「……………」
蘭先輩と別れた私は部屋に戻らずある場所に来ていた。
そこは言うまでもなく寮母さん、一年絢(ひととせあや)さんの部屋。場所は寮の二階で寮生たちの部屋からは少し離れた場所。
この寮に来た時に挨拶はしたけど、それ以降はほとんど来たこともないし話もあまりしていない。
挨拶をした時の印象では穏やかそうな人とは思っていた。セミロングの髪にメガネをかけていて、よくタートルネックのセーターを着ていることが多い印象。
確か歳は十歳とはなれていなかったと思う。短大卒でその後すぐに寮母として赴任してきたらしいから。栄養士の資格を持っていて食事の管理はしていると誰かに聞いた覚えがある。
私が知っているのはそれくらい。少なくても蘭先輩との関係については聞いたことがない。
(……蘭先輩の好きな、人)
それはいったいどういうことなのだろう。千秋さんや他の恋人たちに向ける感情とは違う、千秋さんが蘭先輩に、私が千秋さんに向けたような好き。
その気持ちを蘭先輩は寮母さんへ向けているということ。
そしておそらくそれは叶っていない。もしかしたらその代替行為として他人を求めているのかもしれない。
だとしたら、千秋さんがあまりにも憐れすぎるけど。
「……………」
話を聞きたい。蘭先輩との関係を聞きたい。でもそれはしていいことなの?
こんな時間に訪ねてということじゃなくて、権利があるのかと問う。
何の理由があってと自分に尋ねても、理由は見いだせない。あるとすれば
「蘭のことが好きなの?」
この言葉が思い浮かんで振り払った。
(違う。そうじゃなくて)
そういうことではなくて……言葉が続かないのがもどかしい。
理由がはっきりしないことがここでこうする居心地の悪さにつながり、私は踵を返そうとすると
カチャっとドアがあく音がして
「あ、ら? 春川、さん?」
蘭先輩の想い人に名前を呼ばれていた。
いつものタートルネックにエプロン姿で私を見ては目を丸くする。
「どうかしたの? こんな時間に」
当たり前の問い。
私はそれに応えるべき言葉を持っておらず、また唐突すぎて何も言えずにいた。
用があるわけじゃない。けれど、話したいことはある。でも、それらは整理されておらずそれに蘭先輩も余計なことを話すなと言っていて……
頭の中がこんがらがり結局私は何も言えずにいると寮母さんは意外な一言を放つ。
「えっと、よかったらお茶でも飲む?」
「え? ……あ、は、い」
意外な提案ではあったけど断る理由はなくて私はまぬかれるままに部屋に入っていく。
内装は寮生の使っている部屋とそんなに変わりはない。ベッドが一つしかない分広いけれど仕事なのか趣味なのか他の部屋ならベッドがある場所には本棚が配置されている。
それと……
(これは……趣味なのかしら?)
窓にはレースのカーテン。明らかに私たちの部屋に備え付けてあるものとは違う。
「座ってて。すぐお茶入れるから」
「はい」
促されるままにテーブルの前に腰を下ろし、お湯を沸かす寮母さんのことを見つめる。
学校の先生たちに比べて若いなとは思う。それに親しみを持つか、頼りないと感じるかは人それぞれだろう。
私からすれば自立して働いているというだけでもすごいと思うけれど。
(この人が、蘭先輩の好きな人……)
モデルとか芸能人みたいな華美な色気はないけど、職業柄か包み込むような優しさを感じさせる人ではあると思う。
蘭先輩はこの人のどこを、何を好きになったのだろう。
そして、何故想いは叶っていないの?
拒絶されたから? それとも伝えていない?
話してもいないのに疑問ばかりぶくぶく湧いてきてそれが言葉にならず泡となって消える。
結果、ただ見つめるだけとなってしまいそんなことをしているうちに寮母さんが香りの立つ緑茶を運んできた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
柔らかい口調と、穏やかな物腰。
「…………」
その姿に見惚れていると
「最近どう?」
「え?」
突然の「私」に関する質問に頭をかしげてしまう。しかもなんとも答えづらい質問。
最近と言われてもいつのことを指すのかわからないし、そもそも質問の意図がわからない。
「以前に比べて少し笑顔が増えた気がするから何かいいことがあったのかしらって思ったんだけど違った?」
「っ……い、いえ……違くはない、です」
それが千秋さんとのことを指しているのならすごい観察眼だ。確かに笑顔は増えた。職業上そういうことには気を配っているのかもしれないけれど直接話してもいないのにそんなことに気づくのはさすがだと感心する。
「そう、よかった」
大人を感じさせる態度と余裕のある笑顔。
「……………」
私はその顔を見つめながら黙っているだけ。聞きたいことはあっても、おいそれと蘭先輩の事を聞くのも憚られる。勝手に聞くようなことでないことはもちろん、蘭先輩のあの態度。本当にただではすまされなくなりそうで。
「…………」
となると必然訪れるのは気まずい沈黙。
寮母さんからすれば私は何か意図をもって部屋の前にいたと考えるだろうけど、それはその通りでもまだ聞きたいこと聞いていいことへの切り分けができていなくて何も言い出せない。
結局寮母さんの方から学校のことや生活のことなどを聞かれ、それに応えていくというどちらにも楽しくも嬉しくもないような時間が過ぎていく。
それがいたたまれなくてまだ自分の中でこの人への態度がはっきりしていないということもあり三十分を待たず部屋をお暇することにした。
「何かあったらいつでも来てね」
「はい」
ドアの前で立場上当然の言葉をもらって私は立ち去ろうとしてけれど、
(あ)
寮母さんの大きな埃があるのを見かけ、反射的にとってあげようと寮母さんへ手をボなすと
「っ!?」
なぜかものすごい勢いで体を引かれた。
「な、なに?」
目を丸くしながら私に尋常じゃない眼を向ける。
その姿は驚いているというよりも……怯えているようにも見えて……?
「あ、いえ、肩にゴミがついていたから取ろうかと思ったんですけど」
「え? あ、あぁ! そうなの、ごめんなさい勘違いしちゃって」
「い、え……気にしてませんけど」
「…そ、う。ありがとう」
「え、と……それじゃあ失礼しますね」
「え、えぇ……それじゃ」
よくはわからなかった出来事でその場を離れて行く私だったけどある一つの言葉が気になっていた。
(何を、【勘違い】したの?)