…………今日も一日が終る。
あたしは、今日も一人で校舎の出口をくぐるとコンクリートの地面を通って裏にある駐輪所に向かう。
半ば錆びの入った屋根のしたに似たような型の自転車が所狭しと置いてあって、あたしはその奥、屋根からあぶれた自転車が並んでいるところに向かう。
その間ある人物の、美咲の自転車を探しながら行くけど美咲の自転車が見つかることはなかった。
「別に、いいけど、さ」
あたしは駐輪所にいるほかの誰にも聞こえないような声で呟いて鞄を自転車のかごに入れる。
よくなかった。全然よくなかった。
美咲はあの日から朝、迎えに来てくれることもなければ放課後駐輪所で待っててくれることもなくなった。
……なによ。別に美咲にこんなことされるようなことはしてないじゃん。何が『ここは引き下がる』だ。ここはもなにも、アレ以来話だってしてこないし。
あたしは仏頂面で自転車を校門まで転がしていって、やっと校門を抜けるとサドルに跨って勢いよく漕ぎ出す。
変哲のない町並みをいつもよりも速いペースで駆け抜けていく。
(なんなの!? 最近のあたし!? 美咲とゆめと話さなくなっただけでこんなになるなんて)
あたしは友だちは多いほうだと思う。気に食わない人間とはほとんど話すらしなくてもそんなのはクラスでも限られるしほとんどの人間とは気兼ねなく話できる。
だから、ゆめや美咲があたしの世界からいなくなろうが別にその穴埋めなんて簡単なはず! はず、なのに……
流れる景色がゆっくりになっていく。
(なんか、違うんだよ……二人と一緒にいられないことって)
あたしは半ば前もよく見ないで道路すら横切り、ふらふらと危なっかしい運転でせまい路地に入る。学校から十分ちょっと、もうすぐ家だ。
友だちを失うのと、親友を失うことには差がありすぎる。
家に帰るのは気が重い。どこか出かける気にはなれなくて、部屋でじっとしてることになっちゃうから。
しかも、その間は大体は澪に言われたことよりもゆめのことばっかりしか考えられない自分がむかつく。あたしにとって澪はその程度だったの!? って憤りはおきるけど、結局はゆめを……ゆめにあんなこと言ってしまった後悔ばっかりが湧いてくる。
なのにあたしはゆめがどうしているか全然知らない。泣いてなきゃいいけど、くらいにしか思えない自分のことはむかつくを通り越して信じられない。
(謝らなきゃいけないのは、あたしだって、知ってる、けど)
でも、ゆめへの怒りや憎しみが収まったわけじゃ……ううん、嘘。怖いだけ、ゆめに会うのが。
ゆめの闇に向き合うのが。
「ただいま」
思考をしている間に自転車を家の玄関前に止めてドアを開けて家に入る。
「おかえり」
と、出迎えをしてきたのはお母さんじゃなくて……
「なっ! なんで美咲がいんの!?」
そこにいたのは美咲だった。帰ってからすぐ来たのか制服姿のままで玄関よりも少し高い位置からあたしのことを見下ろして、
みくだしての方があってるな。
あたしを見下していた。
「今さら、あんたの家にくるくらいで驚かれるとはね。あ、おばさんは買い物行くって言ってたから」
「あ、あっそう」
あたしはドアを開けたところから値踏みでもするかのように美咲を見上げている。
「じゃなくて! 何の用かって聞いてんの!」
「何の用かわかんないほどバカでもないでしょ。……来なさい」
美咲は少し冷たい目であたしを見下ろした後、中指を挑発するようにクイクイっと動かした。
ゆめの、ことに決まってるか。
あたしは厳しい顔で覚悟を決めると、靴を脱いで家に上がろうと
「あ、うがいと手洗い。忘れないように」
「……はいはい」
あたしは言われたようにうがいと手洗いを済ませて自分の部屋に入っていった。
「彩音」
部屋に入ったあたしに美咲はやさしい声で近づいてきて……
パン!
