昨日から降り続く雨はやむ気配を見せなくて、今日も朝から降り続いていた。
授業中だというのに私は窓の外に目をやる。
独特の音を立てて落ちる大量の雫は校庭に溜まっていって大きな水溜りを作っている。ここの校庭は水はけが悪いからあと一日も降れば水溜りどころか湖みたいになるらしい。見たことはないけど、そう聞いたことがある。
雨は、嫌い。
大嫌い。
濡れるとか、寒いとか、傘を差すのが面倒だからとかそんな俗っぽい理由じゃない。
あの日を、お姉ちゃんに捨てられた日を思い出しちゃうから。
特に、こんな強い雨の日には。
あの日も、こんな風に強い雨が降っていたから。
だから、嫌い。意味もなく悲しくなっちゃうから。
「じゃあ、次は神坂さん」
「…………………」
「神坂さん?」
「は、はいっ! なんでしょう!?」
「次、訳して」
「あ……えっと……」
英訳を当てられた神坂さんはぼーっとしてたみたいで、近くの友達に「どこ、どこ?」と聞いている。
めずらしい。授業はいつも真面目に聞いてるし、当てられても大体は問題なく対応するのに。私のこと気にしてたからとかじゃないと思うし、なにせ私に無理やりされてるときだってこんなことはなかったんだから。
誰だってぼーっとしちゃうことはあるだろうけどね。
神坂さんは予習もやってなかったみたいで、たどたどしく単語だけいったり、見当違いなことを言ったりしながらもどうにか自分のところを終える。
「……ふぅ」
安堵の息を吐く神坂さんに他人事じゃないなと思いながら、教科書に視線を戻してあたりませんようにと体を縮こませた。
「菜柚……いこ」
そして、今日も一緒に帰る。
「今日も、来るの……?」
水色の傘を差しながら隣を歩く神坂さんに、無駄とは思っても一応聞いてみた。
「え……あ、えぇ、もちろんよ。だからこうしているんじゃない」
雨音とピチャピチャと靴が水を跳ねる音のせいで聞き取りずらかったのか、返答はワンテンポ遅れてきた。
「雨、降ってるよ」
「そう、ね」
「それでも、くるの?」
「…………」
「神坂さん?」
「……あ、うん。天気なんて関係ないわ。いくって決めてるん……だか、ら」
気のせいか神坂さんの足取りは重い。その気はないのに私までそれに釣られてペースが落ちてくる。歩くペースだけじゃなくてちょっと様子がおかしいって気にはなったけど、傘で隠れてるから顔は全然みれない。
ど、どうでもいいんだけどね。神坂さんのことなんて。
結局、それ以来話をしないで帰り道をいく。雨は包み込むように縦横無尽と打ち付けてきて、その中は会話もないせいか、帰り道は長く、時間はゆっくり流れていく気がする。
雨音、電線から大きくなった粒の落ちる音、車が水をはじく音、私たちの足音。
音だけが周りの空間を支配していく。
「……………」
そんな中、一向に口を開かない神坂さん。言葉よりも、行動で示したいたいのかこの奇妙な下校の時にはあんまり話をしてこないけど、今日はそれにしても少しおかしい。
授業でもぼーっとしてたし……もしかして調子でも悪いの?
バチャ!
一歩足を強く踏み出して大きく水を跳ねさせた。
(………………関係、ない、よ…)
昨日、雨に濡れちゃったせいで風邪ひいてたって神坂さんが勝手に、自分でしたことなんだから私は関係ない。私のせいなんかじゃない。
責任感じたり、しないよ。
「じゃあ、ね。雨、降ってるんだから早く、かえってよ」
「ふふ……心配してくれるのは嬉しい、けどね」
こんな雨の中、傘持ってるとはいえ置き去りにさせるなんてこっち気持ちも考えてよ。
顔、赤かったな。
家に入る前少しかがんで覗き込んでみたけど、ゆでだこみたいになって、目も潤んでいた。
「でも、関係、ないんだから……」
部屋に戻った私はベッドに座り込みながら自分に言い聞かせるように呟く。
神坂さんが自分で決めて、自分でやってることなんだから。して、なんていってないし、私はやめてってもう注意してるし、今日だって雨降ってるから早く帰って言ってるもん。私がしなきゃいけないことはもうしたよ。
雨の中、好きな人待つなんて悲劇のヒロインじみたことしたって、そんなことで私の同情を誘おうなんてしても無駄なんだから。
だから、もう帰ってよ。
気にしないって、決めてるのにいつも気にしちゃう。その一途な想いが良心を苛む……だけじゃないのはわかってるよ。
心の錠が緩んでるのを自分でも感じる。
「大丈夫、かな……?」
気がつけば窓の側に立って神坂さんを見下ろしていた。
色とりどりの傘の花を行きかう中、神坂さんの水色の花だけはそこに根を張っている。見えるのは制服のスカートとそこから下の足くらいだけど、さっきちらりとみたあの赤い顔は目に焼きついてる。
授業や帰りの上の空な様子からしても、病気かどうかはともかくこんなところでこんなことしてていい状態じゃないってことは確か。
「………………」
目がそらせない。それだけじゃなくて、心がざわめいてある衝動をもたらしてくる。
(……〜〜〜っ。もう!)
