しかし……
「失礼しまーす」
ノックをして部屋に入っていく。
静謐な空気、全体的に白い印象を受ける空間、それと独特の匂い。
この数日で慣れてしまった保健室。
「はいはーい」
……慣れてしまった声。
ベッドのカーテンから現われる小さな体。
「おや、遠野さん」
「………」
挨拶してくる先輩に顔を背ける私。
「あの、先生は?」
一緒に来てくれた友達が当然の疑問を聞くけど
なんとなく答えの予想はついた。
「今、少し席を外してます」
……これこそ運命な気がする。
「じゃ、じゃあここにいてもしょうがないよね。授業にもどろう」
「なにいってんの、はるか。そんな足で、消毒と絆創膏くらい誰でもできるでしょ」
「遠野さん、怪我したんですか?」
「あ、はい。実はさっき体育で転んじゃって……?」
右の肩を貸してくれてる友だちがそこでやっと授業中平然と保健室にいる先輩の不思議さに気付いたらしく、首をかしげた。
「あの、保険委員の人ですか?」
「んー、まぁ、そんなみたいなものです」
って、違うじゃないですか! と、言いたかったけど、私と先輩が知り合いだって事知られたくなかったので私は口を閉ざす。
「消毒なら私なれてますから、遠野さん、そこのイスに座っててください」
「? はるか、知ってる人なの?」
「あ、うん。まぁ、ちょっと……」
今さら逃げるわけにもいかない私は言われたとおり先生のための机の側に備えてある丸イスに座らされた。
「ちょっと、待っててくださいね。今探しますから」
先輩は数ある棚によっていくとガサゴソと治療に必要なものを探し出す。
(そ、そうよ。プラス思考に考えよう)
もし、先輩が私の思ったとおり友達が欲しいんならこの二人にだってなにかアプローチをかけてくるかもしれない。丁度私の友だちってことで声もかけやすいだろうし。
「あ、そういえばはるかのこと先生にいってなくない?」
「あ、言われてみると無断で来ちゃったね。報告いったほうがいいかな?」
って、そんなこと言わないでよ。まだ、キスのこととか自分の中で整理ついてないのに先輩と二人きりされるのは……
「だ、大丈夫よ。見てた人はいたんだし、きっと誰か言っといてくれるってば」
「んー、でも……茂木だし」
「だよねぇ。後でなに言われるのかわかんないよね」
茂木っていうのは体育の担当の先生。詳しい説明は置いといて、ヒステリーを起こすことで生徒の中じゃ有名。遅刻、サボりはもってのほかな先生。
「しゃーない。もどろ」
「まぁ、走るのはうやむやになりそうなだけでもいいか」
行かないでということはいえないこともないけどそんなこと言うと私のほうが変だ。
(せ、先輩、引き止めてくださいよ)
せ、先輩は友だちが欲しいんですよね? この二人だっていい子ですよ。きっと友だちになってくれますから。
無言でそんなオーラを先輩に向けて放つけど先輩はまだちんたらと探し物をしていた。
「じゃあ、はるかのことよろしくお願いします」
「あれ? 戻ってしまうんですか残念ですね。まぁ、遠野さんのことはおまかせください」
やっと探してきた先輩が私の前までくると二人に言った。でも二人はすでにドアの前まで来ていてそこから、
「はるかのことは伝えておくからゆっくりしてきなって」
「そうそう、終ったら迎えくるから。じゃねー」
(あ……)
私の無言のプレッシャーも虚しく保健室は私と先輩の二人になってしまった。
「さて、と」
二人きりになった先輩は机に消毒液とでっかい絆創膏を置くと先生用のイスに座った。
「さっきの方々遠野さんのお友だちですか?」
「あ、はい。そうです、けど」
(いきなり、【友だち】って話題……やっぱり先輩は……)
「いいですねー、うら若き友情憧れます」
(憧れ……)
そう、うん。先輩はやっぱり友だちが欲しいんだ。変なことしたり、言ったりしたのもきっと私と友だちになりたかっただけ。きっと経験なんてなくてしかも人付き合いのへたな先輩なりの友情表現だったのよ! うんそう! そうよ、きっとそう!
強引だとは自分でもわかってるけど、そう思いたかった。
だから、キスもノーカウント。あれは友情の印。外国の人が挨拶にするようなものだったんだ。
「しかし、遠野さんの体操服ですか。眼福です」
先輩はにやにやと邪まな笑みを浮かべながら私を上へ下へと眺めた。
「……あ、ありがとう……ございます」
「おや、まともに受け取ってもらえるとは、それに嫌われたのに遠野さんから会いにきてくれるなんて嬉しい限りですよ」
「け、怪我したからなだけで、べ、別に先輩に会いに来たわけじゃないですから」
「そういう言い方。好きですよ」
「っ」
ち、違う、これはあくまで【友だち】としての好き。恋愛感情とかじゃない。
自分に言い聞かせはするんだけど、やっぱりキスをされたっていうのが頭に残ってて裏というかまともに受け取りがち。
「ま、とりあえずお話はこれくらいにして治療をしないといけませんね。さて、まずは消毒ですか。泥は落としてあるみたいですけどちゃんと洗いました?」
「は、はい。一応」
「そうですか、じゃあ、消毒しても大丈夫ですね」
先輩はそういって私の目の前に屈みこんだ。
私は、思わずこれからくる消毒の痛みに備えて目を瞑るけど、
ペロ。
感じたのは冷たくてしみる消毒の痛みじゃなくて。
ペロペロ。
なにやら生暖かくてざらついた触感だった。
(……なに、これ? 普通消毒液って冷たいものよね?)