視線が部屋の隅に飛んで、ほっぺがじんじんし始めると何されたのか理解した。
ビンタされた。美咲に。いきなり。容赦なく。
「なにすんのよ!」
食って掛かるあたしに美咲は冷静に応える。
「今のはあたしの一週間の苦労と、むかついてた分」
パン!
返す手でもう一発。
「今のは宮月さんの気持ちをわかれなかった分」
あたしは両方のほっぺに痛みを感じて美咲をにらみつけようとしたけどその一言で止まる。
澪の、気持ち……?
「それで、これが……」
美咲はあたしを掴んで体を入れ替えると、ニ、三歩前に押し出してきて
「ゆめの……ぶん!」
「ぅあ、きゃ!」
白いベッドに乱暴に突き飛ばされた 。
まず見えたのは天井。がくんと頭が揺れて少し後ろにそったあと反動で戻り、美咲の明らかに激怒している顔が写った。
「どんな気分? 本当はゆめの分はおもいっきり殴ってあげたかったけど、こうされるほうがゆめの気持ちが少しはわかるでしょ?」
「…………っ」
あたしはベッドの上で仰向けになったままバツの悪そうに美咲から目を背ける。
「結構大変だったのよ。この一週間」
美咲はそういって倒れているあたしの隣に座る。端整な眉目であたしを見る目にはさっきまでの怒りはない。
「……大変って?」
あたしも体を起こして、クシャっとなった髪を軽く整える。
あたしと美咲がこんな風ほとんど密着しながらベッドに並ぶとき。それは悩みの相談だったり、ちょっと重い話だったりだけど誘ってくるのはほとんど美咲だ。
「宮月さんに話聞くのはすんなりだったけど、ゆめが、ね」
しかも、大抵はあたしの悩みを察知してだったりするから美咲は用意がいいというか面倒見がいい。
こんかいは……おせっかいってあたしは思うけど、そのおせっかいに今まで何回も救われてきた。
「澪に……?」
美咲はゆめの様子くらいしか知らないはずだから澪にまで話を聞きにいく必要はないはず。
「あんたがゆめに何かするとしたら、宮月さんのことくらいしかないでしょう」
そりゃ、そう、か。あたしがゆめに何か……ひどいことをしちゃう理由なんて限られる。美咲がその程度のことを失念するはずがない。
「ま、話聞いて思ったけど、あんたさぁ……」
美咲は一度真っ直ぐ前を見つめたあと、あたしの横顔を覗き込んで。
「バカでしょ」
脈絡もなく言ってきた。
「なっ!? い、いきなり意味わかんないこといわないでよ!」
あたしは思わず、自慢のポニーテールを振り乱して美咲に食って掛かった。
「なに宮月さんにふられたことをゆめのせいにしようとしてるわけ?」
「ふ、ふられてなんか……」
「ふられたわよ。望みなし。なのにゆめにあたるなんて完全な八つ当たり。そもそも、ゆめがいなきゃ宮月さんは彩音に興味持つことだってなかったんじゃないの? 言われたんでしょ? ゆめ……一応、私も含めて、そういうときの彩音が好きだったんだって」
「それが……なによ」
美咲にこういうこと言われると自然にいじけたような口調になってしまう。
「つまり、宮月さんがあんたのこと好きだったのって絵を見てたようなものなのよ。私たちが三人でいる場面を切り取って、あんたのことが好きだって言ってるの。これから絶対って保障はなくても、少なくても今は宮月さんがあんたに応えて欲しい気持ちを返してくれることはないって断言できるわ。彩音、あんたはそれを認めたくなかった。だから、ゆめにあたって紛らわせようとしたんでしょ」
「っ……」
あたしは口を一文字にしたまま何も言い返せない。ほとんどその通りだから。
「それに、ゆめのことだけじゃなくてもあんたは最低。宮月さんが会わないようにしようって簡単に言えたと思うの? 友だちにそんなこと軽い気持ちで言えたって思うの? あんたがどんなこと言われたのかまでは知らないけど、私には彩音ちゃんのことは大好きだって話してくれたわよ。好きだから、彩音ちゃんには一番いい笑顔になって欲しい。それには自分がいちゃだめなんだって。寂しそうにそういってたわよ宮月さん。宮月さんは自分じゃなくてあんたのことを、大好きな彩音ちゃんのことを想っていったことなのよ」
「…………」
でも、あたしは澪と一緒にいるのが、一番……いちばん?
