今日も、神坂さんとキスをする。
「ちゅ…ん、はぁ、うぅ…ん」
校舎裏で、トイレの個室で、校門前で、屋上前の踊り場で、誰もいない朝の教室で、誰もいなくなった夕暮れの教室で、二人きりの委員会の作業で。
「んふふ、いいの抵抗しなくても?」
今日は、放課後の教室。薄暗くなって部屋の遠くからパッと見じゃわからないように私は神坂さんを隅へと追い詰めてる。
今日はお互いに用なんてなかったけど、誰もいなくなる時間まで待ってって言えば今の神坂さんは文句いうこともなく従ってくれる。
あまりにも従順すぎて張り合いがないくらい。
「………………」
神坂さんは何も言わないで恥ずかしそうに顔を背けた。
私の顔なんて見てもいたくないってことかな。それもいいけどね。
最近の神坂さんはもう諦めちゃってるのか、抵抗らしい抵抗もしなくなった。
「おわ、り?」
ただ、それでも羞恥心だけは残っているみたいで、こういうことはしっかりと聞いてくるし、恥らう仕草は変わってない。むしろ、恥ずかしそうにすることなんて増えたかもしれない。
抵抗がなくなっちゃった今はこの姿だけが楽しみのようなもの。反抗してくるのを黙らせるって言うほうがおもしろかったけど、ずっとこんなことしてれば心が擦り切れちゃうのは無理ないよね。
「まさか……」
私は神坂さんの肩を抱くと、もう一度唇を重ねた。
……私だって、どんどん擦り減ってる。好きな人以外とのキスなんて、嬉しくなんてない。それどころか、傷ついてる。でも悲しいことがあればあるだけ、お姉ちゃんを失った悲しみを誤魔化せる気がするから。
心に虚しさと、切なさと……少しの罪悪感がどんどん積もってきてるのがわかる。まるで雪のように静かに。でも着実に心に鬱積が溜まっていく。私の心は底なし沼のようにそれを際限なく受け入れて……それを惑わすために神坂さんに「いたずら」して、また溜まっていく。
そんなどうしようもない悪循環の中に私はいる。
こんな所にいたいなんて思ってないのに、抜け出す方法もわからなければ、助け出してくれる人だっていない。
私はいつからこんな所にいるんだろう。お姉ちゃんがいなくなった時? 神坂さんに初めてキスしちゃったとき? 神坂さんにお願いを聞いてもらえるようになった時? それとももっとずっと昔?
「ちュ、チゅく、ぢゅ……はむ、れろ……ちゅっ」
今日の最後を示す長く熱いキスが終る。
私は、半ば呆然となった神坂さんを見て思う。
ううん、いつからなんて関係ない。いつまでこの満たされることのない場所に居続けなきゃいけないんだろう。
……どうして私はこんな所にいるんだろう。
精神的なことじゃなくて、現実としてね。
用意された座布団に座り目の前に置かれたもてなしを見ながら首をひねった。
レースのカーテンやらゴテゴテしたタンスやベッドなんかの家具が持ち主を主張している。
「……お待、たせ」
部屋の持ち主、神坂さんがお盆に紅茶を乗せて戻ってきた。高そうなカップから香りのいい湯気が立ち上っている。
「別に、こんなのいらないんだけど。ハンカチ返しにもらいに来たんだから」
そう、今こんな所にいる理由は前に貸したハンカチを返しにもらいにきただけ。なかなか返さないからそろそろ返してって言ったら何故かこんなところに連れ込まれちゃった。
やることはなくても家とは反対の方向だからめんどくさい。ただ、一応の罪悪感はあったから少し強引に誘ってくる神坂さんのことを断れなかった。
テーブルに紅茶を置いて座る神坂さんを黙って見つめる。
(神坂さんって、少し綺麗になった?)
なんかお肌のツヤがよくなった気が……わかんないけど、なんとなく全体的にそう思った。
毎日のようにあんなことされればストレスとか色んなのでボロボロになっても良さそうなのにね。最初の内は髪とか顔とか目に見えてひどくなってたのに。これもなれたってことなのかな。
綺麗になったっていうより、前に戻ったのかも。
「……か、勘違いしない、で、おかあ、さんが、出せっていう、から……別に、な……皆咲さんのためじゃ、ない、わ」
何でこんなに歯切れ悪いの? そんなに私に部屋にこられるのが嫌なら初めから誘わなきゃいいのに。
「……まぁ、せっかくだからもらうけど」
慣れたっていうにしては、態度が変わってるよね。二人きりのときじゃなくても、落ち着いた感じっていうか、私に口数が少なくなって強気な態度にでることなくちゃったし。あの強気なところがあったからおもしろかったのに。それも慣れちゃったってことかな?
