朝は意外なことが起きていた。

 早瀬は泥酔していたし、昔からこういう時は昼近くまで寝てその後もベッドをなかなか抜け出してこなかったのに今日は私たちより早く起きたかと思えば、朝食までこしらえている始末だ。

「珍しいこともあるのね」

「昨日は迷惑かけちゃったからねー。まぁ、よくは覚えてないんだけど」

「あんたは昔からそうだものね」

 早瀬の用意した朝食を取りながら三人で歓談。

 この三人朝食を囲むなんて想像もできなかったことだ。

「すみれちゃんもごめんねー。二人で住んでるの忘れてたわけじゃないけど、つい癖っていうか」

「別に気にしてないわ。こうしてご飯も作ってもらったし」

「あはは、ありがと」

 この二人が会話には余計なことを考えてしまいがちだけど、それも寝る前のすみれと話したおかげもあってそれほどは気にならない。

「ってか、あれだよね。この部屋にある着替えとか引き取った方がいいよねー」

「別に少しくらいあったっていいんじゃない? 大体あんたここに来るとき着替えがあるとか気にしてないでしょ」

「ま、そりゃそうなんだけど」

「…いいんじゃないの? せっかくだし今度は普通に泊りに来たら? 文葉の面白い話でも聞かせてもらいたいし」

「あは、なるほど」

 邪な目線が私へと送られてくる。

 こいつの口からは語って欲しくないことも多いが……その程度はわきまえていると思いたいものだ。

「うん、じゃお言葉に甘えて今度来るよ」

「今度は手土産の一つくらいは用意しなさいよ」

「はいはい。文葉の好きなお酒でも持ってきますよっと」

 次回への約束もしてしまったが、まぁすみれが気にしないようであればこの三人で意味なく時間を過ごすのも悪くはないわね。

 人の心を深く見れずにそう考えている私だった。

 

 ◆

 

