うちの学校の入学式は普通在校生が来ることはない。昨日詳しく聞いてみたが、一応、言えば席を用意してもらえるみたいではあるけど、来ても面白いものなんて何もないし、せっかくの春休みつぶしてまで来る人なんて皆無らしい。
体育館の中は普段とは違い窓は紅白幕で覆われ、敷き物の上にパイプイスが規則正しく置かれている。まだ新入生は来てなくて親御さんたちがやかましく会話をして会場内がざわついている。
そんな様子を私は舞台左上の放送室から観察していた。
担任に来てもいいかと確認を取ったら、わざわざここを開放してくれたのだ。もっとも体育館の二階には吹奏楽部がいるし、会場に一人ぽつんと在校生が不自然なのでここに追いやられたといえばそうなのかもしれない。
周りは色々機材に囲まれていてあまり居心地がいいとはいえなくても、一人でいると気楽なものだ。
「新入生入場」
ぼけっと会場の様子を眺めていると下から司会の声が聞こえた。
吹奏楽の音楽と共に入り口から初々しさを感じさせる生徒たちが入場してくる。菜柚ちゃんが何組か聞いてなかったので一つ一つのクラスを具に観察していくと三組目に菜柚ちゃんの姿を見かけた。父母席のあたりをキョロキョロと見回している。
（昨日はあんなこと言ってたけど、お母さんかお父さんが来てるのかしら？）
そんなことを考えながら、軽く菜柚ちゃん向かって手を振ってみた。けど、やっぱりここからじゃ気づかないみたいで、私は軽く落胆の息をつくと入学式を見つめるのだった。
しかし、自分のときは退屈でつまらないものだったけど、こう上から見てみると意外にも面白かった。なれない制服が気になるのか頻繁に直してる女子がいたり、延々と話続ける親御さんがいたり、教師の中でも話したり眠そうにあくびをしているのがいたり、立場を変えて余裕を持って見つめると色々発見があったりするんだなと頭ではわかっている気もしてたけど改めて再認識した。
「菜柚ちゃん」
式が終って体育館の華やかに飾られた入り口から次々と人が吐き出されていく。私は菜柚ちゃんの姿を見ると手招きをした。
「美貴さん！」
菜柚ちゃんも私を見つけて、とてとてを小走りで寄ってきた。
「入学、おめでとう」
「あ、ありがとうございます。あの……」
「今日ってこれで終わりだっけ？」
「あ、ええと確かそうだったと思います」
「じゃあどこかでお昼でも食べてく？ もちろん、友達とかと先約がなければだけど」
「あ、なら私の家来ませんか？ 少し遅くなっちゃうかもしれないですけど私の手料理ご馳走しますよ？ こう見えても自信あるんですから」
胸に手を当てて自慢げに菜柚ちゃんは言った。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
内心せっかくだし奢ってあげてもいいかなって考えてたけど、本人がこんな風に言うのなら素直にご馳走になろう。
私たちはそう決めるとさっさとその場所をあとにした。菜柚ちゃんは時々振り返り、どこかうらやましそうに校内のいたるところにいる親子を見つめる。私はそれに気づかない振りをしながらも菜柚ちゃんの手を引くと早足に学校から出て行った。
菜柚ちゃんの家は私の家から歩いて十分もかからないところで、改めてみてみると大きな家だった。
赤い屋根に、白い壁。周りの家より一回り大きな宅。チョコレート色の扉を開けると菜柚ちゃんは無言で家の中へ入っていった。
「お邪魔します」
私も挨拶をして、後に続いた。
「いいですよ、そんなの。どうせ、誰もいませんし」
靴を脱いでいる菜柚ちゃんがつまらなそうに言う。
無言でそれを見つめると私も靴を脱いで上がらせてもらった。
「こっちへどうぞ」
通されたのは応接室だった。高そうなテーブルが中央にあってそれを囲うようにふかふかそうなソファが置いてある。隣はキッチンと食堂になっているらしい。
私は荷物をソファの脇に置かせてもらってそのまま腰を下ろした。
「じゃあ、美貴さん。ちょっと待っててくださいねすぐに用意しちゃいますから」
「あ、うん……」
「どうかしました？」
どこか上の空に菜柚ちゃんの言葉に答えると、それを変に思ったのかすぐ近くまで寄ってきた。
「あ、ううん。なんか菜柚ちゃんに敬語使われたり、美貴さんだなんてよばれるのなれないなって思って」
小さい頃はもちろんタメ口だったし、名前じゃなくてお姉ちゃんと呼ばれていた。なのでどうも敬語なんて使われると少しだけ戸惑ってしまう。
「あ、でももう高校生だし、そういう所しっかりしないと……」
「確かに、学校でお姉ちゃんとか言われてたら困っちゃうけど二人っきりのときくらい昔みたいでもいいのよ？」
