「あるわよ。義務も、責任も」
「…………ない」
「ある」
「ない」
「……あんまりふざけてるなら怒るわよ」
「ふーん。それで怒ってないつもりだったんだ」
「……彩音。これ以上ふざけるなら、あんたのこと軽蔑するわ」
情けのない声だった。その言葉はあたしの胸を容赦なく突き刺す。
「……………」
ごまかせない。そもそも美咲相手にそんなことをするほうが無謀だった。それでもあたしはただ目を背けた。
……自分でも思い出したくない。
「…………」
あたしの様子を察したのか美咲は黙ってあたしの言葉を待つ。
いえない。言いたくない。
ゆめにしたことなんて、ゆめにしてしまったことなんて。
でも、悪いのはあたしじゃない!
ゆめ、ゆめが……澪に…ゆめのせいで……澪は……あたしから……
「昨日、ゆめから電話来たのよ」
「……………」
「泣いてばっかりで何言ってるかわかんなかったけど、彩音が……とか彩音に……とか、まぁあんたのこと色々いいはするんだけど何言いたいのかさっぱりだし、何があったのって聞いても泣いてばっかで要領得ないし。わざわざ会いにいっても、電話してきたくせに何でか会いたくないって断られるし。んで、ゆめのお母さんがいうには何時間か前に彩音が来てからこうなったって話じゃない」
ゆめ……そんななんだ。……あたり前、か。あたしにあんなことされて、あんなこと言われればゆめがどんな風になるかくらいわかる。
でも、傷ついたのは……ゆめだけじゃない。
あたしの、ほうが……
「はぁ……」
顔を背けて、唇を噛み締めるあたしを見て美咲は軽く嘆息をつく。
「……その様子だと、一応あんたにも自覚はあるみたいね。いいわ、ここは引き下がってあげる。けどね、理由もなしに……いくらなんでもあんたがゆめにそんなことするわけはないだろうけど。あんまり馬鹿な理由でゆめのこと傷つけたんなら許さないから。じゃあね」
馬鹿な理由……?
ふざけないでよ! あたしは……
そう言い返したかった。でも、昨日ゆめにしたこと、言ってしまったことを思うと、あたしは黙って自分に爪をつきたてるくらいしかできなかった。
「……今から、会いにいっていい?」
昨日のことは気が昂ぶりすぎててよく覚えていない。一言こういってゆめの家に向かった。
それで、ゆめの部屋に入った瞬間。
パン!
……ゆめに一発食らわせた。
「……あや、ね……?」
ゆめは自分がされたことが信じられないみたいにあたしを見てきて、あたしは多分親の仇を見るような鬼気迫る目でゆめを射抜いた。
それだけでゆめはそのまま尻餅でもつきかねないくらいにひるんだ。怯えてたって思う。ううん、怯えてた。ほとんどのことはうろ覚えでも、所々脳に直接焼き付けたみたいに覚えている箇所もあった。
「澪に……なにいったの?」
「……??」
当たり前だけど、ゆめは何がおきてるか全然わかんないみたいでうろたえたままそれでも心当たりを探そうとしていた。
「なに、か……いったんでしょ。ゆめが……っみお、に……」
あたしはほとんど泣いてた。頭じゃ少しでも冷静になってゆめの話を聞いてからにしようって思っているはずなのに、心は澪に会わないようにしようと言われたショックで尋常じゃいられなかった。
「……………………」
ゆめはしばらく黙った後
……コク。
小さく頷いた。
「なに……いった、の?」
悲しみと怒りに震えながらあたしはなんとかゆめと会話をしようとした。
「……彩音のこと、取らないでって」
「なに、それ? わけ、わかんないんだけど……」
「……だって、彩音が澪のことばっかり、気にするの、嫌…だった」
「わけわかんないって言ってんの!」
あたしは激情に任せたままゆめのことを突き飛ばしてた。
ボフン! と、後ろにはたまたまベッドがあってゆめはそこに倒れこんだだけだったけど、ベッドがあったのなんて偶然。ゆめの後ろにあったのが机だろうが、本棚だろうが、壁だろうが、あたしは突き飛ばしていた。ベッドじゃなければ怪我をさせていたかもしれない。
「言ったじゃん、応援、するって。なに? あれは嘘だったわけ? 口先だけ?」
「……嘘、じゃない」
「っ! だったら、なんで澪にそんなこと言ったの!?」
「……嫌、だった。澪の、次、なんて」
ゆめは躊躇しない。こんな時でもはっきりと自分の気持ちを述べてくる。
「なに、それ……? そんなのただのわがままじゃん」
わかってる。知ってる。
「そんなことであたしは澪にもう会わないようにしようなんて言われなきゃいけなかったの?」
我がままなことをいってるのは。自分勝手なことを言ってるのは。
「ふざけないでよ!!」
あたし、だ。
ふざけたこといってるのは、理不尽なことしてるのは、あたし。
そんなのわかりきってても、この時のあたしは止まらなかった。
澪に言われたことのショックをゆめへの怒りに変えて紛らわせようとしてるだけ、だ。
「……彩音。…わたし……」
「うるさい!」
何かを言おうとしてきたゆめをあたしは一蹴する。
「ふ…はは、まさかゆめに邪魔されるなんて思わなかった」
気持ちを吐き出せば、あたしはその分楽になれたし、気が昂ぶっているから心のリミッターが外れていた。
「……もういいや。なんかあんたのこと、どうでもよくなった」
簡単に親友相手にひどいことが言えてしまうほどに。
この言葉ですでにゆめは思考停止状態になっていた。
それだけでもゆめには十分すぎる痛みだったのに……
「……もう、友だちとか思わないでいいから」
この時のゆめは忘れられない。
この世の終わりみたいな顔をして、一瞬で涙が溢れて、中学の卒業式なんて目じゃないほどに泣き出した。
しかも、あたしはそんなゆめになんら関心を持つことなく。
「じゃあね」
そういって部屋を出て行った。
ゆめの家を出たとき、すっきりした。せいせいしたというのはあんな感じだと思う。
けど、それは一瞬であとに残ったのは胸くそ悪い罪悪感と、自分への怒り、羞恥、慙愧。自分を責める気持ちだけだった。