 早瀬は午後には用があるなどと言って朝食の後はさっさと帰ってしまった。

 後で今回の礼はすると言っていたのはいいけど、

(ったく、ほんとに騒がしいやつね)」

 まぁ、結果としては心配したようなことは起きなかったし、むしろすみれの気持ちの強さを改めて知ることが出来たからよかったと思うべきかしら。

 そんなことを考えながら、洗い物をしていると。

「…文葉」

 予想外の衝撃が私を襲った。

 それは別にいきなりすみれに背後から抱きしめられたからというわけじゃなくて。

「……私、上手くできてた?」

 すみれの声色に深刻なものを感じたからだ。

 お腹に腕を回し私を抱く力には通常ではないものを感じる。

「すみれ……?」

 鈍い私は何を言ってるのかわからず、とりあえず洗い物をする手を止めて水を切る。

「嫌な顔、してなかった? 変なこと言ってなかった?」

「別に、変なことなんて……」

 急に態度の変わったすみれにきょとんとしたものの、その奥に隠れている意味を察する。

「もしかして、やっぱり妬いてたの?」

「……私が嫉妬深いなんて知ってるでしょ」

「それは、まぁ……」

 知ってる。だからこそ早瀬が来てからのすみれに違和感を持ちっぱなしだったのだから。

「何なのよ、当たり前みたいに来て。お風呂一緒って何? 洗いっこってどういうことよ。というか、いつも一緒に寝てたの? なんでこの部屋のことあんなに知ってるの」

 昨夜からため込んでいたであろう心の裡。私がまずいと思ったようにすみれが気にしないわけがなかった。

「気を使わせちゃったのね」

「使うわよ。昔のことは気に食わないけど、昔のことだし。今は文葉の親友なんでしょ。私だって仕事じゃ世話になってるし、邪険には出来ないわよ」

「なるほど」

 色々得心がいった私はすみれの手をほどくと正面に向き合い今度は私から抱きしめた。

「物分かりがよすぎるとは思ってたのよね」

「なら気づきなさいよ」

「悪かったわ。ごめん」

 演技に騙されたともいえるし、私こそ早瀬がいて冷静ではなかった。

 言い訳はできるけど、彼女に気を使わせていたことにも気づかないのは私が悪い。

「ふふ…」

 謝った舌の根の乾かぬ内に笑いを零して背中をなでる。

 好きな髪の感触を手に感じながら。

「何笑ってんのよ」

「すみれは可愛いなと思っただけよ」

「なにそれ。どうせ子供だって思ってんでしょ」

 あらら。

 拗ねてるわね。これは早瀬のことだけじゃなくて、日ごろの私の接し方のほうに問題があるんでしょうけど。

「今回はお互い様よ。私だってあんたが嫉妬してるの気づかなかったんだし。まぁ、早瀬がいなくなった瞬間に甘えてくるなんて子供っぽいっていうより、可愛いとしか言えないけど」

「だから文葉は一言多いのよ」

 やれやれ、好意を伝えてるっていうのに。こういうところがほんと面倒で可愛らしい。

(さて……どうすべきかしら)

 恋人を抱き、感触と香りを堪能しながら考える。

 結果的に我慢させてしまったのだし、機嫌を取るって言い方は正しくないでしょうけど、すみれこそ私の大切な恋人なんだとわかってもらうために何かしなきゃ。

(何か……)

 といってもぱっとは思いつかない

 こうして抱きしめるのも、例えばこの後キスをするのも恋人としての愛を伝えることには違いない。

 けど、それをするのも短絡的というかすみれの機嫌を直すものではない気がする。

「……私としてないこと、そんなにしてるの?」

 うまい考えが思い浮かばない私の耳に拗ねた声色が届く。

「え?」

「……一緒にお風呂とか、洗いっこだけじゃないんでしょ。私としてないこと」

「それは、まぁ」

 わざわざ改めて言うことではないけど「そういう関係」だったのだから。

「全部しなさいよ。私がしてないなんて負けてるみたいで嫌」

「全部って……」

 すみれは言っている意味を分かっていないわけではないはずだ。広義では性的な意味を含むということを理解しているだろう。

(でも、すみれがそれを覚悟してたとしても)

 早瀬と関係を持っていたのはまだ数年前のことだ。今思い出したら恥ずかしくてとてもできないようなことまで赤裸々に語るわけにはいかない。

 そもそも「昔の女」としたことなんて具体的に知りたくもないでしょうに。

「文葉の一番は全部私じゃないと嫌。キスの数もエッチの数も、一緒にお風呂に入った数も、洗いっこも全部」

(この強欲さには関心するわ)

 でも、実際に早瀬としたことなんて白状した日には怒られるか、罵られるか、引かれるかだというのは想像がつく。

(なんとか回避する方向にもっていかないと)

「それじゃあ、とりあえず洗いっこでもする?」

 ひとまず目先の話に対応しようとそう口にすると同時に、抱いていた手で背中から下へとなぞっていく。

「ちょ、っと…っ」

 焦る様子のすみれ。

 さっきまであんなこと言ってたくせに、いざ迫られるとしおらしくなるのはすみれらしい。

「して欲しいんでしょ」

「別に今すぐだなんて言ってないわよ。何考えてるのよ、朝っぱらから」

 すみれの言うことはもっとも。早瀬としていたことをする、とこんな朝から盛んになるということは別だ。

 ただ、私としては別の目的があるわけで。

「早瀬とは朝にしたこともあるんだけどな」

 すみれの心を刺激するに品のない手段を使った。

「早瀬との差、埋めたいんでしょ?」

「…文葉…っ」

 挑発するように腰回りに指を這わせると怒りと羞恥を混ぜたような顔で瞳には力を籠めにらみつけてくる。

(睨んでるつもりでしょうけど)

 照れがあるせいで、むしろかわいく見えてしまうわね。

 もっとからかいたい衝動には駆られるけど、あまりするとすみれの中の私の人間像がどんどん悪くなる気もするし。

「文葉がしたいなら……」

 私が次の言葉を述べる前にすみれはそう言って、それは耳には届いていたのに

「ま、朝からってのはさすがに冗談よ」

 私も口にすることを決めていて、それをいいすみれから離れてしまう。

(…タイミング最悪ね)

