私は仲のいい人間は誰かと問われれば、すみれは別枠として早瀬が真っ先に思い浮かぶ。
出会ってからはまだ五年と少し程度だが、その五年を濃密に過ごしてきた。
どんな人間かも知ってはいるし、知られてもいる。
ある意味では恋人であるすみれ以上にあけすけに心をみせられる相手。
その早瀬の様子が最近少しおかしい気がする。
どこがと問われると返答に窮してしまうけど、間違いではないはずだ。
一見変わりなく見えるが、私が違和感を持つということはそういうことのはず。
早瀬のことは誰よりも知っている。
二年近く半同棲のような生活を送っていたし、すみれという恋人ができても「過去」を最もよく知るのは早瀬だ。
交友の少ない私にとって、未来においてもかけがえのない親友だろう。
だけど、早瀬を知っているなんて私の思い込みに過ぎなかったのかもしれない。
◆
寝る前のひと時。
基本的には一緒のタイミングでベッドに入ることにしていて、大体日付を回る少し前だ。
それまでは各々好きなことをする。
私は本を読むことが多く、喜ばしいことにすみれも少しずつ私に合わせるように本を読む時間が増えている。
とはいえ、私を含めて毎日本を読むわけではなく
「へぇ、早瀬が、ね」
この日はベッドの向き合うすみれの口から意外な話を聞いていた。
早瀬に対する違和感は持ってはいるけど別に私から話を振ったわけではなく、仕事に関する雑談で意外なことを聞いたということ。
「そう、二人にも早瀬さんいますか? って訪ねてきたのに、忙しいからって断ってたから珍しいなって」
「ふぅん」
これはただの雑談。
早瀬を訪ねて女の人が来ることは珍しくない。あいつは自分の私物を渡して、会う機会を作ることもあるし、私も応対したことも何度もある。
そんなときは残業をすることになろうとも基本的にそっちの対応を優先する早瀬だが。
(何かあるかもって思うのは私のバイアスがかかってるから、よね)
実際珍しい出来事としても、手が離せない時はあるのだから気にすることじゃない。
「……まぁ、そういうこともあるんじゃない」
発展性のない返事。別に話を打ち切りたいからではなく、この件でこれ以上は特別話すこともないと思ったから。
ただ、違和感というものは一つ一つではそこまで気にならないとしても、複数重なれば意識せざるを得なくなるもので。
「……そうね」
それは私だけに当てはまらないのだろう。
◆
早瀬のことは頭の片隅にはあるものの、具体的な何かをしないまま日々は過ぎる。
その間もちろん仕事は真面目にこなしていて、その業務の中である相手から話かけられた。
「あの……」
カウンターの向こうから小柄な少女に声をかけられた。
(確か……)
少女には見覚えがある、名前は覚えていないが早瀬が声をかけていた中学生。
さすがに手を出しているのではなくて、学校にあんまりなじめていないこの子の話相手になっていたということを早瀬からは聞いている。
その時には早瀬もたまにはまともなことをするものだと感心をしてのだが。
「何か御用でしょうか」
「え、と……早瀬さん、いらっしゃいますか?」
「早瀬ですか? 今日は休みをとっていますが」
「ぁ、そう、なんですね。体調が悪かったり……?」
「いえ、そういう話ではないですが、早瀬と何かお約束だったでしょうか」
「あ……」
多分、だけど約束をしている。この子のことはよく知らないけど、あまり積極的なタイプには思えないしわざわざ話しかけてきたからには理由があるのだろうから。
「い、いえ。そういうわけじゃないです。失礼します」
深々と頭を下げ、足早にさっていく少女。
「…………」
私は過不足のない対応をしたつもりだし、悪いのは早瀬なのに少しの罪悪感。
かといってあの少女に直接できることはなく、早瀬に連絡を取ることくらい。
仕事中ということもあり、電話はできないけどメッセージは送っておくると、少しして約束の日を勘違いしてたという旨の連絡と、あの子には謝ったという返事は来たけれど。
(…勘違いね)
誰にだってそういうこともあるし、それが事実で真実かもしれない。
それでも少しずつ積み重なる違和感は私に行動を起こさせた。
翌日の始業前、少しいいかと職員からも離れるように一階の奥の本棚の間へと連れ出す。
「ちょっと文葉何―、朝からこんなところに連れ出して。駄目だよ昔みたいになんて、文葉にはもう彼女さんがいるんだからさー」
「そういうのはいいから。単刀直入に聞くけど、あんた最近変じゃない?」
「変って何が? そりゃ昨日は悪かったって。言い訳しようもないよ」
「昨日のだけを問題にしてるわけじゃないわよ」
「昨日のだけってほかに何かあったー?」
「………」
そこは具体的にはないのが難しいところ。すみれが言っていたような、女の人の誘いを避けたというのも話題の一つではあるが、決定的な何かにはならない。
(……武器がない)
早瀬を問い詰める論証はできない。
(けど)
心の中で少し悔しそうに続けた。
