放課後の保健室は私の個人指導室に生まれ変わっていた。

「先輩、あのー、ここは?」

 なんだか最近借りっぱなしになっている保健室の机の上で私はことあるごとに付きっ切りで勉強を見てくれている先輩に泣き言をする。

「もう、またですか遠野さん。ちゃんと自分で考えてます?」

「か、考えてますけど、化学は苦手なんです」

「さっき、古文のときも似たようなこと言ってませんでした?」

「…………」

 図星をつかれて私は椅子に座ったままうつむいた。テスト範囲の載っている紙と今開いている問題集を見比べてしゅんとなる。

「あああ、落ち込まないでくださいよー。ちゃんと教えてあげますから。えーとですね……」

 先輩は私のほうに身を乗り出して机にある問題集や教科書を見つめる。少しの間、うーんと首をかしげて自分の考えを纏め上げていく。

(……………)

 さっきからこうやって質問することが多いけど、先輩は大抵のことにすらすらとしかも、丁寧に教えてくれる。先生なんかよりも教えるのがうまいんじゃ、って思うくらい。正直いって、本当に勉強できるなんてすごいびっくりした。

「えーと、ここはまず、これを……」

 普段、にへらと笑うことが多い先輩でもこうやって勉強を教えてもらってる立場からすると知性的に見えてきて、感心するっていうかいつもとのギャップに思わず目がいってしまう。

「………遠野さん、聞いてます?」

「え? あっ! ………えっと、あの……すみません、聞いて、ませんでした」

 問題集なんかよりもずっと先輩の顔見てて、先輩が言ってたことなんて一ミリも頭の中に入ってなかった。教えてもらっているのにさすがにこれはまずい。

「もう、私に見惚れてくれるのは嬉しいですけど、聞いてなくて困っちゃうのは遠野さんのほうですよ? しっかりしてください」

「すみません」

 普段なら、【見惚れてなんかいません】って文句を言うところだけど、みとれてたってほどじゃなくても、先輩の顔に目を奪われていたのは本当で反論できない。

「じゃあ、もう一回説明しますよ」

「は、はい」

 さすがに今度も聞いてなかったりしたら先輩に呆れられちゃうから今度はしっかりと問題集に目を落とした。

「だからですね、これは、まず、こっちを先にやって……」

 でも、こうやってすでに何度も教えてもらってるけど、先輩がこうしてるのは違和感。先輩なんだから教えられてもそんなにおかしくないだろうけど。今までのこと考えたらやっぱり変。

 あれ? でも、勉強できるんならクラスで授業受けてもいいのにどうしてそうしないんだろ。勉強できるならそれだけで人がある程度よってきてもよさそうなのに。

(あ、もしかして)

 できるから逆にいじめられちゃってるとか? 普段はのほほんとしてて努力とかしてなさそうなのに、いざテストになったら簡単に自分より上でいじめっていうか、消極的ないじめをされてるのかも。

 それで保健室に来るようになったのかも。

 うん、そうかもしれない。

 あ、でももしいじめだとすると先輩をクラスに戻すのって、思ったよりも大変になりそう。っていうより、ここにいたほうがいいかもとすら思えてくる。

(ん?)

 気づいたら先輩の声が止まっていて。

「………………」

 目の前に先輩の顔があった。

「ぴゃっ! な、なにしてるんですか!?

