「それじゃあ、先生お願い、します」

 そう言って、なずなちゃんはあたしの前で頭を下げる。

「うん、よろしくね」

 と、あたしもそう答えて隣に座り、参考書を開く。

 二人の恋人に許可してもらって迎えたバイトの初日。

 なずなちゃんに迎えられたあたしは部屋でその日のお勉強を見てあげる。

 一応、仕事としては家庭教師と言われてはいるけれど、中学受験をするわけでもないし宿題や学校でのわからないことを聞くくらいだからそこまで難しいってわけじゃない。

 もちろん、だからって手を抜いていいわけじゃないから、ちゃんとそのあたりのところは復習してきたけどね。

「先生、ここ……?」

「うん、そこはね」

 ちなみに先生と呼ばれてるのはあたしがそうさせてるわけじゃないよ。

 お勉強を教えるってなずなちゃんが知ってから、そう呼ぶようになったの。理由まではちゃんと聞かなかったけど、まぁなずなちゃん真面目な子だし教えてもらうからってそんな理由だけかもしれないけどね。

(……にしても)

 最初この家に来たときは宿題にてこずってたみたいだけど、今はそんなことなさそう。まぁ、確かに最初の時も見てあげながらしたら結構すいすいと解けてて、正直無理にあたしが教える心配もないのかなって思うほど。

 なずなちゃんのお母さんである千尋さんとしては、一緒にいてあげることが目的みたいなことは言ってたからそれはそれで問題はないんだけど、お金をもらう以上何も役に立ててないというのは少し気になるところ。

「………先生、どうかしたの?」

「っと。ごめん、なんでもないよ」

 不思議そうに見上げてくる様子がすごくかわいくて、ちょっと動揺しちゃったけどそれを表に出すことなく再び勉強に集中すると……

「終わっちゃった、ね」

「………うん」

 今日の宿題と言っていた部分が一時間ほどで終わりを告げた。

 基本千尋さんが帰ってくるまでと言われてるから、まだまだ時間はある。

 このまま時間を持て余したらやはり悪い気がするけど、まだあたしだってこういうことに慣れてなくどうしようかと悩む。

 もっとこっちから予習とか復習とかを提案したほうがいいかな? けど、小学生にそこまで必要とは思わないし。かといっておうちのことを手伝おうかというのも、勝手に首を突っ込んでるような図々しい気もするし。

 いや、こうして家に上がり込んでる時点で図々しいといえば図々しいけど。

「あの、先生?」

「あ、な、なに? 何かわからないことある?」

「違くて……先生ってお料理、できる?」

「へ? 料理?」

 思わぬ質問に、ちょっと調子をはずした声を出した。

「うん」

「まぁ、できないわけじゃないよ」

「……それじゃあ、お料理……教えて欲しいの」

「料理を……」

 これは少し意外な展開。何があたしの業務範囲なのかははっきりしてはいないけど、こうなるとは考えていなかった。

「…お母さん、いつも忙しい……から、お料理できたら……お手つだいになる……」

「なずなちゃん……」

 この子はなんて優しい子なんだろ。

 今千尋さんはほとんど毎日朝に夜のごはんの準備も済ませてると聞いた。

 確かにそこでなずなちゃんが自分で料理ができるようになれば、朝は楽ができるし、夜も帰ってきてすぐに暖かい料理をふるまってあげられる。

 確実で、効果的な親孝行だ。

「駄目?」

 正直あたしの考えからすると、これは業務の範囲外だと思っているし、あたしがいるときはともかくまだ10歳やそこらの女の子に包丁や火を使わせるのも少し危ないかもしれない。

 でも、

「せんせい?」

 少し不安そうにあたしを見上げ、舌足らずにあたしを呼ぶ姿と、そうさせている動機がどこから来ているのかをしるあたしは

「うん、あたしにでできることならなんでも教えてあげるよ」

 と、答えるのだった。

 

 ◆

 

「へぇ、それじゃあこれからは料理も教えるんだ」

「ん、そゆこと。いやー、ほんといい子で眩しくなっちゃうね」

「………………」

 帰宅した後は三人でご飯。なずなちゃんは一緒に食べてって欲しいといったし、千尋さんもバイトの日は食べてくのはどうかと誘ってくれたけど、本当に特別な事情でもない限りは夕飯は三人で決めてる。

 そんなことでまっすぐに帰ってきて、二人に今日の出来事をお話し中。

「で、千尋さん……あー、なずなちゃんのお母さんにもちゃんとそういうことしたいって言ったらちゃんとオーケーしてくれてさ。そういのちゃんと理解してくれるのっていいなって思ったよ」

 まだ十歳程度の娘が自分のいないところで包丁や火を使って料理するっていうのは、普通なら心配しそうなものだけど。

「ま、もちろんあたしがちゃんと見てあげるっていうのは約束してるけどね」

「だとしてもほとんど見知らぬ女に、そこまで任せるって変わった人よね。しかも彩音に」

「……最後のは余計だけど、同意といえば同意かね。なんでか知らないけど、千尋さん妙にあたしのこと信用してくれるんだよね」

「……………」

「それに教えるって結構いいよ。今日はもうご飯用意されてるから、野菜を切って簡単なサラダ作ったくらいだったけど、それだけでもすごい喜んでくれてたし」

「……………」

「しかも、千尋さんがほめてあげたらさ、あたしに先生、ありがとう! って抱き着いてきてそれがまた可愛かった……ゆめ?」

 箸を進ませながら、その時のことを話してたあたしだったけど、気づけばゆめがあたしをにらみつけるような目で見てた。

「どしたの?」

「………他の女の話ばかりするな」

「あぁ、なるほど」

 相変わらずこの子は嫉妬深いというかなんというか。まぁ、こういうのがゆめの可愛いところではあるんだけど。

 さすがにゆめだってそこまでお子様じゃないはずで……

「はいはい。で、ゆめからも話聞かせてほしいな」

 とゆめの話に耳を傾けるのだった。

 

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