今日も、朝が来る。
私は、カーテンを開けると共に憎たらしい朝日を冷めた目で見つめる。
朝が来ればやることなんて決まっている。私はさっさと着替えると深い青色のスクールバックを持ってダイニングキッチンにへと出た。そこには無機質なテーブルの上に軽くコンビニのパンとサラダ、お昼用の五百円が置かれているだけでだれもいない。
(………………)
素直にいって寂しいとは思う。でも、朝、家に一人になるなんてもうなれちゃってる。
洗濯は時間がないから二日に一度で、今日はしない。ご飯を食べて、身支度を整えて、最後に戸締りをすればもう後は学校に行くだけ。
もう行く意味のなくなった学校に。
それでも足を運んでしまうのは習慣だから。
他にやることがないから。家にいることはもちろん、さぼってどっかにいこうとした所で行きたいところなんてない。まして、一緒にいてくれる人なんていない。……もう、いない。
この家は私の居場所じゃないし、他のところにもない。学校には「私の席」はあっても、それだけ。やっぱり私の居場所とは違う。
ただ、時間を潰すのには使えるから。
だから、意味も目的もなくても私は学校にいく。
私にだって学校にいくのが、朝がくるのが楽しみで仕方のないときはあった。この学校に入学してからほんの数ヶ月の間。
甘い蜜月がそこにはあった。
楽しくて、嬉しくて、生きてることが幸せだった。
私を好きだといってくれる人と一緒にいられるのが、
お姉ちゃんといられたのが、至福だった。
でも、それも所詮は砂漠の蜃気楼のようなものだった。求めるものが一瞬見えていたとしても、すぐに消え去ってしまう。そんな、儚くて脆いものでしかなかった。
……毎朝こんな風に同じ様なことを考える。
もう、もどらないと手に入らないってわかっているのに「何か」に期待してしまっているのかもしれない。
その「何か」がどんなものかはわからない。
だけど、学校に行く以上まったく人と関わらないで過ごすことで出来なくて、そして私が期待してるかもしれない「何か」はきっとそんな人とのかかわりの中にあるものなんだと思う。
登校して、授業を受けて、適当にパンや学食でお昼を取って、午後の授業を受ける。そして、最後に清掃をして一日が終る。大抵は清掃の後はやることもなければ、人と話したりするわけでもないからすぐに下校する。
けど、そうできないときもある。今日は丁度そんな日で私は放課後の教室であるクラスメイトと一緒に委員会の募金の集計作業をしていた。
「あーあ。何が悲しくて私があなたとこんなことしなきゃいけないのかしらね?」
一緒に作業してるクラスメイト、神坂さん、神坂 朝霞は不満を隠すことなく私に文句をつけてきた。
「仕事なんだからしょうがないじゃない。黙ってやってよ」
「はぁ〜あ。どうして私が?」
さっきから同じ様なことでいちいち不平をもらすのがうざったい。それも私に直接言ってるのか、独り言でいやみを言ってるのかわかりづらいのもイラつく。
何でか知らないけど、神坂さんは私に突っかかってくることが多い。理由はわかんないしどうでもいいけど、多分神坂さんは私のことが嫌いなんだろう。私だって神坂さんのことはどちらかといえば嫌いなほう。
子供が背伸びしてますよっていってるようなウェーブのかかった髪が気に食わない。いわゆる姫カットにしてる前髪も気に食わない。整っている顔立ちが高飛車な感じがして気に触る。こんな田舎に住んでるくせに私は都会の流行に乗ってますみたいな見た目、態度がむかつく。
嫌いなほうというよりは、私も多分神坂さんのことは嫌い。
大体、私といるのが嫌なら早く自分の分終らせて欲しい。こっちだって神坂さんといつまでもいたいなんて思わないもん。
私は黙って集金した小銭を数える。募金に上限はなくて、みんな好き勝手に出して来たから無駄に量が増えて大変。百円とか五十円ならいいけど、お財布の中に変な風に余ってた一円とか五円を出されるからただでさえ数えるのが面倒なのに、一層大変になる。
そもそも、この募金の趣旨からして共感できないんだよね。
めぐまれない子供たちにとか、曖昧すぎるよね。何がどう恵まれてないとかも詳しい説明とかあまりないし、こんなんじゃ駅前とかでやってる怪しい募金と変わんない。それに、何をもって恵まれないのかわかんない。お金とかご飯とかがないのは大変だろうけど、そんなのが満足にあっても幸せだなんて限らない。
少なくても私はそんなのがあってもうれしくない。
私だって恵まれてなんかない。
私だって助けて、欲しいよ……
ガシャーン!!