膝のお皿をくすぐるような感覚。
私はハテナを浮かべたまま、なんなんだろうと目を開けると
「ん、ぴちゅ……ちゅ……」
信じられないものが目に飛び込んできた。
先輩が、膝をついて私の怪我した部分を舐めていた。
「ッ!!!! な、何してるんですか!!!??」
すごい勢いで体を引いて、先輩の舌から逃れる。
「あ、いえ、ですから消毒を」
「な、なんで舐めるんですか!?」
「消毒液だと、遠野さんがしみて痛いかと思いまして。つばには殺菌作用があるから意味あることなんですよ?」
こんな異常なことをしたっていうのに先輩はいつもの楽しそうな笑顔のまま。
「だ、だからって……」
こ、これも友情の表現………? そ、そうよね? 先輩はおかしなことしてるって思ってないみたいだし。ほ、本当に私のことが好きなら、こんなことしたら顔を赤くするくらいしたっていいもの。うん、おかしくない、おかしくない。先輩はこれが普通って思ってるんだから……
「遠野さん?」
「わっ!? ひゃ!」
いつのまにか先輩の顔を目の前に。先輩はすぐこんなことしてくる。
「遠野さんってすぐぼけっとしますね。駄目ですよ、人と話してるのに上の空になっちゃ」」
「あ、は、はい。すみません」
そうだ。今はとにかく先輩に合わせてあげなきゃ。
「えっと、その消毒はちゃんと液使ってください。その……えっと、水で洗ったくらいじゃ汚いかもしれませんし」
「ふふ、遠野さんの体に汚いところなんてありませんよ」
「そ、そういうことじゃなくて」
「ふふ、はいはい。判りました」
先輩は今度はちゃんと消毒液を取るとそれを案外手際よく、膝につけて、ガーゼで拭いて、おっきな絆創膏を張ってくれた。
「はい、おしまいです」
「あ、ありがとうございます」
「でも、遠野さんのこの綺麗な足にこんな絆創膏不釣合いですね。傷をむき出しにしておくわけにもいきませんけど」
「…………」
あんまり反応に困ること言わないでください。
「遠野さん、授業戻っちゃうんですか?」
「あ、えっと、そう、ですね……」
「もう少し私とお話していきませんか? お友だちが遠野さんのこと伝えてくれるって言ってましたし」
おしゃべりを求めてくる先輩。
「じゃあ、少しだけ」
「おや、本当ですか。ありがとうございます」
私はそのままイスに座って先輩も向かいのイスに座るけど、なぜか私を眺めるだけで何も言ってこない。
「あ、あの……?」
「あ、失礼。なんだか遠野さんが側にいてくれるというだけで嬉しくなっちゃいまして。言葉に詰まってしまいました」
こんなこと言ってるけど、本当は【友だち】と何話していいのかわからないのよね? なら、私のほうがリードしないと。
「あの、先輩は……」
あぁ、どうしよう? 私も咄嗟に先輩と話すことなんて思いつかないよ。そうだ、本当に友だちがいないのか、はっきりさせるのは
「せ、先輩は……友だちっています……」
あぁ、でもでも。先輩、友だちいないってこと気にしてたらどうしよう? 無神経に先輩のこと傷つけちゃうかも。
私は先輩の前にいるのに頭を抱えて自分の考えに疑問を持ったり否定したり、無意識に首を振ったり。
「友だちですか、いますよ」
「え?」
「目の前に」
「私、ですか?」
「えぇ、遠野さんには嫌いって言われちゃいましたけど、私は好きですし、友だちとも思っています」
「……あ、あのき、嫌いっていったのは、勢いだったっていうか……あの」
「いいですよ。気を使わなくても、そうですよね。いきなりあんなことしたら嫌われちゃいますよね」
(先輩……笑ってる)
あぁきっとこんな風に言葉と笑顔はできるけど笑顔の裏じゃ泣いてるんだ。思わずキスなんかしちゃったけど、それで私が嫌いだなんて言っちゃったからそのこと反省してでも先輩はきっと弱みとか簡単に見せられる人じゃないからこんな風に笑って誤魔化してるんだ。
そう考えると嫌いだなんて本当にそこまで思ってなかったのに思わず言った自分が情けなくて胸を押さえた。
「遠野さん?」
また反応のなくなった私を先輩は首を傾げてみてきている。
保健室に来る人は多くは無いだろうけど、少なくもない。話す機会はあったはず。でも、こんなだからみんな先輩から遠ざかっちゃって、今も一人でいるんだ。
「遠野さーん?」
こんな風になんともなさそうにしてるけど、本当は……
「先輩!」
「わっ! な、なんですか?」
「私、お昼は先輩のこと嫌いだなんていっちゃいましたけど、あれは本当勢いだっただけで……本当、先輩のこと……嫌いなんかじゃなくて。好きって言われたのはちょっと驚きましたけど、でも……そのえっと、友だちに、なら……」
まだうまく自分の中で整理できてないまま、胸の中にあるバラバラな気持ちを一つ一つ言葉にしていった。
「遠野、さん?」
突然のことに先輩は困惑しながら私の言った意味をとろうとしている。
「友だちから始めてくれるってことですか?」
「か、からっていうか……」
「ふふ、友だち、ですか。うん、ありがとうございます」
先輩は今までで一番嬉しそうな笑顔を浮かべた。
それを私は友だちが出来たからなんだ、と自分勝手な解釈をする。
「じゃ、遠野さん」
先輩はなにやら手を差し出してきた。
「握手ですよ、お友だちの印に」
「あ、はい」
ファーストキスを奪われたりはしたけど、一ついいことが出来たんだなと私は思って先輩の手に応えた。
「これからよろしくお願いします。遠野さん」
そして、自分の思い込みに過ぎないと気づかないまま私は先輩と握手を交わすのだった。