春。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山際すこし明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
なんて、どこぞの日記の言葉が自然と出てきちゃうような春。
草が芽吹き、木々は青々とし、花が咲き乱れる。
ぽかぽかとした陽気が心の中まであったかくしてくれるような春。
春といえば、最初にあるのが別れ。
お世話になった先輩、お世話にならなかった先輩、顔も名前も知らないような先輩。それらのほぼすべてが卒業し、学校を去っていく。
感傷に浸る人にも、浸らない人もにも時間は平等に過ぎていきすぐに春休み。三月が終われば嫌でも四月になって一つ学年が上がる。
終りがあれば始まりがあるように、別れがあれば出会いがある。
春は別れの季節。
そして、出会いの季節。
外を見れば桜が満開。
さわやかな風が吹いて舞い散る桜に風情を感じ、花たちは嬉しそうに春の陽を浴びる。耳をすませば小鳥のさえずりが聞こえてきそう。
そんな穏やかな春の一日。
時間があるなら結花とお花見でもしたいところだけど、実際に今私がいるのは、学校の体育館。
明日行われる入学式の準備に借り出されていた。
「あふぅ……」
ため息を漏らしながら機械的にイスを運んでは並べて、運んでは並べてを繰り返していく。始めたころには数百並べるなんて途方もないことに思えたけどさすがにクラスでやればそれなりに早く片付ようだ。
あらかた終ったかなと思いつつ、だらだらと作業を続けていると、担任の先生に呼ばれた。
「神尾―、ちょっといい?」
持っていたイスを友達に託してクラス担任の下に向かう。
「なんですか?」
「そろそろ終りそうだから職員室いって主任呼んできてくれない?」
「まぁ、かまいませんけど」
「そ、ありがと。素直な委員長さんを持つとあたしも楽でいいや。じゃ、頼むわ」
用件を伝えると担任はすぐ別の場所に向かってサボっている男子を注意をはじめた。
サバサバとして、見た目とは違い真面目で悪くはない先生だけどめんどうなこととかをすぐに人に押し付けたがるのが玉に瑕な人だ。
こっちもここでこうしてるよりは楽だから別にいいけど。
私は体育館から出て職員室を目指した。
静かな廊下を二階の職員室に向けて歩いていく。
「あのー、すいません」
と、丁度階段を上ろうとした所で背後からどこか申し訳なさそうな声に呼ばれた。
「はい?」
とりあえず、声のほうに振り返ってみる。
「第二会議室ってどこでしょうか?」
そこにいたのは私と同じ制服を着た女の子だった。
結花と同じくらいの身長に、栗色で短めの髪を赤いリボンで結わえている。あまり発育のよさげじゃない体で顔は少し幼さが残り、あまり制服姿が似合っていなかった。
(どこがで見たことがあるような……?)