「あ……」
考え事をしながら手を動かしてたら爪の先が十枚ごとに積んでいた十円の束を掠めちゃった。けたたましい音を立てて十数枚の硬貨が同じ茶色の床に転がっていく。
「ちょっと! なんてことするのよ!?」
ぼーっと他人事のようにそれを眺めてると神坂さんが大きな声を上げて席を立ち上がった。「あぁもぅ」と文句を言いながらも散らばる十円玉を拾い始める。
私も遅れて拾い出すとすぐに回収できた。
「だから皆咲さんとなんて嫌だったのよ」
並べなおす神坂さんのそのセリフにむっとはしたけど、どう見ても悪いのは私だから返しようがない。
「……ごめん」
私はそれだけ言って作業を再開しようとする。
「あやまればいいと思ってるの? 私の貴重な時間を無駄にさせておいて」
……せいぜい一分かそこらじゃない。それが何だっていうのよ。どうせたかが知れてるような用事しかないくせに。
「あなた、最近おかしいんじゃないの?」
「なによ急に? どこがそうだっていうの?」
「変にぼけっとしてるし、妙なぶりっ子もしなくなったし、頭の悪そうな笑いもなくなったし、どう考えても変じゃない」
変、変、って神坂さんにどう思われたって気にしないつもりでいたけど面と向かってまるで頭がおかしな人みたいにいわれるとさすがに癪に障る。
私のこと何もしらないくせに好き勝手言わないで。
「なによ……大体私が変だったらなんだっていうの。神坂さんには関係ないんじゃないの?」
「あるわよ。そのせいで無駄な時間とられたんだから」
今こうして話してることのほうがよっぽど無駄じゃない。いいや、無視しちゃお。このまま話してたって二人とも不機嫌になるだけだもん。
私がそう決めた瞬間神坂さんは無視できない一言を言ってきた。
「そういえば、最近あの先輩のところへ行かないのね」
「っ!!」
私は手に持ってた硬貨の束をまた落としそうになったけど、なんとかそれをとどめる。
今動揺なんて見せたら神坂さんのことだもん絶対にもっと突っ込んで聞いてくる。お姉ちゃんのことを他人にとやかく言われるなんて嫌。
「そんなことよりも早くやったら? 無駄な時間使いたくないんだよね?」
感情を表に出したつもりはなかったけど、神坂さんはそんな私を見てニヤっといやらしく笑った。
「名前……神尾先輩っていったかしらね? あの先輩と何かあったの?」
うるさい。
「別に……」
「前は向こうのほうから来てくれていたのに、近頃は全然見ないわよね」
……うるさい。
「いつも犬みたいにくっついてまわってたのに」
…………うるさい。
「もしかして、そんなことばっかりしてたからうざがられて嫌われちゃった?」
うるさいっ!!
私は仇でも見るかのような目で神坂さんをにらみつけた。
神坂さんは私ににらまれると一瞬だけひるんだけど、すぐに嫌味っぽくそして楽しそうな笑みを浮かべた。
「あら、図星だったかしら? まぁ、その神尾先輩もせいせいしたんじゃないの? あなたみたいのに付きまとわれなくなって」
「……っ!」
プツンと、頭の中で何かが切れる音がした。
堪忍袋の尾が切れるってこんなこというんじゃないかな。頭の中が真っ赤になって、目の前のクラスメイトが憎たらしくてたまらなくなる。
(……黙れ)
「それに……っー!!??」
私は素早く神坂さんの前まで来ると、私を不快にさせる言葉を吐くその口を強引に奪った。
「っ〜〜〜!!」
逃がさないよ。
心に湧く黒い気持ちに操られるまま逃げようとする神坂さんを捕らえて唇周辺を舌でぴちゃくちゃとわざと音を立てながら侵す。
十秒くらいで開放すると、私はイスに座ったままの神坂さんを見下すように見つめた。
ふふっ、放心しちゃって。いい気味。
「……ひっく……うぐぅ……えぐっ」
すぐさま怒声が飛んでくるかと思ったけど、予想に反して神坂さんは泣き出した。大粒の涙が床をぬらしていく。
「ひ、ひどい……はじ、めて……だったのに……」
ふーん、ちょっと意外。遊んでそうな感じだからキスくらいしてると思ったのに。
思ったよりも純情なんだ。
「別にキスなんてそんなにいいもんじゃないよ。ファーストキスはレモン味、なんて考えてるならそんな幻想がなくなって逆によかったんじゃない?」
自分のことを棚にあげて私は神坂さんに冷たく言い放った。
「わたし……はじめてで……こん、なの……ちがう……ひどい……」
あらら、私の言葉聞こえてないみたい。まぁ、いっかどうでも。もうこんなところにいる理由ないんだからさっさと帰っちゃお。
「じゃあ、あとよろしくね。ばいばい」
茫然自失になってる神坂さんにそれだけ言うと、西日のさす夕暮れの教室を出て行った。
悪びれた様子なんて一切見せることなく数ヶ月お世話になった教室に別れを告げて。