「っ〜」

 冗談、という言葉を使ったのもよろしくはない。すみれは私を受け入れようとしてしたのにその覚悟をないがしろにしてしまうような発言だった。

「ほんっと、あんたってデリカシーないわよね」

「今のは本意じゃないけど悪かったわよ。要は早瀬と比べるとこういうことも起きるってこと。だからそんなこと気にしないで、私が今すみれを愛してるってことで満足しなさいよ」

「そんなのわかってるけど、納得したくないのよ」

 そう主張するすみれの気持ちもわからないわけではないが、早瀬としたこと、なんてこれからも避けたいことで。

「なら……やっぱり今からお風呂行く?」

 つい品のない提案で逃げようとする。

 もちろん、それはすみれに断らせたいからだったというのに。

「…文葉がしたいなら、してあげるわよ」

「っ……」

「本気よ。さっきの嘘じゃないんだから」

「さっき…?」

「だから、なんでも私が一番じゃないと嫌ってことよ。キスでもエッチでも、なんでも」

 強い意志を感じさせる瞳。

 端正な顔に凛々しさをにじませるのは反則でつい目を奪わる。

(これがすみれの愛の形なのよね)

 恥ずかしさとかそういう感情よりも、あらゆることで私の一番でありたいという感情が勝る。

 それを解した上で、すみれの覚悟に応えないだなんて選択肢はありえなく。

「わかったわよ。なんでもすみれを一番にするわ」

 腰と背中に回していた手に力を込め、ダンスでもしてるかのようにキザっぽく抱き寄せる。

 表情もカッコつけたつもりだけど。

(…できる範囲で、ね)

 すみれを愛しているとしても、若い故に出来ていたことの全てはやはり明かせないなと思ってしまうずるい私だった。

 

 ◆

 

「あーあ」

 家に帰った私はベッドに寝そべり天井を見上げる。

「……馬鹿なことしたなぁ」

 わずか十二時間ほど前の行為に対して呟く。

 文葉のところに行ったのはうっかりだった。

 いつもの癖。

 予定が崩れていつもみたいに文葉に慰めてもらおうってつい文葉のところに行ってしまった。

 それは私の当たり前。

 何かあったら文葉のところに行って、愚痴に付き合ってもらったり……たまに慰めてもらったり。

 文葉との「前の関係」が終わってからもそうすることが自然だった。

 けど、それはもうしてはいけないことになってたんだ。

「っていうか、多分私は嫌な奴だったな」

 酔っていたから記憶はあいまいなところもあるけど、なんかマウントをとってたような記憶がある。

 文葉が慌ててくれたのは愉快だし、いい気味だったけど。

「嫌な奴っていうより……」

 その先が続けられない。心の中には形作っているのにそれを明確な言葉にすることを拒んでいる。

「はぁ……ほんと嫌になる」

 こんな日が来るとは思わなかった。

「……ラブラブだったよなぁ……」

 本当は寝付けずに聞いていた会話。それを思い出し心に冷たい風を吹かせる。

 文葉は私の避難所で、居場所だった。

 当たり前にあるものでなくなるなんて思ってもいなかった。

 それがとっくになくなっていたのに、昨日まで気付いてなかった。

 あまりに滑稽で笑ってしまう。

「…笑えないけど」

 自分の声はどこまでも沈んでいて、頭の中は嫌なことばかりで埋め尽くされる。

「文葉に彼女ができたのはいいことって思ってたんだけどなぁ」

 でも、文葉に恋人ができるってことはこういうことだったんだ。

 考えれば当然のことなのにすっぽりとそのことが抜け落ちていた。

 失った後の自分の心の動きも。

「あはは、っと……」

 胸の痛みの意味。

 その理由を考えたくなくて、私は逃避するように目を閉じた。

後日談3−1/後日談4−1  

ノベル/ノベル その他TOP