それに、昨日だって一回私のことをお姉ちゃんと呼びそうになってたのに気づいている。菜柚ちゃんが気を使ってくれるのはありがたいけど反面少し寂しくもあった。
「あ、うん……」
私の言葉に菜柚ちゃんは照れながら頷いた。
「あの、おねえちゃん……」
そして、控えめな声でそう呼ぶ。
「うん」
私は笑顔で答えると一緒に食事の準備を始めるのだった。
「そういえば、菜柚ちゃん。式終った後何か言いかけてなかった？」
菜柚ちゃんの手料理をご馳走になり、二人で食後のお茶を飲んでいるとふとそんなことを思い出した。
あの時は周りがあんな状態だったから正直早く菜柚ちゃんをその場から連れ出したくて今までそのことを忘れていた。
「えと、お姉ちゃんどこにいたのかなって聞こうとしたの。会場の中みてもいなかったから」
「あ、私舞台裏の放送室にいさせてもらってたのよ」
「そうなんだ……私、また嘘つかれちゃったのかなって思っちゃった。でもちゃんといてくれたんだね。それなのに私ったら……」
菜柚ちゃんはそう言うと急に泣きそうな顔になった。
「菜柚ちゃん……？」
嘘？ また？
少しの間菜柚ちゃんが何をいってるのかわからなかった。でも、すぐにそれは私に対することじゃないことを察する。多分、過去親に授業参観なんかを約束をしてたときのことを言っているのだ。
それに気づくと同時に罪悪感に苛まれた。
今日は多少私が恥ずかしい思いをしてでも、私から菜柚ちゃんを見れるところじゃなくて「菜柚ちゃんから私が見えるところ」にいなければいけなかった。
「ごめん」
「や、やだなぁ。お姉ちゃんがあやまることないのに」
「ううん、私の考えが足らなかった」
「だから、あやまらないでって……」
「お詫びにはならないかもしれないけど、お詫びに菜柚ちゃんのお願い一つ聞いてあげる」
罪滅ぼしってわけじゃないけどそれくらいしないとこっちの気がすまない。
すると、さっきまで笑って私の言葉を流していた菜柚ちゃんの顔色が変わった。
「……お願いって、どんなことでも？」
表情は強張り、体に緊張が走ってるのがわかる。
「え、うん。できる範囲なら」
別人のような雰囲気になった菜柚ちゃんに少し戸惑いつつも私は質問に答える。
「……じゃあ……一つ、お願いがあるの」
「な、なに？」
今まで見たことのない菜柚ちゃんに様子に若干飲まれなぜかうろたえてしまう。
「わたし……………」
「お姉ちゃんに……はじめてを……もらって、欲しいの……」
はじめて……？
突如飛び出した聞きなれない単語に眉をひそめた。
普通、こんな熱っぽい顔で女の子に言われれば常識的に考えて「そういう」意味になる。
でも、そんなこと菜柚ちゃんが言うわけないし、きっと何か別の意味よね？
「はじめて？」
「うん……私のファーストキス、お姉ちゃんにもらって欲しいの」
ほら、やっぱり。
「そういう」意味なんかじゃなかった。
（ん…………？）
確かに私の思った意味とは違った。違ったけど……？
（キス……？）
今そういわれたような。
（…………………ってえぇええぇぇっ!?）
「き、きす……？」
「うん…………だめ……？」
菜柚ちゃんは頬を染めながら熱い視線を私に向けた。
「だ、だめっていうか」
無意識にその目から顔を背けてしまう。
「どうして……そんなこと、言うの？」
菜柚ちゃんの言葉にどう反応すればいいかわからず、苦し紛れにそんなセリフが口をついた。
「だって、私、お姉ちゃんしか、いないんだもん」
「いない、って……？」
「私に優しくしてくれた人。お姉ちゃんしか、いないの」
「そ、そんなことないでしょ？ 小母さんや小父さん優しいし、友達だっているでしょ？」
「あんな親優しくなんてないっ！ いっつも家にいないし、家のことは私にまかせっきりだし、それに友達はいるけど、仲のいいこなんて全然、いないし……」
「菜柚、ちゃん……」
いつの間にか菜柚ちゃんは泣いていた。瞳から菜柚ちゃんの悲しみが雫に床に染みを作っていく。
「小さい頃お姉ちゃんが一緒にいてくれるとすごく楽しかった、嬉しかった。お姉ちゃんだけが私のこと想ってくれて、優しくしてくれた」
あ、あれ……
「私、お姉ちゃんのこと好きなの！ 小学生の頃からずっと好きだったの!!」
やだ、私……
「小学校の頃一緒にいる時間が少なくなって悲しかったし、中学生の頃、ほとんど話ができなくってつらかった。お姉ちゃんが卒業して、学校からいなくなったときはもう学校行くのだって嫌になった」
こんな風に、想いのたけを吐き出す菜柚ちゃんが