同級生、じゃない。かといってこの顔と制服の違和感で上級生ということもないと思う。でもあったことがある気がする。
誰だっけ。
私が記憶の糸を辿っていると相手も私と同じように少し不思議そうにこっちを見ているのに気づいた。
「……あ、あれ、おねぇ…あ、ええと…美貴、さん?」
その女の子の小さなくちびるから唐突に私の名前が飛び出した。
「…………どうして私の名前?」
困惑する私をよそにその子は急に花を咲かせたようなぱぁっと明るい笑顔を見せて、私に擦り寄ってきた。
「私です、私、皆咲 菜柚です」
なゆ……ナユ……皆咲、菜柚。
その名前にピンときた。
「菜柚ちゃん!?」
思い出した。
近所に住んでいる幼馴染で、小学校の通学班も一緒だった皆咲菜柚ちゃん。一つ年下ということもあって、一人っ子の私は彼女を妹のように可愛がっていた。
でも、高学年になるにつれ通学班や町内の活動以外での付き合いが少なくなって、中学生の頃は疎遠になっていた。
「覚えててくれたんですね。うわぁ、嬉しい! この学校だっていうのは知ってたけど、入学前に会えちゃうなんて! あ、見ればわかると思いますけどあたしもこの学校受かったんですよ! わぁ、やだっ、なんかすごく嬉しい!!」
菜柚ちゃんはころころと表情を変えて、体中で嬉しさを表現してきた。その姿は子供のようで変わってないなと思わせてくれる。
「ちょ、ちょっと菜柚ちゃん落ち着いて」
「あっ、す、すみませんっ。舞い上がっちゃって」
慌てて私から少し距離をとってえへへと笑う菜柚ちゃん。結花とはまた別の可愛さがあって、見ててほほえましい。
「でも、本当に嬉しくって……」
「菜柚ちゃん……?」
一瞬声が震えているように聞こえた。
私が不思議がっていると菜柚ちゃんもそれに気づいてすぐに笑顔を作る。
「そうだ、さっきも聞いたけど第二会議室ってどこあるんですか?」
「それなら、この階段上がって左に曲がればすぐだけど、そんなところにどうしたの?」
ごまかそうとしたというのには気づいたけどあえてそれには何も触れないで他愛のない言葉を返す。
「今日、新入生のオリエンテーションでうちのクラスは次そこに移動なんですよ。でもちょっとお手洗い行ってたらみんないなくなっちゃってて」
「そういうところ、相変わらずね。そっか、じゃあ私は今菜柚ちゃんの入学式の準備してるのね」
それを思うとさっきまで面倒だと思っていたのもやる気になってくる。
まぁ、そろそろ終るから自分がここにいるのだけど。
「明日の入学式って美貴さんたちもでるんですか?」
「来ちゃだめってことはないけど、強制じゃないから行かないかな?」
どうせ行く気はなかったのでそんなに詳しく聞いてないけど多分、来ても父母席に回されるか手伝わされるかくらいだろう。
「そう、ですか」
菜柚ちゃんは私の言葉にしゅんとなったかと思うと、そんな自分を否定するかの様にすぐに首を振った。
「あの、もし暇だったらでいいんですけど明日の入学式、きてくれませんか?」
そして、意を決した顔で訴えかけてきた。
私はなんとなくその意味を察する。
「もしかして、また小父さんも小母さんもいないの?」
「…………はい」
「そう…………」
菜柚ちゃんの両親はよく家をあける。特別なにかあるわけじゃなくて単純に仕事が忙しいだけらしいけど、何の仕事をしてるとか詳しいことは知らない。
私も菜柚ちゃんの家に何度も遊びにいったことがあるから気さくで優しい両親だというのは知ってる。
しかし、昔から授業参観や学芸会のたびに菜柚ちゃんが悲しそうにしていたのもよく覚えていた。
「わかった。私が菜柚ちゃんの親の代わりに菜柚ちゃんの晴れ姿を見てあげる」
「本当ですかっ!? わっ、ありがとうございます!」
「そんなに大げさにしなくても。そんなことよりそろそろ行かなくていいの?」
何時までに行けばいいとかはわかんないけど、それなりに話こんでしまったし、私は私で職員室に行かなければいけない。久しぶりに話してるんだから名残惜しくないわけじゃないけど、今はそういうわけにもいかないだろう。
「あっ! はい。それじゃあ明日お願いします」
「えぇ、また明日ね」
深々と頭を下げると菜柚ちゃんは階段を足早に上っていった。私もその後姿を見届けたあと階段を上がる。
明日は春休み最後だし、結花と遊ぼうかなとも思ってたけど、久しぶりにあった妹分の頼みを断ることもない。
結花とは会おうと思えばいつでも会えるし、明日くらいは菜柚ちゃんの所へいったっていいわよね。
私はそんな風に軽く思っていた。
自分の行動の結果に思いをはせることも、
菜柚ちゃんの気持ちなんて考えることもなく。
軽く、浅はかに、
思ってしまっていた。