「玲菜先輩。お昼一緒に食べましょう」
昼休みになると決まって天音がやってきてそう提案をしてくる。
「あぁ」
玲菜は当然それを断ることはできず、玲菜も弁当を持って席を立った。
場所は特に決めていないが、部室か中庭あたりが多く、今日は中庭のベンチに陣取る。
付き合い始めてから天音の行動の端々に狂気を感じることはあるが、ほとんどの場合はいつもの天音ではある。
快活で花の咲いたような笑顔を見せる一人の少女。
だから、玲菜は付き合っているという事態には戸惑っているものの何もなければそれなりに楽しい時間と言ってもよかったかもしれない。
この時も今日は自分で作ったという天音のおかずを交換したりなど、普通の恋人としての時間を過ごせていたが
あれってなんなんだろうね。
(……っ)
不意に聞こえてきた声に玲菜は目を閉じた。
それからその声の方を見ると、天音と同じ一年生の数人が玲菜たちと同じく昼食を取りながらこちらの様子をうかがっているのが見えた。
久遠寺先輩が困ってるってわかってないのかな?
だよね。本人は気づいてないんだか知らないけどさ、どうみても邪魔になってるよね。
あ、私この前一緒に帰ってるの見たけど、久遠寺先輩嫌そうな顔してたよ。
そもそもさぁ、水無瀬さんならともかくどうしてあいつが久遠寺先輩にべたべたしてるの?
意図的なのか偶然なのか、囁き声ながらも何を言っているのかは聞き取れる程度の音量で陰口が聞こえてきてしまう。
玲菜は自覚はなくとも同級生や下級生にとっては憧れの的と言ってもいい。特に下級生の中では高嶺の花であるがゆえに抜け駆け禁止というような空気が出来上がっていており、嫉妬の感情が天音には向けられている。
「……なぁ。天音」
自分に向けられた悪意でなくとも悪意そのものを感じて嬉しいはずもなく玲菜は天音を心配するように声をかける。
だが、天音が次にとった行動は玲菜の危惧をさらに高めるものだった。
「あーん」
天音は箸に付けた卵焼きを玲菜の口元に持って行く。
「……天音」
玲菜が聞こえているのだ、天音にも陰口が届いていないはずはない。それでも天音は恋人としての行為を玲菜に求め
「……あむ」
玲菜はそれに応えるしかなかった。
(……こんなこと、天音のためにならんだろう)
それをわかってはいても、口にすることはできない玲菜だった。
今の関係がいいなどと玲菜は思っていない。
それは自分が不本意な形で天音と恋人になったということもあるのだが、それ以上に天音が天音でなくなってしまいそうなことが玲菜は心配だった。
玲菜は天音のことを部活の仲間というだけでなく友人と思っている。そんなことを感じさせたのは姫乃を除けば初めてで、姫乃が初めから結月の友人であったということを考えれば初めての友人と言ってもいいかもしれない。
自分に対する自信とそれを支える実力。その姿に玲菜は尊敬の念を抱いていると言ってもいい。天音は自分を信じ前に進む力を持っている。それは玲菜が欲し、諦めてもいるものでそれを備える天音はある意味では玲菜の憧れでもあった。
だが、今の天音は違うように見える。
どこがどうという言葉にできないのが歯がゆいが、今の天音は玲菜の尊敬していた姿とは異なってしまっている。
このままでは玲菜の憧れ天音がいなくなってしまう。それは、天音にとっておそらく、いや間違いなく不幸なことになるだろう。
その片鱗はすでに見えてきており、不安が形になりつつあるということを玲菜は見かけてしまった。
それは、ある日の授業中。
ふと、校庭に視線を送った玲菜はその場所で体育をしているクラスを見て
(……天音)
【恋人】の姿を発見する。
今の天音は、恋人、ではあっても玲菜にとって決して友好的な存在ではない。玲菜はそれを意識してはいるが、それでも心の中にある危惧から天音のことを追った。
「……………」
その中で玲菜は自分の中にある危惧が正しいのだと知る。
天音は友人は多いが、深く付き合う相手は少ないという印象を玲菜は持っていたしそれは事実でもある。
