「なっ………」

 突然すぎる告白に玲菜は言葉を失う。

 うろたえながら洋子を見つめるが、そこには玲菜が言葉にできないような本気の感情が宿っている気がする。

 目の前にいるのがあの気弱な洋子なのかと疑ってしまうほどに玲菜を見つめる瞳は熱く潤み、強く光を宿している。

「ずっと憧れてた。それに……初めて夢を応援してくれた人……苦しんでるのなら、助けたい。少しでも苦しみを分かりたい」

「ば、バカなことをいうな。何を言っているんだ君は、そんな……私などのために、自分を傷つけてどうする。そんなことをしても私は変わらない。いや、変われないんだ」

 誰かに心配をされたところで玲菜の痛みは消えない。誰かに何かをしてもらうことでなど意味がないのだ。まして、苦しみを分かりたいからなどと言って自傷行為をされるなど

「は、っきりいって…………迷惑、だ」

 玲菜もまだ混乱をしていて、出てきた言葉に優しさを乗せることができなかった。

「今すぐにやめてくれ。もう二度としないと誓ってくれ」

 その言葉の真意は自分などのために友人にこのリストカットという痛みを背負って欲しくないからであるが、想いは自分の思うとおりに相手に伝わらないことなど多々ある。

「久遠寺さんが止めてくれるのなら……やめる。久遠寺さんが止めてくれないのなら……やめない」

「っ、何を言っているんだ。私のことなどどうでもいいだろう。やめてくれ、そんなことで私が止めない。だから無駄に自分を傷つけるなど何の意味ないんだ」

「なら久遠寺さんはどうしてこんなこと続けているの? 何にもならないって思ってるんでしょ。なのに久遠寺さんはどうして? こうすることで久遠寺さんは何を得てるの? 何を目的にしているの?」

「それは………」

 玲菜はその先を続けられない。

 自傷行為によって得ているもの。それは………

(なんだ……?)

 一時の心の安寧は得ているかもしれない。心が爆発しないように、不安や恐れなどといった負の感情を自分を傷つけることで大きな爆発をさせずに吐き出す手段にはなっているかもしれない。

 だがそれは結局心を追い詰めていて………

「っ、とに……かく……もうやめてくれ」

 この場にいることに苦痛を感じてしまった玲菜はそう吐き捨てて洋子の前から去って言った。

 

 

「………くそ」

 その日の夜。玲菜は机のイスに座り、気持ち悪いものを吐き出すかのように毒づく。

 洋子とのことで様々な感情が渦巻いている。

 単純に余計なお世話とも感じた。申し訳ないとも思った。洋子のことを心配もした。だが、何よりも玲菜の心に残ったのは。

(………何を得ているんだ?)

 洋子のその言葉だ。

 何を目的とし、何を得ているのか。

 こまで惰性に近い形でリストカットを続けてきたが真正面からそれを問われた時、玲菜は答えられなかった。

 答えが自分の中に無かったのだ。

 そもそも漠然とした理由はあっても明確になぜ始めたかということは玲菜にもわかっていない。

 当然ながら自傷行為を楽しいとは思っていない。血を見て興奮はしているかもしれないが、それでも終わった後の自己否定、自己嫌悪の方が圧倒的に大きい。

 さらにはするたびに自分が進んではならない方向に進んでしまっているような気すらしている。

 だが……いけないとは思っていてもやめられるとは思っていない。

「くそ……」

 もう一度同じように言葉を吐く。

「………やめられるものなら、やめたいさ」

 机の上のナイフを見つめ誰いうでもなくつぶやく。

 そう、続けたいわけではない。しかしやめる理由はない。

(……何も得てなどいないかもしれない)

「だが……な……」

 手にナイフを取る。

 慣れた所作でナイフの刃を手首へと押し当てる。

(何も得ないままやめるなんて、それこそ……できないだろう!)

「っ!!」

 いつものようにぐっと力を込めて押し当てたナイフを素早く引いた。

「ふふ……は……ふははは」

 痛みと目にした血液に興奮し玲菜は笑う。

 充実しているなど思わない。あるのは痛みと自己嫌悪。

 だがやめられない。

 何も得てなどいない。

(……だからこそやめてしまうなんてできないんだよ)

 何も得ないままやめてしまったら、この数年間の苦しみはなんだったのか。

 悩み、苦しみ、時には死にすら怯え、理由のはっきりしないまま自らを傷つけ続けてきた。

 今はまだ何も手にしていない。なのにやめてしまったらそれこそなんのためにしていたのかわからない。

 数年間ただ苦しんだという結果が残るだけになる。

 それは承服しかねることだ。

 これだけの苦しみを味わいながらなにも得ることがなかったなど。

 そんなことは認められない。せめてこの苦しみに意味があったと自分で思えなければやめることなどできない。

「ふふふ……」

 今度は自嘲的な笑い。

(それが【目的】か)

「……救えないな」

 その認識に玲菜は泣きたくなるほどにむさしさを感じ乾いた笑いをこぼすのだった。

 

 

「っ……は……ぁ……は……あ」

 吐息が、乱れる。

「んっ…く…」

 緊張で喉が渇きなんども唾を飲み込む。

(……怖い)

 部屋中央にあるテーブルの前に座る洋子は自らの手首を見つめそう思う。

 左手にはカッターを握り締め、それを時には見つめ、時には右の手首に押し当てては外す。

 そんなことをもう一時間近くも繰り返している。

 初めてした時も恐怖はあったがここまでではなかった。

 言葉は悪いが最初は勢いのままに自らを傷つけることができていた。

 しかし、今は違う。

 すでに痛みを知っている。もちろん最初する時だって恐怖に怯えなんども躊躇したが今は恐怖の質が違う。

 どれほど痛いかということがわかっている。それを知っていてその痛みに飛び込むのは余計に恐ろしかった。

「………っ……はぁ」

 あまりの緊張に何度も何度も手を見つめては背け、肌に押し当てては痛みを思いだし、逃げたくもなってカッターを手放しもした。

 このままやめたいと思いもする。

(どうして、久遠寺さんは……?)

 あんなに痛いのに。こんなに怖いのに。

(なんで続けられるの?)

 そんなことは考えてもわかることではない。それでも考えずにはいられない。

 それだけの理由が玲菜にはあるのか、それともすることで誰かに何かを訴えようとしているのか。

 本では様々な理由があった。心の傷を隠すため、自分への罰のため、やり場のない感情を吐き出すため、苦しんでいることを誰かに知ってもらうため。

 玲菜がどれかに該当するのかはわからない。

 だが、どうだとしても玲菜に手を差し伸べたい。少しでも苦しみを背負わせてほしい。

「だからっ……」

 洋子は玲菜のことを思い浮かべるとカッターを力強く握り、

「っ……!!」

 手首に新たな傷を作っていた。

「っはぁ……うぅ……く」

 涙が出る。それは痛みからというわけではない。何が理由かも自分にはよくわかっていない。

 そもそも玲菜に理由を問いただしたが、本来洋子にこそこんな苦しい想いをする理由なんてないのだ。

 だが洋子はやめる気はなかった。少なくても玲菜にきちんと向き合ってもらうまでは。

 これは決意なのだ。

 気弱な洋子が玲菜に対して向かっていくための儀式。

 玲菜に対し本気でいるという現れ。

 それはお世辞にも正しいやり方であるとは言えないかもしれないが、

「……久遠寺、さん……」

 初めて自分の夢を打ち明け、応援してくれた相手に何かをしたかった。

 

洋子1−3/洋子1−5

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