 椅子ごとからだを引いて先輩に食って掛かる。

「…………正直、こっちのセリフなんですけど」

 先輩は明らかに疲れた顔でため息をついていた。

「あ、う……、す、すみません」

「ふぅ、もうやめます? 集中できてないみたいですし」

「あ、い、いいえ、今度、今度こそちゃんとしますから」

「ふぅ、わかりました」

 こんな風にいつもと反対に私が先輩を困らせながらテストまでの期間はすぎていった。

 

 

 胸の中に普段とは違うドキドキを感じている。

 教室の中にひきこもごもの声が響く中、私は机に座ったまま期待に胸を膨らませて教卓の前でテスト結果を返している先生を見つめている。

 こんな気分でテスト結果を待つなんて初めて、いつもは不安八割期待二割くらいだけどそれが今はぜんぜん違う。期待のほうがはるかにしのいでいる。

 あの日からずっと先輩に勉強教わったおかげで、今までになくできた。合計点数も最高記録だったし、この分なら順位も期待できるっておもう。

「……のさん、遠野さーん」

 まさか、先輩に教わってここまでできるようになるなんて思ってなかった。ちゃんと結果が出てから伝えにいくつもりだけど、これなら恥ずかしくないし先輩だって鼻が高いと思う。

 あー、早く帰ってこないかなー?

 私は頬を緩めて自分の名前が呼ばれるのを待っていると

「はるか、はるかってば」

 隣の子に肩を揺さぶられた。

「なに?」

「なに? じゃなくて、名前呼ばれてるでしょうが」

「え?」

 言われて、先生のほうを見てみると怒るというよりも、またかっていう顔で先生が私のことを見つめていた。

「遠野さん、気づいたなら早く取りにきなさい」

「は、はいッ! すみません」

 私はクラス中から視線が集まるのを感じて気恥ずかしさの中先生のところにいって結果の書いてある紙を受け取った。

 

 

 放課後になると私は早足に廊下を歩いていた。

 目的地はもちろん、先輩のいる保健室。

 その間にもにやけ顔が収まらなくて、心もはやる。まさか、こんな気持ちで先輩に会いに行く日が来るなんて思わなかった。

「ふふふ」

 一度、立ち止まって、改めて結果の紙を見てまた笑いをこぼす。

 早く先輩のところ行かなきゃ。

 そして、またすぐに早足で保健室に向かっていった。

 こんこん。

 軽く儀礼的なノックをすると返事も待たずにドアを開ける。

「失礼しまーす」

 ドアの音を開けるの一緒に、やっぱり儀礼的な言葉をいって、先輩のいるベッドのところに歩いていこうとすると。

「はい、麻里子。テストの結果、もってきてあげたわよ」

 ベッドは青いカーテンが閉められていてそこに二つの人影が見えて、私は思わず足を止めた。

「あ、ありがとうございます。すみませんね、わざわざ」

 ひとりは、先輩だと思う。ベッドに座ってる先輩のシルエットはもう見間違えることはない。

「別に、いまさら改めて御礼言われるようなことでもないでしょ」

 もうひとりは……当たり前だけどわかんない。声も聞いたことがない。かろうじでわかるのは上履きの色から先輩だってことくらい。

(…………)

 えーと、先輩と同級生の二年生だってわかることくらい。

「にしても、どうしたの? いつもは結果は自分でとりにくるのに」

「んー、まぁ、ちょっと」

「あぁ、もしかして最近よく聞く子のこと?」

「ま、そういうことです。私がいなかったら寂しがらせちゃいますからね」

「……………」

 なんだか、仲、よさそう? 

 最近よく聞くって、何のことかはわからないけど、つまりは頻繁に話してるってこと。

 とも、だち?

 だってそうでもなきゃ、ずっと保健室にいて私以外と学校でめったに話さない先輩と話す理由なんてないだろうし。

(…………………なんだ、いるんだ。お友達)

「………なんだ、そうなんだ」

 私は小さくつぶやくとカーテン越しに先輩と先輩の友達の先輩が話しているのに聞き耳を立てる。

 二人が話す内容は別に変わったものでもなくて、普通の会話。私は静かな保健室で胸にちょっとよくわからないもやもやを抱いたまま話しを終わるのを待っている。

 ……友達、いないって思ってたのに。いるんだ。

……いるんだ。

 もしかしたらいじめられてるんじゃないかとも思ったのに。

(……じゃあ、なんで保健室なんかいるんだろ? 勉強もできて、友達もいたらこんなところにいる理由なんてないと思うけど)

 あ、よく考えたらクラスの友達とは限らないわよね? あ、でも、テストの結果を持ってくるのにほかのクラスの人がくるっていうのも変だし……やっぱりクラスの友達?