なおさらつまんなくなっちゃう。
おしゃべりもしないで出されたショートケーキを食べてる光景はどこか違和感がある。
ヌチャ。
(あ……)
考え事してたせいか唇を少し外れてクリームがほっぺについちゃった。
すぐ指で掬おうとしたところで手を止める。
そして、新しい趣向を思いつく。
(…………よく考えたら、私からするだけじゃなくてもいいんだよね)
逆らわないでって言ったのは、私がすることだけじゃなくて、私の言葉でも有効なはずだもん。
「ねぇ」
こういうとき特有の邪まな笑顔と甘ったるい声で神坂さんを呼ぶ。
「っ……」
神坂さんもわかっているのか呼びかけにピクンと体を震わせる。
私はケーキのクリームを手で掬ってほっぺになすりつけた。
「なに、して……るの?」
「よごれちゃった。綺麗に、して?」
「え?」
言われたことがわからないのか、神坂さんはただ首をかしげた。
早くって促すと、机の上にあったティッシュを取ろうとした。私はその腕を取る。
「違う、違う。神坂さんが直接して」
「……?」
「舐めて」
声音を低くして、視線を鋭くした。これも、この時専用。
ふふ、今までは私から何かするだけで神坂さんにさせるってことなかったもんね。ましてや、ここは神坂さんの部屋でへたすればお母さんに見られちゃうかもしれない。
(さ、反抗してきてよ)
ねじ伏せてあげるから。
こういう時の高圧的な態度は変えない。私が、神坂さんとするのに傷ついてるなんて絶対に知られたくないから。
「…………わかった、わ」
コクン、と小さく頷いた。
「え……」
うそ〜、文句の一つもなし? 神坂さんに無理やり、しかも一番バレたくない人の一人の親に気づかれるかもしれないなんて状況なのに。どうして嫌がる素振りすら見せないの? そりゃ、何か言ってきたってそんなの認めるわけはないけど。刃向かってくるのを駄目にするってまるで綺麗な花を摘み取るような感じで、変な快感があるのに。
神坂さんはおずおずと側に迫って、膝をついた。左手で肩を抱いて、右手を首に回す。そして、恐る恐る赤くて長い舌を伸ばしてきた。
ぺロ……
肌より少しだけ暖かで、ザラザラした感触がほっぺをゆっくりとなぞった。
「…ん…ぁ…」
はじめは舌のさきっちょでつつーと軽くクリームを舐め取ってくる。舌先を固くして、何度も往復してきた。
思ったよりもくすぐったい。それに、考えてたよりずっと、ずーっと恥ずかしい。
(ん〜〜〜……)
背筋から頭にかけて電気が走ったような感じがしてゾクゾクって震えた。
(へん、な、かん…じ……)
甘い痺れが、体中に伝わる。
れろ……
神坂さんはいつのまにか舌の先だけじゃなくて全体を押し付けてきていた。じゅわぁと暖かいというより少し熱いくらいの神坂さんの口の中の熱と熱い吐息までほっぺに伝わってくる。
うぅぅ、変な、感じ。いつまでするのよ。
大きなかたまりだけ取ったらすぐ逃げるように体を引くと思ったのに、クリームが少しでもついてるところを丹念に舐めて、それこそ「きれい」にしようとしてる。そこまで真に受けてすることないのに。
ぴちゅ…ペロ、チュ…
くちゃぁって普段は絶対に聞くことのないような音が耳からじゃなくて、肌から直接響いてくる。
な、なんなのよぉ……
だめだめだめ。なんで私のほうが攻められてるの。
「も、もう、いい…よ」
体をひねって神坂さんの舌から逃れた。
私からするのはもう全然恥ずかしくなんてないのに、何でされるのってこんなに恥ずかしいんだろ。
神坂さんも恥ずかしいのか、私にこんなことしなきゃいけない悲しさ、悔しさでも感じてるのか私に顔すら向けてくれない。
もしかしたら、泣いてるのかな。涙は落ちてこないし、肩を震わせたりもしてないけど十分ないてもいい状況だし。恥ずかしがってる姿とか、怯えてるところとか可愛いって思うけど、泣いてるのはもったいないって思うんだよね。
泣いてるなら涙でも拭いてあげようかな。たまに優しくすると、嫌がらないで受け入れてくれるし。アメと鞭っていうのかなこういうのも。
キスでもそれをするっていうのも面白いかも。それだと余計に神経を逆なですることになるかもだけど、それはそれでいいし。
「あ…………」
私が顔を起こさせようと思ったら神坂さんは自分ですくっと立ち上がっちゃった。顔をそむけたままいつのまにか飲み干していた自分のカップを取った。
「おか、わり……とってくる」
終始こっちを見ない一連の行動に、やっぱり泣き顔を見られなくなかったんだなって、自分勝手に思っていた。