「なのにゆめのことを傷つけて、完全に宮月さんの気持ち不意にしてるじゃないの。そんなことしたって誰も喜ばないでしょ。ゆめは泣いちゃうし、宮月さんも余計なことしちゃったかなって後悔してるし、あんたはらしくもなく落ち込んでるし」
美咲はここで一旦言葉を切って、躊躇を見せた。言うべきことは用意してるはずだけど、それをすんなり言えるほど美咲だって完璧じゃない。
でも、それでも言うのが美咲だ。
「割り切りなさいよ」
「っ!」
美咲の言ってることはきっと正論だって思う。思うよ!? でも、
「み、さきに何がわかんのよ! あたしの気持ち、なんて」
わかるはずない! 美咲は遠くからみて偉そうに正しく聞こえるようなことを言ってるだけ。人の気持ちなんか考えもしないで、理論的なことを言ってるだけ!
「わかんないわよ。ふられたこともないし」
「じゃあ、勝手なこと言わないでっ!?」
涙目になって叫ぶあたしは美咲の行動に驚いて思わず口を閉ざした。
「……わかんないわよ。話してくれなきゃ。あんたは、私に話してもくれないでゆめに八つ当たりして、それを後悔してるくせにゆめに謝りもしなければ、これも私に話してもくれない」
美咲はあたしの頭を抱えて自分の胸に埋めさせていた。
そのふくよかな感触を与えながら、美咲は子供をなだめるみたいに背中を優しくなでてくる。
「言ったじゃない。慰めてあげるって。あんたの悲しみなんてわかるはずもないけど、それでも話してくれれば一緒に泣くことくらい私にだってできるのよ? 昔からそうだったでしょ? 何かあったら一緒に泣いて笑って、食べて騒いで、それが親友の役目でもあるんだから」
「……美咲」
やなやつだ。
始めはけんか腰だったくせに、いつも間にかあたしをこんなにも暖かく包んでくれてる。あたしのことをどこまでもわかってる。
「……ごめん。あたしがバカだった」
本当はわかってた。ゆめにひどいこと言ったときから、あたしは澪にふられたのをゆめのせいにして、悲しみを怒りに代えて撒き散らしていたに過ぎないって。
それをわかってた。だから、この一週間は澪のことよりゆめのことばっかりを考えていた。
「今頃気付いたの?」
「……なんでここでそういうこというのかね」
「ま、いいじゃない。ところで許してあげてもいいけど、一つ条件があるわね」
美咲はあたしを胸から開放して不適な笑みを浮かべる。
「ゆめに謝って来い、でしょ?」
あたしも完全に意図を察して似たような笑みで応える。
「あたり。じゃあ、さっさといってきなさい」
「っ、普通こういうとき心の準備ってのをさせるもんじゃない?」
「いいから、さっさといきなさい」
「……わかったわよ。でも、せめて顔くらいは洗わせてよね。涙目になってみっともないし」
あたしはそういって洗面所に向かおうとベッドから立ち上がって部屋を出ようと
「あ、ちょっと待って」
するあたしを美咲が呼び止める。
「なによ、これ以上なんか……」
「ついでだし」
パン。
軽く、ビンタを食らう。
「……これは、何の分でしょうか?」
「宮月さんにかまけてて私を寂しくさせた分。ま、あんまり深くは受け取らないように。つまりはあんたにむかついた分よ」
「むかついてた分ならもうもらったはずだけど?」
「さっきのとは別。いいから、早くゆめのところ行くわよ」
「……わかったわよ」
最後のビンタは腑に落ちないものだったけど、まぁそれでもこんな親友がいるというのは……ありがたい、かな。
あたしはこれからゆめに謝りにいくにも関わらず、不謹慎に笑いながらゆめの家に向かっていった。