はるかさんに選んでもらったキャミソールを広げて、服を着たまま体に合わせてみます。

「……うん、これなら大丈夫ですね」

 上半身のほとんどが隠れてしまうもので、生地も別に透けているわけでもなく私にとっては好都合極まりないものです。

(にしても、やっぱりここは失敗だったかもですね)

 いえ、はるかさんの下着姿を見れたのは僥倖極まりないのですが、こういう可能性があったことも考えればやはりここには来るべきではありませんでした。

「ん、しょ……と」

 まず上着を脱いだ私は、鏡に映ったそのある一点を見つめます。

「…………」

 わかってはいるつもりです。私の心配は杞憂なのだと。

 しかし、

 やっぱり私も女の子なんですねぇ。

 自分が他の人と色々違うと思っていましたけど、こういうところは普通の女の子なんです。はるかさんにはいつだったか、先輩は一つしか離れてないとは思えないほどに大人に見えることがあるって言われたことがありましたけど、

 そんなのは違います。

 私は大人ではないのです。私は物事を達観、いえ、諦観しながら生きてきました。だから、そうした態度がはるかさんには大人のように見えてしまうのでしょう。

 私ははるかさんとは一つ違いの普通の女の子で、こんなことで好きな人を疑っちゃうんですよ。

 ……いえ、疑っているのではありません。本当ですよ? 問題なのは私の心。はるかさんを信じているとかそういうのじゃなくて、ただ純粋に怖いのです。嫌なのです。

(………って、とりあえず済ませちゃいましょうか)

 その方が危険も少ないですし。

 と、キャミソールを着ようとしていた瞬間でした。

「っ!!?

 不意に胸を襲う痛み。

「ごふ……っ、く、か……はっ」

 胸が内側から捻じ曲げられるような筆舌に尽くし難い痛み。

「先輩!?

(っ!? はるか、さん!!??

 まずい、今は。

「な、なんでもありませ……」

 痛みに無理矢理逆らおうとした私に、

「っ!! ごほっ!

 口の中を溢れる嫌な味。慣れている味。鉄分を含み、塩辛さと甘みを同時に感じさせる不思議な液体。

 それが口からこぼれるのを止めれず、床に落ちてビチャっと音を立てました。

「先輩!? あけますからね!

「いや!!

 痛みもありました。胸は張り裂けそうだし、頭もぐるぐるで体を動かせるような状態ではありませんでした。

 それでも私は試着室のカーテンを必死に抑えました。

「っ!? 先輩!? なにしてるんですか!!

「だ、大丈夫、大丈夫、です。っか、は。だから……」

「な、何いってるんですか!? そんなわけ」

「大丈夫なんです!!

 いたい。いたい。いたい。

 なのに、私ははるかさんに見られたくない一心でせきすら我慢して、とにかくカーテンを抑えることだけを考えていました。

 それが、いけなかったのでしょうか。

「お願い、です、から……はるか、さ……」

 あまりの痛みにいつしか私の意識は朦朧としていき、

「先輩!!

 はるかさんの声を聞きながら私は意識を失ってしまいました。

 

 

「…………」

 沈黙。

「……………」

 部屋にあるのはそれだけ。

「…………………………」

 デパートの中だっていうのにここは喧騒とはかけ離れた空間。

「…………」

 その空間の中で私は先輩の顔に軽く手を触れていた。

 それも私の膝の上にある先輩の顔に。

 ひざまくら。

 今私が先輩にしているのは一般的にはそう呼ばれるもの。

「……先輩」

 先輩の頬を一なでした私は小さく先輩を呼ぶ。

 さっき試着室で見たものを思い出しながら。

(……自分が情けない、な)

 驚くのは仕方ないことなんだろうけど、でもそのことに気づかずに先輩をこんなにしてしまったことが恥ずかしかった。

 先輩のことを知ってれば、そういう可能性に気づいて当然だったのに。ううん、気づくべきだったのに。

「ん……ん、んん……」

「先輩!?

