冬海ちゃんが自分のベッドに戻り就寝の時間を迎えた後も私の思考は千秋さんのことで埋め尽くされていた。
蘭先輩のことを除けば千秋さんは普通の……違う、冬海ちゃんが憧れるような素敵な人。気さくで、誰にでも分け隔てなく接して、明るく、自分に厳しく他人は優しいそんなお話しの中に出てきそうなくらいな人。
それはきっと千秋さんの素の姿なのだろうけれど、それを支えているのは蘭先輩への依存。
そして、今はその支えを失いかけ夕食の時のような、おそらく荒れていた時と同じ千秋さんが表に出てしまっている。
(……本気で蘭先輩のことが好きってことよね)
それを認めたいとは思えないけれど、認めざるを得ない。
事情は分からないけれど蘭先輩が千秋さんを救ったのは間違いないのだと思う。けれどそんなのはきっと自分のためだ。
あの人は、そんないい人のはずがない。自分の欲のために千秋さんを惑わし、そして邪魔になったら捨てる。
それだけの人。
(許せない)
いつの間にか千秋さんのことではなく蘭先輩のことを考えていた私はそう思うと同時に
私が間違っていたわ
……ごめんなさい。
「っ」
いつかのその光景が瞳の裏にやきついていて
「!!?」
必死に振り払う。
あの人はいい人なんかじゃない。自分が楽しければいい、自分さえよければいいと思っている最低な人。
(……私なら……私なら千秋さんのことを………)
「………………」
その続きを言葉にしていいのかわからないけれど……あの人から解放してあげたいという気持ちは本物だった。
千秋さんと二人で話す機会を探していた私ではあったけれど、その機会は中々訪れてはくれなかった。ある程度二人きりになることはできても、千秋さんにさけられてしまうかもしれないし、周りから邪魔されないとも限らない。
だからその話を聞いた時チャンスだと思った。
(千秋さんが、休み?)
朝礼でそのことを知り私はその時には決断していた。
昼休みに会いに行こう、と。
いつもより長く感じた午前中の授業を乗り切り、お昼休みになった瞬間に早足に教室を出る。
浮足立つ空気の中校舎を歩き、下駄箱から外に出て、まだ校庭で体育の片づけを行っているクラスを横目に見ながらまっすぐと寮に向かうと、千秋さんの部屋の前にたった。
(今なら……)
私の望んだベストな条件。
千秋さんが逃げられず、誰かも邪魔される可能性の低い場所。
そういえば、初めての日の翌日。
学校を休んだ私のもとに同じように千秋さんが訪ねてきてくれたのを思い出す。
……あの時か色んなものが変わってしまっているけれど……あの時にいったように千秋さんが私の友だちだということは変わらない。
それだけは間違いないと心で確認をしてから私は形式的なノックをしてからドアノブに手をかけた。
「こんにちは、千秋さん」
「っ!?」
ベッドで横になっていた千秋さんは予想もしていなかった私の姿に驚きながら小さく、鈴……と私のことを呼んだ。
一瞬で部屋に重苦しい雰囲気が広がる。
私の部屋と同じで馴染みもあるといっていい場所が、急に知らない場所かのように感じて心臓がはやる。
今からこんなことでどうするのかと自分を振るいたたせ、訝しげに私を見る千秋さんのもとへとたどり着く。
「…………何か、用?」
千秋さんはただそれだけを言った。私の顔は見てくれていない。
「……私、この前見たの」
「何をさ?」
「学校で千秋さんと蘭先輩が話しているの」
「っ」
何を指すのかを一瞬で理解した千秋さんは鋭い視線を私に向けた。
何か言われるのではと身構えたけれど
「…………そう」
千秋さんは力なく答えただけ。
「あの人は、よくないって思う」
千秋さんが黙った理由はよくわからないけれど、私は私のしたいことをすることにした。
多分私はこれから千秋さんを怒らせるのだろうけれど、それでもいい。それが千秋さんのためになるのなら。
「千秋さんが……去年蘭先輩に【救われた】っていうのはなんとなく聞いた」
「趣味悪いね。人のことを勝手に詮索するなんてさ」
「ごめんなさい。でも、千秋さんのことを放っておきたくなかったの」
「……………」
「あの人は千秋さんのことを好きじゃ、ないわ」
言ってはいけないこと。なぜならそれは事実で
「…………」
きっと千秋さんも自覚しているから。
少なくても千秋さんが望む形であの人は千秋さんを好きではないということを。
「このままでいても千秋さんにとっていいことじゃない。千秋さんだってわかっているでしょう。……いずれ終わるって……どんなに長くても蘭先輩が卒業したら関係が終わるって」
「だろうね」
「っ……」
まさか認められるとは思っていなくて私は思わず怯み千秋さんの表情を追う。
「わかってるよ。鈴が言うことくらい。お姉さまにとって私はたくさんいるうちの一人でしかないって。いなくなっても取る足らない存在だっていうことくらい」
無表情。ただし、意図しての。隠そうとしている感情は目の潤みや唇の震えから見える。
「でも、私にはお姉さましかいない。私を救ってくれたのはお姉さまだけ。鈴に私の気持ちを否定する権利があるの? 叶わないことくらいわかってる。それすら思っちゃいけないっていうの?」
「それは」
私は自分を恥じていた。
千秋さんは盲目的に蘭先輩を追っていると決めつけ、その蒙昧を開かせるなんて勝手に考えてしまっていた。
いや、もしくはその可能性を考えていたくせに自分の欲望のために見ていなかっただけかもしれない。
でも、千秋さんは現実を知っていた。リアルを知った上で手に入らないとわかっているものを追っていた。
「何も言えないのなら。出てってよ……」
「ぁ………」
私はたらなかった。千秋さんが覚悟を持っているのに対し、私だって何もできなかった。私には何もないから。千秋さんに匹敵する覚悟を持っていないから。
それが悔しくて、情けなくて……でも……やっぱり何もできなくて……私は
「……………………」
しばらく黙ったまま逃げるように部屋を出ていくしかなかった。
初めて望みがないことを自覚した千秋さんが一人になった部屋で泣いてしまうということには気づかなかった。