すみれが私のものとなるにはそれから数か月が経ち、年も改まった頃。

 この数か月はそれこそ人生で最も多忙で、苦難に満ち、何より充実していた。

 愛する女の為の苦労だ。いくら大変でも心は満たされるというもの。

 結果としては、あの愛を確かめ合った日に宣言した通りになった。

 すみれが二十数年間積み重ねてきたものではなく、出会って一年にも満たない私を選んでもらった。

 まぁ、今回のことで知ったけど、そもそも家族とは法律上縁が切れるわけではなく、結局はすみれの親と話し合いの上、私たちの関係を認めてもらったということだ。

 すんなりいったというわけではないし、すみれと親との間には少なからず亀裂は残った。

 全ての事柄が解決したわけではなく、これから次第でよい方向にも悪い方向にも天秤は傾くのだろうがそれはまた別の話だ。

 私にとって大切なのはすみれが私の元にいること。

 それこそいつでも、ね。

 

 ◆

 

 すみれとのことがひと段落ついたということは日常が戻ってきたということでもある。

 この日も貸出カウンターで事務作業をしている私の耳になれた声が聞こえてくる。

「はーい。返却ありがとうございました。どうでしたか私のお勧め」

「あ、え、と……すごく、面白かった、です。続きが待ち遠しい、です」

「そっか。よかった。図書館で買うのは後になるかもだけど、続きは個人で買う予定だからよかったら貸してあげよっか?」

「…え、いいん、ですか?」

「うんうん。じゃ、連絡先教えてよ。買ったらすぐに教えてあげるから」

「は、はい」

 そこにあるのも日常の光景だ。

 早瀬が相変わらず女の子へのアプローチに精を出している。

 今日は高校生みたいだが……法に触れるようなことはしないで欲しいものだ。

「早瀬」

 話の区切りがついたのを見計らい、早瀬へと近づいて声をかける。

「悪いけど少し休憩してくるからここお願い」

「はいはーい。昼間っからお盛んなことだねぇ」

「……あほ」

 というものの、早瀬が女の人を漁りに図書館を廻るのとこれから私がすること、どちらが職務倫理に照らしてまずいかと言えば、一応仕事である早瀬よりも私の方がよくはないかもしれないが。

 休憩とは言え、恋人との逢引なのだから。

 階段を上り、本棚に囲まれた通路を歩いていく。少しずつ人気はなくなり静謐な空気に満たされていく。

 幾度となく通ってきた道程。

 ここに来るようになった当初は別に思い入れがあったわけでもなければ、それほど楽しみにもしていなかった。

 ただ、仕事中にも尋ねてくるすみれのために人目がない場所を探しただけの結果だ。

 すみれと仲を深めていくにつれ、少しずつ会うのも楽しみになった。図書館での内緒の逢引というまるで小説のようなシチュエーションにも少し昂っていたかもしれない。

 それと、一度は別れを告げられたこともあれば今の関係になるきっかけをくれた場所でもあり今では多くの思い入れがある場所となった。

 そしてそれは、これからも積み重なっていくのだろう。

「おまたせ」

「遅い」

 いつまでも慣れることなく美人だと思える恋人はその端正な顔に不満を滲ませ、開口一番に言ってくれる。

「休憩を合わせるっていっても、タイミングはあるでしょ」

「そんなことわかってるけど、こっちだって時間は決まってるんだからある程度自由の効く文葉が合わせなさいよ」

「はいはい。次からは善処するわよ」

 本棚に囲まれた奥にいるすみれへと近づきながら、他愛ない言葉を交わす。

 そう、これは私たちにとって何でもない会話。

 職場でこんな会話をするのが何でもないこと。

 つまりは一緒に働いているということだ。

 と言っても、すみれはバイトだけど。

 別にお金に困ってというわけではない。すみれが私が家にいない間時間を持て余すからと、一緒に働くことと相成ったわけだ。

 そして、すみれの休憩に合わせてこうして逢引をするのは私たちの間では常となっている。

「まぁいいわ。それで今日の晩御飯、何がいいか決めた?」

 逢引、と言っても本来の意味での逢引ではなくここでするのはただ二人の時間を持つだけ。

「……んー」

「昨日昼には決めるっていったでしょ」

「覚えてはいるわよ」

 料理は基本私がするが、すみれが作ることもある。その際には一丁前にリクエストを要求してくる時もあるのだ。

 私と暮らすようになり、すみれの料理は少しずつ良くなってはいるが出来ることは限られていて、顔をつぶさぬようにどう答えるべきかと逡巡する。

(この前はひどかったし)

 たまに力量にそぐわぬものに挑戦して、食べられないようなものも作るし安牌を選びたいところだ。

「ちょっと文葉?」

 どうやら沈黙が長くなってしまったらしい。料理を不安視していることが伝わると、面倒なことになるし。

「そうね、じゃあ。すみれ」

「は?」

「すみれが食べたい。ちょうど明日は休みだし。この前お揃いで買った下着で出迎えて」

「…なっ、〜〜」

 食べたいの意味を遅まきながら理解しすみれは頬を染めてわなわなと震えた。

「な、なに言ってるのよ! 今はそういう話はしてないでしょ」

(…可愛い)

 ちゃんと恋人になってからは数か月、同棲し始めてからは一か月程。もうそれなりに夜の営みはこなしてきているというのにこの慌てようだ。可愛いという以外に何があるというのか。

「ふ、文葉はいつもそういうこと考えすぎよ」

「そういうことって、どういうこと?」

「っ、馬鹿」

 茶化すのはよくない。

 頭ではわかっているんだけど。

 私は本棚を背にするすみれへと迫ると耳元に唇を寄せて囁き、指を彼女のお腹へと当て

「ひ、ぅ……ちょ、っと文葉っ」

 少しずつ、ゆっくりとすみれの体の上で指を躍らせて少しずつ胸の方へと指を進ませていく。

「こーいう、こと?」

 すみれの脚の間に片足を潜り込ませ、もう一度ねっとりと囁く。

「っ、ぁ……う」

 まるで生娘みたいに混乱しどうすればいいのかわからないといったすみれ。

 正直、ほんとにこのまましたいって気持ちすら湧き上がるが流石の私もその情動を抑えるくらいの理性は持ち合わせている。

「冗談よ、夕飯はそうねオムライスがいいかしら。この前美味しかったし」

 多少後ろ髪を引かれながらも、すみれから離れた。

「あ……う、ん。わかった……」

 まだ衝撃が抜けきっていない様子のすみれは空返事をして

「で、でも……文葉がしたいっていうなら、下着、くらい……この前のにしてあげてもいいわよ」

(可愛いなんてもんじゃないわ)

 自分の恋人があまりにも魅力的で、つい理性が崩れ

「……っん」

 キスをしてしまった。

 唇を優しく重ねる、淡い口づけ。

 柔らかなすみれの唇、お揃いのシャンプーとそれとは違うすみれの香り。

(すみれ……)

 この手にすみれを抱ける幸福に心を満たされる。

 幸せだと、ちょっとしたことでも思える。それが本当に幸せだ。

 これからもすみれとの幸せを積み重ねていくことができる。その喜びに胸を満たしながら私は

「愛してるわ、すみれ」

 これからも数えきれないほど告げるその言葉を噛みしめていた。

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