 勝手に落ち込んでいた私の膝の上で先輩が目を覚ました。

「あ、れ……? ここ、は……?」

 ぼぅっとまだ、焦点の合ってない視線を受けながら私はゆっくりと先輩に今の状況を説明していった。

 先輩が試着室で倒れたこと、同じ階にあった従業員用の休憩室で休ませてもらっていること。

 あの件に関しては私からは口に出さない。言う場面でもなければ、そもそも私からは言っちゃいけないことだから。

「あ、あの、それで、まだどこか痛かったりしますか?」

「いえ、もう大丈夫のようです。………はるか、さん」

「はい」

 ちょっとだけ身構えたように体に力が入った。

「………ふふ、にしても、はるかさんの膝枕ですか。ふふふ、これは倒れたのもよかったかもですね」

 先輩は声に力こそないもののいつもの軽口を叩いて強がりを見せる。もしかしたら、私に見られているというのを意識してのことかもしれない。

 先輩は言葉通り薄く笑っているものの、瞳には不安が揺らいでいるのがわかる。

(……やっぱり、怖いんだよね)

 私だって気持ちはわかる。ううん、きっとわかるなんていえないけど、それが嫌なものだって、耐えられないものだっていうのはわかるから。

 と、先輩は一度目を閉じたかと思うと

「………見ちゃいました、よね」

 心細そうな声をだした。

「……はい」

 私は目をそらしたがっているように見える先輩をあえて強く見つめ返した。

「そう、ですか」

 先輩は洋服の上からソコに手を触れた。

 先輩を襲う痛みを抑えるかのように。

「予想は、ついていると思いますけど、手術のときの、です」

「……はい」

「……はは、気持ち、悪い、ですよね。こん、なの」

 先輩の顔から表情が消える。感情を押し殺しているはずなのにとても、とても悲しい響きがあった。

 私が試着室で見たもの。

 それは先輩の体に残った傷痕。左胸の少し下の辺りに大きな傷痕があった。一見して、周りの肌と違う色をしていた。

 触ってもみた。私も先輩が倒れちゃったこととかであまりちゃんとは覚えてないけど、普通の肌よりも固くて、あきらかに違うものだったっていうのは覚えている。

「正直言って、驚いたのは本当です」

 私は本音を口にした。

 ここでそんなことないって言うのは簡単だし、本当の気持ちだけど、それは先輩の心に届かない気がした。

 それに、これは本当に本当。

 びっくりはした。だけど、

「そう、ですよね。気持ち悪い、ですよね」

「そんなことないです!!

 わかるつもり。私がいくら言っても、多分先輩にとって大切なのはそこじゃない。私の言葉じゃない。私の気持ちじゃない。

 見られたこと。それが先輩を苦しめている。先輩の心を突き刺している。

「驚きました。びっくりしましたよ!? でも、そんなこと思わない! 先輩のこと好きなんだもん」

 私は素直な気持ちを言葉にしている。でも、これだけじゃ届かないっていう気がしていた。言葉だけじゃ先輩の心には届かない。そういう次元の問題じゃないから。

 だから

「っ!? え、ちょ、は、はるかさん!?

 私はすばやく先輩の服の下に手をもぐりこませると、先輩が反射的にその場所を押さえつけようとするのに逆らって

「っ!! はるか、さん……」

 ソコに触れた。

 固くて、少し水分がすくないような異質の感触。やっぱり、違うもの。

「ちょ、ちょっと大胆、すぎ、ですよ。こんなところで」

 言っている事は、いつもの先輩で声の調子もおかしいっていうものじゃない。

 だけど私はわかる。先輩は今怖がってる。軽口を叩いて、おどけたようにしてても怖がってる。

「……気持ち悪くなんかないです。先輩のこと、本気なんですよ。こんな……」

 こんなこと。

 そう言おうとして一瞬口が止まる。

「……こんなことで、先輩のこと好きな気持ちが変わるわけないじゃないですか。私は先輩の全部が好きなんです」

 あえて、こんなことを言い直した私はそうして、先輩の傷を撫でた。

 どんなものでも愛おしい。先輩だから。先輩が嫌いな先輩だって愛してみせる。

「こんな、こと、ですか」

「こんなことです」

 私だって女の子。傷がある体を好きな人に見られたくない気持ちはわかる。多分、それをその人に肯定されてもそういう意味じゃないの。

 悲しいけど、好きだからって恋人だからって手の届かないものはある。

 だからこそ私は、私にとっての気持ちを先輩に伝えていた。

「……ふふ、ひどいんですね、はるかさんってば」

 私は動揺したりしなかった。先輩のことなんかわかってるもん。

「……でも、ありがとうございます」

 ほら。

 私は服の下から手を出すとそのまま先輩のおでこにあてた。

 すると、先輩はその手を取って少しずらす。丁度先輩の目を覆うように。

「ちょっとだけ、こうしててください」

「はい」

 さっきのことと、一筋流れた先輩の涙を見て、私も気持ちは伝わったんだなって嬉しく思いながら、私たちは静かな幸せな時間を過ごすのだった。

 

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