やれやれ、と文葉は思う。
文葉の部屋には主に寝室とリビングがあるが、それだけではなく入口の近くバスルームの反対側に小部屋がある。
そこは三畳ほどの大きさで、文葉は過去より本棚や礼服などあまり着ない服を保管する物置のように使っていた。
それは文葉一人の時の用途で、すみれと暮らすようになってからは別に使い道が出来た。
その別の使い方がされているこの場所でやれやれと思う。
「…すみれ、いい加減機嫌直してくれてもいいんじゃない?」
座ってクローゼットに寄りかかる恋人に声をかけるも
「…………」
帰ってくるのは沈黙。
構図としては文葉がすみれを怒らせたということになる。
といっても、大したことではない。
「あんたに確認しないで飲んできたのは悪かったわよ」
原因は今口にしたことだが、それも直接の意味ではない。
事のあらましはこう。
数日前、文葉とすみれがテレビを見ていてそこに出た料理に対して文葉が食べてみたい口にしていた。
それをすみれが休みの前日だからと気合を入れて作ってくれた。
それだけ。
悪かったのはすみれがサプライズでしようとしたこと。すみれとしては最近できる料理も多くなり、息巻いての事だったのだ。
文葉はそれを知らず、早瀬と飲みに行ってしまったというわけ。
「……………」
そして機嫌を損ねたすみれはこうして、物置部屋で膝を抱えている。
まぁこれがこの部屋の別の用途。
喧嘩をしてしまったときなど、物理的に顔が見たくなかったり合わせる顔がなかったりした時の非難部屋として使うのだ。
「ほら、明日は休みだってのにこんなとこいるなんてもったいないでしょ」
「……………」
すみれが何も言葉を返さない。
その気持ちも文葉は理解しているつもりだ。
すみれはただサプライズを最悪な形で裏切られたことに拗ねてここにいるのではない。
すみれは文葉に怒ってしまったのだ。文葉に一方的に落ち度があるわけではないのに文葉を非難してしまった。
その自覚があるからこうして合わせる顔なく落ち込んでいる。
「私は気にしてないから、そっちももう気にしないでよ」
それがわかるからこと文葉も放ってはおけずこうして声をかけ続けるが一向に返事はない。
(やれやれ)
と何度目の嘆息を突いて、言葉での説得を諦めると
「っ…」
すみれの隣に腰を下ろした。
「………………」
何も言わず体を傾けて体重をかける。
少しの間黙ってそれを受け入れてくれたが
「……寄りかからないで」
お姫様はぶっきらぼうに言った。
「………ふう」
心を許しているアピールをしたつもりだが、意味をなさなかったことを残念に思いつつ一度この部屋を去った方がいいかと立ち上がると。
「…離れないで」
理不尽な要求が来た。
「…はいはい」
しかし文葉はそれを前向きにとらえる。だっておそらく。
少し離れた位置に座り直し、一分ほどたった後
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉が述べられた。
「文葉が悪くないなんてわかってるわよ」
「……うん」
余計なことは言わず聞いていることだけを伝える。
「でも、楽しみにしてたから。文葉が喜んでくれるって思ってたのに、帰って来てくれなかったのが嫌で…ムカついて……頭が真っ赤になった」
「うん」
「やになるわよ。文葉だけが悪いわけじゃないのに文葉のこと怒って」
「あんたがそんなやつなことくらい知ってる」
気にしてないとか、私も悪かったとかではなく文葉は自分の思うすみれだと伝える。
「わがままで傲慢で、でも繊細で心配症で子供っぽくて。なにより私のことが好きだって知ってる。だから、こんなことで幻滅したりなんてするわけないでしょ」
体を寄せ、思うが侭を伝える。
今度は離れろとは言わない。
「……こうやって優しくされたいだけかもしれないわよ」
「ふふふ」
少女のような顔で言っているのを確認し、楽しそうに笑うと今度は肩を触れ合わせ頭を軽くぶつけた。
「そんな打算が出来るやつじゃないってことくらい知ってるわ。それに、そうだとしても可愛いやつって思うだけよ」
体重を預けて、少しだけおちょくるような言いざまとなる。
「………文葉ってやっぱりムカつく」
本心でもあり気を使われていることもわかって、けれどそういわれることに喜びを得ている自分がいることを否定はできずそう答えるしかないすみれ。
「いつでも何でもでもいうけど、私はあんたの全部が好きよ? そういう子供っぽいところも、やきもち妬きな所も、ちょっと理不尽なところも、わがままな癖にすぐに後悔しちゃうところも、ぜーんぶね」
「……普通こういう時はいいところも上げるものでしょ」
「だって、私にとっては全部がいいところだもの」
「私はあんたのそういう所がムカつくわ」
「ふふ…」
「ふふふ」
遠慮なく言い合い、最後には笑いを零す。これまで何度もしてきて、これからも何度もするであろう日常の一幕。
些細なことのはずなのに、それがする相手がいてくれることが嬉しいと感じる。
「さて、じゃいつまでもこんなところにいないでお風呂にでもいきましょうか」
「やらし」
「そんなんじゃないっての。埃っぽいところにいたか……まぁでもそういう意味でもいいわよ?」
「…………うん」
すみれが冗談で言ったのかは定かではなかったが、今の言葉は紛れもなく本気だと理解し
「愛してる」
そう言って
「……やらし」
照れ隠しをする恋人を愛しく思うのだった。