約束通り、下校終ってすぐに例の公園に来た私は一人、雫が自分の場所だって言ってたベンチに座っていた。
雫はまだ来ていないみたい。私が来る大体の時間がわかってるから家に荷物でも置きにいってるのかな。
雫がいなきゃすることもないのでベンチにぼけっと座っている。
……することがないなら少しは『好き』について思いをめぐらせればいいのに、そんな考え浮かびすらしなかった。
「だれーだ?」
突然耳元で、甘えるような声がして首に手を回された。
普通こういうときは目を覆うものだと思うんだけどね。あぁ、背がたりてないか。
「ん〜と、この声は……雫だ!」
相手は子供なんだしこっちも乗ってあげなきゃね。
「あったり〜。わーい、お姉ちゃんだ〜」
言い当てると雫は正面に回って抱きついてきた。抱きつくって言うよりは体全部私に預けてきたって感じ。膝に乗ってお腹と胸の中間あたりに顔を埋めてる。
されておいてなんだけどここまで嬉しいのかな。昨日あったばっかりのどこの馬の骨とも知らない人間に。
(ん、あれ?)
私は雫が今日もランドセルを背負っているのをみて不思議に思った。
私より遅かったんだから一回家に帰ってると思ったけど、今日も小学校から直接きたのかな。昨日の様子からすれば家結構近そうなのに。
とりあえず、私は雫を持ち上げて隣に座らせる。
「私に会えるの、そんなに嬉しい?」
「うんっ! すっごく嬉しい」
目を輝かせちゃって。心から喜んでるのが伝わってくる。
「だって、今日も一人じゃないんだもん」
(?)
その言い回しに疑問というか、不思議な感じを覚えて雫のことを見つめる。
「……雫って……」
でも、言いかけて口を閉ざす。
うーん、これ聞いてもいいのかな? 雫の心に入り込みすぎてる気がするけど……仮に思った通りなんだとしたら、言ってあげたほうがいいよね。ある程度の年になってるならともかくこの年で友達を作らないっていうもの雫にとっていいことじゃないだろうし。
「友達、いないの?」
「え? いっぱいいるよ?」
雫は質問の意味がわからないといわんばかりに首をかしげた。
「あ……そう」
予想に反した答えが返ってきたので拍子抜けな感じになる。
「えっとね、みーちゃんに、ちぃちゃんに、かなちゃんに、りんちゃんに、さなちゃんに……」
雫は思いつく友達だという女の子の名前を次々にあげていく。
まさか私に嘘ついてるわけじゃないだろうし、最初の印象の通り友達は普通にいるみたい。ただ、いるならいるでどうして今ここに一人でいるかという疑問が膨らんでいく。一人でいるのがいやならその友達とでも遊べばいいんじゃないかな?
別に私が雫といるのが嫌なわけじゃなくてね。
「……それと、お姉ちゃん!」
最後に元気よく私のことをあげて、えへへ〜と可愛く笑う。
「その友達とは遊んだりしないの?」
「お休みの日は遊ぶよ。でも、学校の日は遊ばないの」
「なんで?」
「だってお家が遠くにあるから」
遠くって、同じ学校なんだから遊びに行けない距離ってことはないんじゃないの。
「それにみんなと遊ぶとママにばれちゃうかもしれないし」
雫はそっぽを向いて寂しそうに言った。
「ばれるって、なに……」
「ねぇ、そんなことより雫と遊ぼうよー」
雫はベンチから飛び降りて、私の腕を取ってグイグイと引っ張った。
言葉を遮られてた気がする。今これ以上粘っても雫は答えてくれないかもしれない。
私は心につっかえを抱えたまま雫に引かれて立ち上がった。
したのは昨日と同じようなこと。一緒にブランコ乗ったり、できもしない逆上がりに挑戦する雫を冗談まじりにからかったり。昨日はのぼらなかったジャングルジムに一緒に登ってあげたり。ちなみに、体育で使うハーフパンツを下にはいてるから問題なし!