「私だって中学生のとき、友達とかと遊んだりもしたかったよ!? 部活やったりもしたかったよ!? でも家のことやんなきゃいけなかったし、休みの日だって掃除や洗濯しなきゃいけなかったし、ずっと一人でいるしかなかったの！」
小さな体を震わせ、精一杯に気持ちをぶつけてくる菜柚ちゃんが
「だから、今だって本当はすごく怖いけど、もう……お姉ちゃんの……こと離したくない……から」
とても可愛くて……
「……ひっぐ……えっく……」
とても愛おしくて……
「おねえちゃぁん……」
たまらずに手を……
伸ばしかけて、
「……っ！！」
とめた。
結花の笑顔が頭をよぎった。
（…………………ごめん）
数瞬でその笑顔を断ち切ると、私は菜柚ちゃんを包み込むように抱きしめた。
「…………っ」
小さい、とても。このまま力を込めれば折れちゃいそうなくらい。
そのことが一層私の保護欲をかきたてる。
「ごめんね、菜柚ちゃん。菜柚ちゃんがそんな風に思ってたなんて全然、知らなかった。でも……大丈夫。これからは私が菜柚ちゃんと一緒にいてあげるから、お姉ちゃんになってあげるから、だから、もうそんな風に一人で泣かないで。ねっ」
私は菜柚ちゃんの頭を胸に埋めさせるとそのまま髪を優しく撫でてあげた。
「おねえちゃん、おねえちゃん…おねえちゃんおねえちゃぁん……」
菜柚ちゃんは何度もそう呼んで、私の胸の中で泣きじゃくる。
（結花……ごめん、でも）
これはお詫びだから。
「菜柚ちゃん……こっち向いて」
菜柚ちゃんのためだから。
「目……つぶって」
私のためじゃないから。
「…………うん」
菜柚ちゃんのため、菜柚ちゃんのためだから。
何度も、念を押すように心の中でそう呟く。
手を菜柚ちゃんの顔に添えると菜柚ちゃんの体がビクッと震えた。
「菜柚ちゃん、体の力抜いて……」
そのままキスがしやすいように角度を変えてあげる。
そして上向きになったそのくちびるに私のくちびるを徐々に近づけていく。ゆっくりと、でも確実に、距離はどんどん近くなっていき、ついにゼロになろうとした。
菜柚ちゃんのため、だから。
「んっ…………」
本当はそれだけじゃないってわかっていたはずなのに、私はそのことを誤魔化して菜柚ちゃんと口づけを交わしていた。
当たり前かもしれないけど、結花のキスの感触とは違う。結花よりも菜柚ちゃんの方がやわらかくて、ただくちびるを重ねているだけなのに気持ちよくなってくる。
この快楽をもっと……
一瞬、そんな考えに頭が支配される。
そして、気づいたときには……
「んあ……っ!!!??」
くちびるを強引にこじ開け舌をいれようとしていた。
菜柚ちゃんは苦しそうな声を上げるとすぐに私の体を両手で引き剥がした。
「お、おねえちゃん……」
菜柚ちゃんはおびえたような、おどろいたような、それでいて好奇を含んだ表情で私を呼ぶ。
「ご、ごめん。嫌、だった……よね？」
その声で我に返った私は、恐る恐る菜柚ちゃんに問いかけた。
「う、ううん……いや、じゃないよ……ちょっとびっくりしちゃっただけ」
菜柚ちゃんは自分からグイと密着してくる。潤んだ瞳で
「お姉ちゃん……もっと、して……」
と、甘い声で囁くと、もう一度目を瞑った。
「うん……」
私はそれに頷きさっきと同じようにくちびるを重ねた。
「ふぅん……はぁ……」
今度はスムーズに舌を受けいれてくれた。ぬめりとした感触を感じながら口内へ侵入すると菜柚ちゃんも舌を絡ませて、私のうごきに懸命に答えようとしてくれる。
「……ちゅ…ぷ…くちゅ……」
舌を動かせばそれにあわせた動きを。舌の裏筋をなめれば奈柚ちゃんもたどたどしく同じようにする。
その拙さが可愛くてたまらない。
やだ……なんか……頭が痺れてきた……
「んふぅ……ぁん」
体に力が入らなくて、足が震えて、立っているのがつらくなってくる。
「ん……おねえちゃぁん」
ピチャ、クチャと艶かしい音が部屋の中に響きわたる。その音が、あぁ今、私菜柚ちゃんとしちゃってるんだ、とわからせてくれて、一層思考を鈍らせていく。
「ぁ……はぁ……あ……」
ドサッ。
口づけが終ると二人して膝をついてその場にへたりこんでしまった。
「あ、あはは……」
膝が笑って、立ち上がることができない。
二人で息を整えていると、菜柚ちゃんがまだキスの余韻を残したままの表情で口を開いた。
「お姉ちゃん……ありがとう……大好き……」
「菜柚ちゃん……」
私はどうにか立ち上がると、
いけないことだってわかっているのに
こんなこと、結花に対する裏切りだってわかっているのに
「私も、菜柚ちゃんのこと……好き、よ……」
この言葉をとめることができないまま菜柚ちゃんを抱きしめてしまった。