だから、クラスの中で馴染めないということはなかったはずだがそれはすでに過去の話になっているようだ。
明らかに天音はクラスの中で浮いているようだ。準備体操こそ二人組を作っていたが、その後は天音に寄っていくクラスメイトは見当たらない。
避けられていると言っていいだろう。
その原因が自分と付き合いだしたことだとわかる玲菜はその天音の姿を見て
(……話しを、しなければならないのだろうな)
小さな勇気を振り絞っていた。
部活動のなかったその日の、玲菜は天音を部室に呼び出していた。
いつものソファに座り、玲菜から呼び出されたことニコニコと無邪気な笑顔をする天音も並んで座る。
「えへへ、玲菜先輩から呼び出してもらえるなんて嬉しいです」
これまでの恋人として暗に要求をして、そうさせたことはあっても純粋に玲菜から話したいと言われたことはなく天音は心から嬉しそうに笑う。
「…………」
その姿に昼間の体育の時間とのギャップを感じて戸惑いと、罪悪感。
「………………………」
そして………これから機嫌を損ねてしまうであろうことへの恐怖にためらいを覚える。
今の天音は通常の状態ではない。これからの玲菜の態度と対応次第では玲菜の秘密を暴露されることもあるだろう。
(……だが、いずれにせよこのままではいられんか)
この関係は永遠に続けられるものではない。
それに、体育での天音の姿を思い浮かべ玲菜は口を開いた。
「……なぁ、天音」
隣に座る天音を真剣な瞳で見つめ玲菜は切り出した。
「私は、君のことが嫌いではない。いや、好意的に思っているよ」
「…………」
姫乃もまた玲菜を見返し、好意を伝えているはずの言葉にまなじりを釣り上げる。その雰囲気から何が起きるのかを察してしまったのだろう。
「だがな、天音」
「玲菜先輩」
「っ……話の途中だが……なんだ?」
「玲菜先輩は、私に逆らえない。そうですよね」
表情を消して、感情を感じさせない声で事実を告げる天音。
言葉は脅迫だが、天音の本意ではないということが、この関係を百パーセント肯定できていないということがわかる。
「……………そういうつもりで言っているんじゃない。私というよりも、君がこれでいいのかと言っているんだ」
誰がどう考えてもいいはずはない。
「……何、言ってるんです? いいに決まってるじゃないですか。私は…玲菜先輩のことが好きなんですよ」
その言葉が本心であったとしても。いや、本心であればこそこんな形での交際を望むはずはない。
「私、毎日幸せですよ。だってずっと玲菜先輩とこうなりたいって思っていたんですから」
「…………」
まるで自分に言い聞かせているようだ。
天音は決して嘘はついていないのだろう。どんな形であれ想い人と恋人になることができたそれが嬉しくないなど思うはずはない。だが、それを作り出した状況が手離しに喜ばせてはくれない。
脅迫をして恋人にしているなどまともな人間であれば罪悪感をもたないはずはないのだから。
「……だが、いつまでもこうしているわけにはいかないだろう」
自分のせいで天音を苦しめているということがわかる玲菜は常識的なことを述べるが、
「………何、言ってるんです?」
天音は泣き笑いのような表情で弱々しく玲菜の袖を掴んだ。
「ずっと、玲菜先輩は一緒にいてくれるじゃないですか。断れないはずですよね。私の言うことを聞かなきゃいけないはずですよね」
瞳は潤み、声は震え、まるで依存症の人間が依存物を求めるような憐れにすら感じる姿。
「……………だが、っ」
それでも義務感と想いから常識人であろうとしたが、天音が傷を服の上から掴んだことに動揺してしまう。
「困るんですよね? いやなんですよね? 皆にばれるのが」
すがるような瞳。自分のしていることを悔い、それでもやめられないことがわかっている。
前にも後ろにも進めない場所に天音がいることを知り玲菜は
「………………あぁ」
そんな天音を説得する言葉は持っておらずそう答えるしかなかった。