スカートで高いところ上るってこと自体が恥ずかしいってこと変わりないけどね。
んで、今日はそこでお話会。
雫がお腹すいたなんていうから、今日もたこ焼きのサービス。お財布の中身を気にすると少し悲しくなる。一パック四百円は決して安くない。
「あむあむ」
ま、雫のおいしそうな顔見てるとそれも少しは和らぐけどね。
「ねぇねぇ、お姉ちゃんって……はむ…どこ…もぐ……に住んでるの?」
「口の中に物入れながらしゃべらないの」
「ん、ごっくん……はぁい」
「よし。私が住んでるのは、えっとあれ見えるかな?」
木々の中に少し顔を出す校舎を指差す。遊歩道の高見台からなら普通に見えるけど、ここからだと角度が悪くてほとんど周りを囲む木に隠れる。
「あれ、学校なんだけどそこ近くの寮……ってわかる?」
「?」
雫は心当たりを探すかのようにん〜と頭を左右に揺らす。
「えっとね、いっぱい人が住める大きなお家で、そこに友達と一緒に暮らしてるの」
「わぁ、いいなぁ。楽しそう、雫もそんなところに住みたいな。お家にいてもぜんぜん楽しくないもん……」
宙に浮いてる足をぷらぷらとさせて、雫は俯いた。
……雫、やっぱり寂しそう。
「どう、して?」
「……だって、パパとママいっつも喧嘩してるんだもん。パパがいない時でも、ママずっと怖い顔してるの。お家にいると、すぐ怒鳴って怒るし、だからいたくないの」
「そう……」
「でも、遊んだりして帰るの遅くなるとママすっごく怒るから、学校で勉強してるんだよっていってるの」
状況は私と違うかもしれない。けど、私は少し自分と雫のことを重ね合わせた。
「学校とかお家のそばで遊ぶと、遊んでるのママにばれちゃうからこの公園に来るの」
「ここはバレないの?」
「うん、バスでいっぱいかかるから。三十分くらい」
「えっ!? そんなに遠くから来てるの?」
ここから寮に戻るよりかかるよ、それ。こんな所まで来なくても友達と会わないところなんてあるんじゃないかな。
「うん、ここね……お姉ちゃん、来て!」
雫は思案顔をすると、ジャングルジムを降りだした。私もそれについていくと、今度は手を引いて走り出す。子供の歩幅だからついていくのは難しくないけど、渡されたたこ焼きが落ちないようにするのは結構気を使う。
ゆさゆさ、この耳……じゃないリボンが気になるなぁ。
遊歩道を抜けて連れてこられたのはやっぱり雫の場所だという高見台のベンチ。
何がしたいのかはわからなかったけど、一緒にそこに座った。
今日も眩しいほどに紅い太陽が一日の終わりを告げている。
「夕陽……ここで見たかったの。……雫がまだ小さいときね、パパとママが連れてきてくれたの。けっこんする前にでーとでここで夕陽見たって。雫もね、夕陽みるの大好き」
好きという割には雫の顔は赤く燃える夕陽と対照的に曇っていた。
「でも、パパとママに連れてきてもらったときはものすごく楽しかったのに、一人だと全然楽しくなかったの……きっとね一緒にいてくれる人がいないと駄目なの。だから、だからね、お姉ちゃん。毎日じゃなくてもいいから、また雫と一緒に遊んでくれる? 雫、お姉ちゃんと一緒に夕陽、見たい」
体に比例する小ぶりな唇が不安と期待を込めて言葉を紡いだ。
それで毎日たこ焼き買ってくれる?
とか言われたらある意味面白いなぁ。
袖を弱々しく掴んでくる雫の頭を優しく撫でた。
「ううん、来るよ。毎日」
「ほんとっ!?」
「うんっ」
今日ここに来たのは、本当は美優子やせつなから逃げたかったからっていうのが大きい。正直まだ、これが口実にできるって少しだけ考えてる自分がいて…情けない。
でも、今は雫のためにしてあげたいって思っているほうが強い。
私と似てるとは言わないけど、まったく他人事のようには感じられない。家にいたくないところとか、母親に怒られることとか重なるところはある。
さつきさんが私を救ってくれたように、私も嫌なことから連れ出すことは出来なくてもそれを少しは和らげてあげられるのなら……私は雫の力になってあげたい。
昨日今日で雫にそこまでの気持ちを抱いたとは言えないかもしれない。けど、昔からあこがれていた。
苦しんでる人に何かをしてあげられることを、さつきさんのようになれることを。
「雫、よろしくね」
慈愛を込めて雫の顔を見つめた。
「うんっ! お姉ちゃん」
満面の、本当に嬉しそうな雫の笑顔。
私は、その顔を見て、
(あぁ、これでしばらくは逃げられる)
どうしてもその考えを忘れられない自分が惨めで、憐れだった。