【お礼】だと彼女は言った。
キスをするのが、彼女のファーストキスをすることがお礼だと。
そこにどんな意味があるかをさっさと気づけてもよかったのかもしれない。
知れば知るほどに最初の印象と異なる姿を見せる彼女。
人との距離を理解しておらず、時には中学生くらいかと思ってしまうような初心なところも見せる。
どんな人生を送ってきたのかはわからないが、ずっと他者には仮の姿を見せてきたのではないかと思う。
メッキにまみれた人生でそれを剥がしてくれる友人もいなかったのだろう。
少しずつ知っていく彼女の姿。
私はたぶんそれを好意的には思っている。
でも……いえ、だからこそなのかもしれない。
彼女の求めにこたえようとしないのは。
◆
すみれの【お礼】から少し経って、季節は本格的に夏へと移ろうとしていた。
外はギラついた日差しが容赦なく、歩いているだけでも汗をかいてしまう気温。
一日を過ごすだけでも消耗してしまいそうな時期だが、
(こういうときは図書館勤めでよかったと思うわね)
空調はもちろんのこと、基本的にあまり日差しを取り入れないつくりになっているため一日を快適に過ごすことができる。
とはいえ
(……これは、寒すぎね)
いつもの場所。すみれを待ち合わせをしていた私は、背筋も凍るようないたたまれない思いをしていた。
「………………」
もともと眼光は鋭いほうだが、今のすみれは明らかに不機嫌をにじませ瞳に力を込めている。
端正な顔立ちはここでは迫力を増す材料にしかならず、身のすくむ思いだ。
しかもやっかいなのは
「すみれ、そろそろなんで怒ってるのか教えて欲しいんだけど」
「…………」
理由を言ってくれないところだ。
すみれは先に待ち合わせ場所に来ていて、その時から全身に不満をにじませていた。
機嫌が悪いのは一目でわかったからもちろんこれまでも聞いては見たけど、唯一手掛かりになるのは「……自分の胸に聞きなさい」という暗く圧するように言ってきたその一言のみ。
私には当然心あたりはなくこうして困り果てているというわけ。
(昨日は普通だったくせに)
最近では毎日のように夜電話をするようになっていて、その時は今日会いに来ることを楽しそうに話していた。
朝だって、わざわざ忘れないようにしろみたいなメッセージだって送ってきたというのに。
(つまり機嫌が悪くなったのはそれ以降?)
そう考えたいところだけど、それ以降はメッセージのやりとりすらしていなくて。
「降参よ、すみれ。私が悪いのなら謝るからわけを教えて。ずっとここにいるわけにはいかないのはすみれだってわかってるでしょ」
私にとっても「恋人」との時間は貴重だ。無駄なことで時間を使いたくはないからそういったのだけど。
「……………」
返答はなく、余計ににらまれただけ。
肩をすくめるが
「……文葉は」
時間がないというのは理解してくれているのかようやく重い口を開いてくれた。
「文葉は女ならだれでもいいの?」
………ただし、理解不能なことを。
「いきなり何を言ってるのかわけわからないんだけど?」
「わからなくはないでしょ。文葉は女ならだれでもいいのかって聞いてるんだから答えればいいだけ」
「だから、なんでそんなことを聞かれるのかわからないって言ってるの」
「あの女と……付き合ってたことがあるんでしょ」
「早瀬とはそういうんじゃないって言ったでしょ」
早瀬との関係に確かにすみれは納得はしていないけど、「恋愛関係」ではなかったとは明確に伝えてはいるのに、今更何を蒸し返しているのか。
その疑問はすみれの次の言葉である程度の答えを見出すことになる。
「……あの子にも手をだしているんじゃないの? バーの女の子」
「っあおいちゃん? そんなわ……」
言いかけてすみれの理由を得心する。
相変わらず面倒な女ね。すみれは。
「昼頃、あの子のことを抱きしめてたでしょ」
「なるほど、一応すみれが何を怒っているのかは理解した」
「……浮気しておいてよくそんな態度がとれるわね」
「浮気じゃないからね。とりあえず「言い訳」くらいは聞いて欲しいんだけど」
「それで私が納得するのなら」
子供っぽい嫉妬。
でも、友人を持ってこなかったすみれには仕方のないことかもしれないなと思いながら、私はすみれへの言い訳を始めていくのだった。