冬の朝の廊下は寒い。各部屋にはエアコンが完備されてはいるけれど廊下まではなく身を切るような寒さだ。

 その寒さのせいか、夏の朝にはちらほらと明け方でも人を見かけることがあったけれど冬の今は空が明るくなってきた今程度の時間ではまるで人がいない。

 そのせいか建物に中に自分しかいないような錯覚を受けて、どことなく作り物の世界にいるような気さえした。

 そんなあやふやな世界の中私は部屋に戻っていく。

(…………)

 まだ寝ているであろう冬海ちゃんを起こさないように音を立てずに部屋の中に足を踏み入れる。

 すると、

「…………くぅ……くぅ」

 と、穏やかな寝息が聞こえてきた。

(もしかしたら、起きてるかもと思ったけれど……)

 冬海ちゃんと今の関係になってから無断で夜に部屋を離れたことはない。

 今の冬海ちゃんなら私がいないことを不審に思って待っているかもしれないくらいには考えたけれどさすがに寝ていたらしい。

「……………………」

 私は自分のベッドには向かわずに冬海ちゃんへと近づいていく。

「すぅ……すぅ」

 寝入っている姿は可愛らしく、年相応の愛想を感じる。けれどそれが今は寝ているときだけだということを私は知っていてそのことが胸を痛める。

「………私は冬海ちゃんにとっての【お姉さま】なのかもしれないけど……」

 知らない世界を教え、導いたということでは冬海ちゃんに私はそういう存在かもしれない。

 でも……蘭先輩の【お姉さま】がどういうつもりだったのかはわからなくても、どちらがひどいかと言えばそれは私なんだと思う。

 勘違いで一方的に初めてを奪い、勘違いさせて冬海ちゃんの心を裏切った。

 それは本当に許されないこと。

 だから私は冬海ちゃんに逆らえない。これ以上私の身勝手でこの子を傷つけたくはないから。

 けれど、

 このまま冬海ちゃんの望みに答え続けることが本当に冬海ちゃんのため?

 そんなことは冬海ちゃんの心が読めるわけではない私にはわかりようなない。

 でも

「……鈴、さん…………」

 私を呼びながら眠る瞳に涙を浮かべている姿に、彼女の苦悩を感じずにはいられない。

 私はその涙を指で掬い。

「………………」

 今はまだなんて声をかければいいかわからなかった。

 

 ◇

 

 朝は結局冬海ちゃんと顔を合わせることなく身支度だけを整えて部屋を出て行った。

 特に誰と話すこともなく朝食の時間になると、まだほとんど人のいない食堂で、

「朝の食堂が閉まったら、私の部屋に来て」

 一年さんはそれだけを伝えると私もそれ以上話すことなく朝の時間を終えた。

 そして言われた通りに朝食の時間が終わると、念のため人の目に気を配りながら一年さんの部屋を訪れる。

「いらっしゃい」

 一年さんはこたつテーブルの上でお茶を用意していて、私は促されるままに一年さんの隣にすわった。

「ごめんなさいね、呼び出してしまって」

「いえ、それはかまいません」

「そう、ありがとう」

 言ってお茶に口をつける一年さん。

 用があると言ったのに一年さんは落ち着かない様子で話を切り出すことはなく、その様子に私は何を話そうとしているのかを察する。

 私もお茶で舌を湿らせると、切り出そうとしているであろうことを私から口にすることにした。

「……蘭先輩のこと、でしょうか」

「っ…!!」

 その核心をついた名前に一年さんは動揺し茶碗を持つ手を震わせわずかにテーブルへと中身が零れる。

(やっぱり)

 元々一年さんは蘭先輩のことを気にしていたし、昨日あの光景を見られている。そこにこの呼び出し。

 用件は想像できた。

(もっとも、私が何を知ってしまったかなんて想像もできないでしょうけれど)

「……昨日、蘭……夏目さんと一緒にいたの?」

「っ!!?」

 今度は私の方がお茶をこぼしそうになった。

 まさか昨日のことを知っているのかと思ったけれど、予想とはまた別の衝撃が私を襲うことになる。

「神室さんが」

(冬海ちゃん……?)

「昨日、部屋に戻ってこないって聞きに来たから」

「そう、ですか……」

 蘭先輩のことであれば話せることも、聞きたいこともあったけれどまさかの名前に頭が真っ白になってしまう。

「……蘭と、いたの?」

「…………………はい」

 冬海ちゃんのことはなんと答えればいいかわからなかったけれど、質問に答える余裕はあり素直にそれを認める。

 頷く私に深く感情を秘めた瞳で一年さんはそうと小さく頷く。

 そこには私なんかじゃ及ばない気持ちがあるのだと思う。蘭先輩に対する普通じゃない思いが。

「貴女は、神室さんのことを好きって言ってたわよね?」

「っ……はい」

「なのに、蘭と昨日の夜一緒にいたの?」

 この話がどこに向かっているのかを察し、私は体に緊張を走らせる。

 偶然ではあるけれど、一年さんにとっておそらく心のある見たくないものを刺激しているだろうことが手に取るようにわかった。

「……はい」

「…………………………………そ、う」

 感情のない乾いた声。

 今一年さんの頭にあるのはきっと……

「貴女……」

 おかしいわと言いたいのかもしれない。

 でも一年さんは、それ以上続けず私を見ながら私を見ていないようなそんな印象を感じさせる瞳で私を呆然と見つめていた。

 その動揺が私の中にあったある疑念を大きくさせていく。

 蘭先輩は嫌われた、軽蔑されたと言っていたけれど。

 もしその通りなら今の一年さんの態度は説明できない。

 つまりは

「一年さんは、蘭先輩のことを……」

「ちがっ……」

 私の言葉を遮って一年さんは大きな声をだし、途中でそれも止める。私が何を言おうとしたのかはわからないのに、感情が先走ってしまったという焦りが見て取れる表情。

「………………」

 再び一年さんは私を見ながら私以外に意識を飛ばし、居心地のよくない沈黙が二人の間に流れる。

「出直しますね」

 私は気を使ったわけではなく、今は一年さんに考える時間が必要かもしれないとそんなことを言って立ち上がる。

「ぁ」

 出直すという言葉は望まれてはいないかもしれない。私は蘭先輩の言い方なら軽蔑される類の人間なのだろうから。

 それはわかっても私は「また来ます」という言葉をあえて残して、感情に心が追い付いていない一年さんを残して去っていくことにいた。

 

11−1/11−3

ノベルTOP/R-TOP