私は窓から離れると、どたばたと大きな音とたてて階段を駆け下りる。脱衣所のバスタオルを取ると、玄関に向かっていき
バンッ!
ドアを開けはなった。
(こんなことしても、神坂さんを信じるとか、受け入れるとかそんなんじゃないんだから。ただ、心優しい私が調子悪げなクラスメイトを心配してるだけなんだから)
「な、菜柚、どうかした?」
「来て……」
驚いた様子を見せる神坂さん、雨にかき消されてしまうようなか細い声で呼んだ。
「……入って」
その一言に、嬉しそうな顔は見せたけどそれ以上に頭が回っていない様子で瞳が虚ろな感じがしている。
「これ……体、拭いて」
「ありが、とう」
玄関に上がらせる前にバスタオルを渡して体を拭かせる。
「………………」
神坂さんは黙って体を拭き続ける。
私が家に入れてあげたの、勘違いして何か言ってくると思ったのに、何にも言ってこないんだ。
「ふ、ふふ」
と、思った瞬間、神坂さんは幸せそうに顔を綻ばせて……
「菜柚、私の……勝ちね」
ドサッ
「神坂さん!?」
その場に崩れ落ちた。
「……ん、あ…ぅ」
神坂さんは時おり熱っぽい呻きをあげながら、私のベッドで横になっている。
私はその脇でイスに座ってその、茨姫のように眠る神坂さんを複雑な表情で見つめる。【呪い】でこうなってるって所なんてそっくりかも。
私のことを好きっていうのが呪いとはいえないかもしれないけど、そういっても間違いじゃないよね。特に、してることは本当に呪いにでもかけられたようなものだったし。
「……………」
まったく! 人の家で倒れるなんて迷惑極まりないでしょ。それに結局私のせいで、倒れたみたいになっちゃったじゃない。ここまで運ぶのだって大変だったし、重かったんだからね。
私のこと好きだっていうんなら、私に迷惑なんてかけないでよ。
「ぁ……んっ…」
つらそうな声を上げたのに反応して、顔を横向いて額に置いておいたタオルがすべり落ちた。
「もぅ」
私は身を乗り出してそれを取ってあげると、戻す前に額に手を置いてみた。
熱い、な。どれくらいあるんだかもわかんない。ほっぺも真っ赤だったし、やっぱり風邪ひいてるんだよね。昨日雨に濡れちゃったし、ううん雨なんて要因の一つだよね。今まで、私を待ってた体も疲れも、あるんだろうけどそれだけじゃないよね。
私のことを待つだなんて言ってたけど、不安がなかったわけないし、ううん多分ずっと不安だったって思う。心細かったって思う。口じゃいくらでも強がれるけど、好きな人に好きじゃないって言われて、ずっと想うなんて怖い。
……だから、今回神坂さんがこうなっちゃったのは………………私の………せい、なんだよね。
「なにが、勝ち……よ」
こんなことしてあげてたって神坂さんのこと、信じたわけじゃ……受け入れた…わけじゃないん…だから。そんなくだらないこというよりも、まず自分のことを大切にしてよ。
私は手にもったタオルをぬるくなった面じゃなくて、反対のまだ冷たい面を額に当てる。
「……ん、ぁ……な、ゆ……」
すると、眠ってるからわかるはずないのに、それに反応するみたいに私の名前を呼んだ。
(でも……こんなになるまで、私のこと……想ってくれてるんだよね……)
つらいのに私が家に入れるまでそれを我慢して、私のこと、私が神坂さんのこと信じられるようになるのを待ってたんだよね。きっと今日私が家に入れなくても、もっと風邪をこじらせちゃってもきっと当たり前みたいに玄関先に立つつもりだったんだよね。明日も、明後日も、ずっと、ずっと。
私は真剣な顔になって神坂さんのこと見つめた。
…………初めて告白されたとき、頭おかしいんじゃないの? って思った。その後、本気だっていうのは思い知ったけど長続きするはずないって思った。
少し無視してればどうせすぐに離れていくって。
でも、違って、二回目に告白されたとき言葉が耳に痛かった。好きって言われるのがうざいじゃなくて、苦しくなった。
そんな資格あるはずないから。
好きになってもらえる資格がないんだから、こんなことされても苦しいだけなはずなのに……
私は神坂さんの手を優しく取る
「…………嬉しい、って思ってるんだよ……本当は。神坂さんが……私のこと、大切に、大好きに想ってくれるのが……嬉しい……よ」
無意識に想いが声になっていた。
「菜、柚…?」
眠り姫の呪いを解く、魔法の言葉に。