 話、長くなるのかな? ここにいちゃ邪魔かな? 私は先輩に早く伝えたいって思ったけど先輩はそんなに気にしてないかもしれないし、明日でもいいかな?

 なぜか後ろ向きな考えが頭に浮かんできて私は勝手に落ち込む。

 そんな時、ジャララとカーテンが開く音がした。

「ん? あなた……」

「あ、遠野さん」

 いつの間にか話が終わっていたみたいで中にいた人がカーテンを開けて私を発見していた。

「遠野……。あぁ、この子なの。ふーん」

 カーテンの中にいた先輩じゃない先輩は私のことを観察するように見つめてくる。

「あ、あの……?」

 目の前の人はある程度私を見つめると、「ふぅん」と小さくつぶやいた。

「確かに、なんていうか、麻里子好みそうね。……じゃあ、私は帰ろうかしら。じゃあね、麻里子」

「ん、ありがとうございました。また」

「さようなら、遠野さん」

「あ、は、はい……」

 なぜか私にまで挨拶をしてきて、先輩のお友達は保健室から出て行った。

 私はなぜかそれをしばらくそれを目で追っていると先輩がとことこと近づいてきた。

「遠野さん、そんなところにいないでこっちにきたらどうですか?」

「あ、はい」

 先輩に招かれるまま私はベッドのところにいって先輩の前に立った。

「テストの結果、返ってきました?」

「はい」

「そうですか。よかったら教えてくれません? やっぱり気になってたので」

「あ、はい。どうぞ」

 私は手にしていた結果の書いてある紙を先輩に差し出した。

「あ、これごと見せてくれるんですか、ありがとうございます」

 先輩は私から受け取った紙を楽しそうに見つめているけど、私はベッドの上にある先輩のテスト結果の紙に目を奪われていた。

「…………あの、先輩」

「ん? なんですか?」

「さっきの人って……どなた、ですか? なんだか、だいぶ仲よさそうでしたけど」

「あれ? 気になります?」

「気になるって言うか……先輩がほかの人と話してるのなんて見ないし」

「ふむ、やきもちやいてくれてるんですか?」

「違います。なんでそうなるんですか」

 どこをどう聞いたらやきもち焼いているように聞こえるの。そもそも先輩にそんなこと思う理由なんてあるわけないってのに。

「さっきのは、んー……私のクラスの委員長さんですよ。テストの結果届けに来てくれてたんです」

「委員長……」

 そう、なんだ。あ、だから来てたのかな? 委員長ならそういう仕事をさせられるってこともあるだろうし。

 なんだ、じゃあ、友達じゃないのかな?

「へぇ、なんだ結構できてるじゃないですか、正直もっと悪いかと思ってました。私の話あんまり聞いてくれませんでしたし」

 先輩は私のテスト結果の総括を告げる。

「そ、そんなことないですよ。ちゃんと聞いてましたってば」

「そうですかぁ〜?」

「そ、そうです。こんなにできたのだって初めてだし、先輩のおかげです」

「ふふ、光栄ですね。そうですねぇ、そんなに感謝してどうしても遠野さんがお礼したいって言うのなら甘んじて受けてあげますよ」

「………言ってません」

「あれ? そうですか? 残念ですね」

 素直に感謝を伝えてあげたっていうのに先輩は。

(でも、お礼くらいしたほうがいいかも?)

 実際成績は上がったんだし、それくらいするのは人としての礼儀かも。

うーん、でもなにすればいいかな? 

先輩の好みとか全然わかんないし。

「あの、先輩」

「はい、なんですか?」

「あの……」

 

 

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