コンコン。

 見慣れたクリーム色のドアをノックする。

 馬手にはお弁当の包みをもって、顔には疲労じゃないけど、くたびれた顔。これからを思うとそうもなる。

「失礼しまーす」

 中からの返答も待たずに私は中に入っていく。

 鼻につく薬品の匂いもなれた。

「お待ちしてました、遠野さん」

 そして、この人にも。

 先輩は自分のスペースから出てきて、子供がお母さんを迎えるみたいに嬉しそうな顔をした。

「お茶は淹れてありますから、どうぞ」

 私と先輩は先生用の机に向かう。そこには湯気のたつ湯のみが置かれている。

「ありがとうございます………お姉さま」

 私はもし他の人が聞いたら耳を疑うようなお礼を言って、先輩と並んでイスに座った。

「いえ、遠野さんのためですから」

 先輩は満足そうにお弁当を広げて早速食べ始める。

 私も同じようにお弁当を広げる。

「今日も授業お疲れ様でした」

「別に、学生ですから授業出るくらい当たり前です。お姉さまも、たまには出たらどうですか」

「いえー、ちょっとゲームが忙しいですからねぇ」

「…………」

 普通なら文句の一ついってもいいところだろうけど、私は無視してお弁当を食べることに集中した。

(にしても)

 自分と先輩のお弁当を見比べてみる。

 私のお弁当は青いお弁当箱に、まず半分くらいご飯で、板に区切られた残り半分に既製品のから揚げに、お母さんお手製のおひたしと塩辛い鮭の切り身。それと……

「そのミートボールおいしそうですね。一つ貰ってもいいですか?」

「だ、駄目ですよ! これは、駄目です」

 私はお弁当箱を持ち上げて体に隠すようにした。

 だ、だってこれは昔からのお気に入りだもん。これ食べないと午後だって乗り切れない。

「せ、せんぱ……お姉さまは自分のお弁当があるじゃないですか」

 先輩のお弁当はどうみても私よりおいしそう。

 四角い、まるで重箱みたいなお弁当箱。光り方からしておいしそうでふっくらとしたご飯。色彩鮮やかなサラダに、可愛いたこさんウインナー、あとは肉じゃが。……信じられないことに自分で作ってるらしい。

「遠野さんのお弁当というのが重要なんです。だから、ください。できたら、あーんしてもらえると嬉しいのですが」

「っ、だ、駄目だって言ってるじゃないですか! もう、お姉さまはいつも無茶ばっかり言って」

 ところで、さっきから私がこんなこと言ってるのには理由がある。私が本気で先輩のこと慕ったりしてるわけじゃない。

 っていうか、慕ってたとしてもお姉さまなんて呼んだりするわけがない。

 もちろん、これには理由がある。

 それは……

 

 

 先輩と友だちになってから数週間、お昼休みや放課後に先輩と会って話すこともそれなりの回数になってきた。先輩の突拍子の無い言動にもそれなりに慣れてきていつのまにか意識しなくても友達として過ごせるようにもなってきた。

 そんな、ある日。

「先輩ってよくゲームやってますよね」

 この日も私はお昼に保健室に来てあげてて、そんなことを思った。

 はじめに会ったときもゲームをしてる途中だったみたいだし、来るとゲーム機がないのを見ないこともないし、私が目の前にいたってやってることもある。

 先輩は私が来たことで、ベッドに寝そべっていたのからベッドの上に無造作に座って私を迎えてくれてる。そして、手にはゲーム機。

「うーん、まぁそうですね。大好きですし」

「そんなに面白いですか?」

「つまらなかったりするのもありますけど、基本的にはいい娯楽ですよ。遠野さんはやったりしないんですか?」

「私は、持ってませんし。友だちとゲームセンターにたまにいくくらいです」

「それは、もったいない。……ちょっとやってみます?」

 先輩は手に持ってたゲーム機を私に差し出してきた。

「い、いいですよ。どんなのかもわからないですし」

「まぁ、雰囲気を味わうだけでも。実績はあるゲームですから」

「はぁ……」

 実績ってなに? って思ったけどそれほど気になることでもないし、気になることでもないのに聞いてさらにわけわからない話をされても困ると思いながらも、差し出されたゲーム機を受け取ってしまった。

 軽いんだ。

 まず思ったのはそのこと。ピンクで楕円形のそれは思ったよりも軽くて、なんだかもってて不安になってしまうくらい。

(……………)

 長方形の画面には真っ暗で何も映ってない。

「あの、スイッチってどこですか?」

「ん、あぁこれです」

 先輩はそういってゲーム機を持っている私の手に添えて横にあった右隅にあったスイッチを入れた。

 画面が写ると、六頭身くらいのなんだか中世の鎧みたいなものを着けているキャラクターが現われた。体と同じくらいの大きさの剣を持ってる。

 背景はジャングルみたいな感じで木がいっぱい。

 十時キーを動かすとぐるぐると視点が変わるけど、キャラクターは動いてないみたい。

「下のスティックのほうで動かすんですよ」

「は、はい……」

 首をかしげながら、先輩の操作の仕方を一通り教わると、その場で好きに動かしたり、剣をふってみたりする。

「そうそう、上手です」

「はぁ、ところで、これってなにすればいいんですか?」

「んー、まぁ、モンスターを倒していくゲームです。それで、また強い装備を作ってそれを使って強いモンスターを倒して、また装備を作ってとそんな感じです」

「ふーん、なんだか聞いてる限りだと繰り返しみたいであんまり楽しそうじゃないんですけど」

「ま、そこはやってみないとわからない面白さがあるんですよ。とりあえず、遠野さんは周りにいる雑魚くらいから始めてください」

「はぁ」

 正直言ってほとんど興味はないんだけどせっかく先輩が勧めてきてるのに無碍につき返すのは忍びない。それに興味ないからってわかろうとする努力もしないでつまんないって決め付けるのはいけないことだと思うし。