早瀬の様子がおかしいというのは決定事項で、私は今手を差し伸べている。
なのに早瀬はそれをかわそうとしてる。
「ほらほら仕事始まっちゃうよ。先戻ってんねー」
差し伸べた手は、何かあるのなら力になってあげたいという心は宙ぶらりんのまま早瀬は私の前から離れていく。
「……早瀬」
それが妙に悔しいような、悲しいような気持ちで私はその場に立ち尽くしていた。
◆
「ふぅん」
寝る前のひと時、お風呂から出た私はベッドに腰掛け髪を乾かす間に、今朝の出来事を話すとすみれは含みを持たせたように鼻を鳴らす。
「それはどんな感想なの?」
「気になるっていうのと、心配っていうのと、文葉が私の前で他の女の話をしてばっかりなのが気に食わないって感想」
手持ち無沙汰なのか私の隣で二人用枕を抱えるすみれは回答をくれるも、あまり私に寄り添った回答ではないようだ。
「それって割合聞いた方がいいの?」
「これからの文葉の態度次第で変わるから聞いても意味ないわ」
「…そ」
自分が気になる時はこっちが隠したいととも話せって言ってくるくせに、私の口から早瀬のことが出たらこうなんだから難しいやつだ。
もちろん、私への愛ゆえにというのはわかってるけど。
「で、文葉はどうしたいのよ」
「どうって……そりゃ、あいつが何か悩んでるなら力になってやりたいって思ってるわよ」
「ならそう言えばいいでしょ」
「言ったつもりんだけどね、私としては」
言葉にしたわけじゃないが、私の気持ちは伝わったはずだ。
その手を取らなかったのは早瀬のほう。
差し伸べられた手を取るのにも勇気が必要というのはわかっていても。
「話してくれないとは思わなかったわね。正直」
最愛の恋人はすみれだが、最も親しい友人は早瀬でそれは今後も揺るがないと思っている。
それは早瀬だって同じはずで、話してくれないことがある……いや、ごまかされたことが思いのほかショックで。
「文葉にとってあの人はそんなに大切なの?」
顔に感情が出ていたらしい。
「大切……まぁ、大切よ。同期は早瀬だけだし、先輩も後輩も結構離れてるからすみれと会うまではほとんど早瀬と一緒だったし」
言ってからまずいと思う。
先ほどのすみれの感想の割合を変えかねない言葉だ。
「……ふぅん」
案の定かすみれは面白くなさそうな態度をみせて枕を握る手に力を込めた。
子供がいじけてぬいぐるみを抱っこするようで可愛らしくもあるが、蛇足なので黙っておこう。
「…?」
嫌味か憎まれ口でも言ってくるかと思ったのにすみれは黙ったままで、その隙に髪への作業を済ませ再びベッドへと戻ると。
「私、友達ってまともにいないけど友達ってそういうものなの?」
枕から顔をのぞかせたすみれが尋ねてきた。
「あんたの前でいうのもどうかと思うけど、一人くらいはこいつのためなら大抵のことはしてあげるって友達はいるものでしょ」
「……………」
「面白くなさそうな顔してんじゃないの」
「してるけど、してないわ」
「どっちよ」
「頭ではわかっても感情が納得しないからしょうがないでしょ」
まぁすみれの性格じゃそうもなるか。
らしい反応だとほほえましく思いながらも、
(……結局は私で解決しなきゃいけないことなのよね)
そう考えた私はすみれの思わぬ言葉を受ける。
「でも、そういう相手がいるならちゃんと力になってあげるべきじゃない」
(…へぇ)
少し意外だった。嫉妬深いすみれのことだ、正面切ってそれを言ってくれるとは思わなかった。
「そうするわ」
面白くないという気持ちも、力になれという気持ちもどちらも本物。
嫉妬をしながらも、私の背中を押してくれようとするすみれがとても可愛らしく、いとおしいから「今」は早瀬のことよりも目の前のすみれを大切にしてあげたいと、私はすみれとの距離を詰めて、枕を取り上げた。
「ちょっと、何よ」
「早瀬のこと、もう少し頑張ってみるわ」
「それはそうすればいいけど、何なのよ」
枕を取り上げたってことに対する問いでしょうね。
「相談に乗ってくれたお礼をしようかと思って」
「は?」
と意味を解する前に
「んっ…」
唇を奪った。
「んっ……ぁ、ぅ」
数秒触れ合わせ、舌で唇をなでるとおずおずと開き、受け入れてくれたことを理解して舌を突き入れた。
「っ…ん、ちゅ……ふ、…ぁ、ん」
激しくはなく、ねっとりとすみれの口の中を舐り
「っ、は…ぁ」
数秒で開放すると準備できなかったすみれは息を荒くしていている。
「っ、あんたってこういうことしか考えてないの」
「そういうわけじゃないわ。でも、愛したくなったのよ。私のことを考えてくれるすみれがかわいくて、愛したくなった」
首に腕を回し、眼前で告げる。
「だからそういう甘いことを言えばいいと思ってんでしょ」
手の内はばれてきているようだけど、
「ならやめる?」
「……やめろとは言ってないわ」
「…かわいいやつ」
「やっぱり、私のこと軽く見てるでしょ」
「そんなことないわ。あんたは最愛の恋人よ」
口を開くたびに株が下がる気がして、私はそのまますみれの唇をふさいでいった。