結局蘭先輩に触れることなく時間は過ぎていき、ようやく嗚咽を止めた蘭先輩はそれでも憔悴しきったかのようにうつろな顔をしていた。
「貴女にこんな姿見られるなんてね」
言いながら蘭先輩は自虐的に笑う。
「その………」
何を返せばいいのかわからない。
「ふふ、貴女が困らなくたっていいでしょう」
私の動揺が逆に蘭先輩を落ち着かせるのか、憔悴はしていても声にはほんの少しの余裕が戻る。
「……って困るわよね。あんなこと聞かされちゃ」
取り乱してはいても何を言ったのか覚えているのか、再び嗤う。
「貴女なんかに言っちゃうなんてね」
「どういう意味、だったんですか。【知らなかった】って」
「そのままの意味よ」
「……………」
「好きな人とエッチするのがいけないこと?」
「それは、違うと思います、けど」
「そうね、貴女たちからしてもそれならおかしいことじゃないわよね。じゃあ、好きな人が何人もいたらいけない? その人たちとエッチするのはだめ?」
「……それは、普通はダメだって思います」
私が答えていいことじゃないのかもしれないけれど。
「そう。まぁ、そのあたりは人によって違うかもしれないわよね」
言いたいことはわかるけれど同意はしづらいことに口を閉ざしていると蘭先輩は諦めたような表情で「なら」と続けた。
「友達とエッチするのは? ハグはしたりするわよね、キスだって友達同士ですることもあるでしょう。なのにエッチするのはダメ? 気持ちよくしてあげて、気持ちよくしてもらうのがいけないこと?」
淡々と告げる蘭先輩は当たり前にそれを言っているようにも見えれば、諦観してるようにも見える。
異常だとわかっていて、その異常な自分を遠くから見ているようなそんな印象を持つ姿。
「……普通じゃないと思い、ます」
「……………絢さんにも同じこと言われたわ。普通じゃないって、おかしいって……軽蔑するような目でね」
「っ……」
確かに一年さんの蘭先輩に対する視線は尋常じゃなかった。
「でもね、私はそこで初めて知ったのよ。普通じゃないって。ううん、むしろ私には絢さんの方が普通じゃないって思えた」
「……そういう風に育ってきたから、ですか?」
「そう……」
頷いた後、懐かしむようなそれでいて愛憎にまみれたようなそんな表現しづらい表情で
「……お姉さまたちにそう教えられてきたから」
「お姉さま……たち?」
何から何まで不可思議な言葉が続く。どこか非現実的な感覚さえあるけれど、この不規則な鼓動を刻む胸の音は紛れもなく現実を示している。
なぜこんなことを話してくれているのかわからない。意図があるのか、もしくはただ一年さんと会話をすることで弱気になっているのか。
だとしたら、ここでこれ以上踏み込むのはその弱さに付け込んでいるだけ? いや、そうだとしても。
(すべてはこの人から始まってる)
私に限らず、この寮で起きている蘭先輩にとってだけ普通のことは。
知ったからと言ってどうにかなるわけじゃない。この人との関係も、冬海ちゃんとの関係も。千秋さんの想いや一年さんの隠していることも。
(それでも)
「……どういうことなのか教えてください」
何かを知るために私はそのことを問いかけ
「…………楽しくない話よ?」
蘭先輩は寂しそうに笑って答えた。