「あっ! ……きゃ……うん……んー、よし。あっ! ……えっと……」

 ぶつぶつと独り言を言いながら私は先輩に言われたまま大きなトカゲみたいなモンスターや、いのししやおっきな虫を倒していく。

「うん、まぁ、雑魚はさすがに楽ですよね。じゃあ、ボスに行って見ますか。ちょっと貨してください」

「あ、はい」

 ゲーム機を先輩に渡すと先輩はあきらかに手際よくキャラクターを動かしていった。

「お、いた。ペイントつけて、はい」

 と、また先輩から手渡された。

「まぁ、絶対に勝てないと思いますけど、とりあえず頑張ってみてください」

(むっ……)

 なんだか先輩に言い方がちょっとだけ気に触った。

 さっきの小さいモンスターのときは結構うまくできたんだから。それに、私は結構器用なほうなんだし、ボスだからって。

(って………)

 今、画面にいるのはキャラクターの何倍の大きさもあってまんまファンタジーのドラゴンみたいな、

「わっ!

 タイムを解除するといきなりドラゴンが炎の玉を吐いてきた。

「おっ、避けましたね。上手上手。それ三回くらい食らうと死んじゃいますから気をつけてください」

「え、さ、三回……?」

 だって、さっきまで十回くらいくらっても大丈夫だったのに。

「……あ、ひゃ! …わっ! あ、ああ、あ……」

「ふふ、遠野さんのその声を聞くだけでも、やってもらった価値がありますね、さてさて、頑張ってください」

「ちょっと静かにしててください! 気が散っちゃいます! あ、や、あ……あっ!

 突進されたり、尻尾を振り回されたり、炎の玉はかれたりをなんとか避けてたんだけど……

「や、あ、あ、や……」

 ついに、マップの端に追い詰められて逃げ場がなくなって

「あっ!

 ドン! と思いっきり突進された。

「ひゃっ!

 それに驚いた私は思わず手を滑らせて……

 ガツン!!

 床にゲーム機を落としてしまった。

「あっ! す、すみません」

 盛大な音を立てて床に落ちたゲーム機を拾おうとしたけど、ゲーム機はベッドの下に入り込んでしまった。

「あぁ、いいですよ。私が拾います」

「えっと……壊れてませんか?」

「まぁ、大丈夫ですよ。今日び落としたくらいで壊れるようにはできてませんて」

 先輩はゲーム機を拾うとスイッチを付け直した。

「ま、いきなりレウスがきつかったですね。やはり最初はせめて先生あたりにしておくべきでした。こんどはクック先生のほうをやってます………か……………………………?」

 先輩はゲームの画面を見つめたまま目を見開いて固まった。見る見るうちに先輩の血の気が引いていって、私もなにか悪いことがおきてしまったことを察知して、体中が竦んできた。喉が渇いてきて、冷や汗がどんどん吹き出てくる。

(こ、壊れちゃったの?)

「ふ、ふふふ、ふふふふふ………」

「あ、あの先輩……」

「ふ、ふふ、あは、あはははは……」

 先輩は自棄的な笑いを漏らすと、涙まで漏らし始めた。まるでこの世の終わりみたいな顔で破滅的な笑いを漏らす。

「あ、あの先輩……?」

「………………」

 私が話かけても先輩は耳に入ってない様子でじぃっと画面を見つめている。

 魂の抜けてる状態ってこういうことを言うのかもしれない。呆然とまるで人形みたいにベッドの上に座る。

「せ、先輩……、あ、あの、すみません」

「あ、あは、き、気にしなくていいです。ちょっとデータが消し飛んだくらいですから……別に、ほとんど極めた後、でしたから……ただ、三百時間ほどがいっきに無くなったかと思ったらちょっと呆然としてしまいまして……うん、大丈夫です、気にしないでください」

 私に気を使っているのか先輩は強気に笑いかけた。

(あ……先輩)

 胸が締め付けられた。

 先輩こんな風に笑ってるけど、平気なわけが無い。三百時間って言ってた。三百時間十日寝ずにやったってできない時間。すごく悲しいはずなのに、本当は泣きたいはずなのに私に、唯一の友だちの私に嫌われたくないって思いでこんな風に気を使ってるんだ。

「遠野、さん?」

 きっと先輩は私が友だちになってあげるまではゲームが唯一の友だちって言える状態で私のせいでそれを壊してしまった……

 どうしよう? どうしたら? 弁償する? でも、ゲーム機を壊したんならともかくデータを弁償なんて……

「遠野さ〜ん?」

「先輩!

「は、はい!?

「ごめんなさい! 私の、せいで……」

「だから、そんなに気にしなくてもいいですって」

「お、お詫び……じゃないですけど、私に何かできることがあったら何でも言ってください。頑張ってみますから」

 先輩のことを悲しませてしまっていると思い込んでる私は先輩相手に何でもなんて無謀な言葉を勢いで言ってしまった。

「だから、遠野さん。私はそんなに気にしてないですから」

「そんなことありません!

 友だちとかはいなくても基本、先輩は優しい人だからこんな風に言うけど、笑顔の裏で泣いちゃう人なんだから。

「そんなことないって、言われましても……」

 先輩は本当に困ったような様子で首をかしげた。

「そうですね……じゃあ」

 そして、あの約束をさせられることになる。

「これから私のこと、しばらく【お姉さま】って呼んでください」

 

 

中編

ノベル/はるか TOP